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豊川市 きらっと☆とよかわっ!
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「広報とよかわ」2010年11月1日号 テキスト1

更新日:2013年1月4日

特集

青い目の人形
~友情の人形の物語~

「青い目の人形」と呼ばれた友情の人形のことを知っていますか。
1927(昭和2)年、一人のアメリカ人宣教師の呼び掛けによって、アメリカから日本へ約13,000体の人形が贈られました。人形は、当時悪化していた両国の関係を改善し、国と国が仲良くできるようにと願いが込められ、「友情の人形使節」として日本各地の小学校などに届けられました。これは、今から80年以上前に人形によってもたらされた友情の物語です。
今回の特集では、海を越えて人形によってもたらされた友情が、時を越えて現在も受け継がれていることを知り、互いの文化を理解し合うことのたいせつさを今に伝えていることを紹介します。

海を越えて
人形がつないだ友情の物語

 青い目の人形はなぜアメリカから日本に友情の証として贈られたのでしょうか。そして、数多く贈られた人形は今、どうなっているのでしょうか。歴史をひもとくと、この豊川市にも友情の人形の足跡を見ることができます。

人形が贈られた時代

 人形が日本に贈られた昭和二年当時の日米関係は、アメリカで移民問題による排日運動が起こるなど、政治的緊張感が高まっていました。そのような中で、同志社大学などで神学を教えた経験があったアメリカ人宣教師のシドニー・ルイス・ギューリック博士は、日本の伝統や文化に深い理解と親しみを持っていたので、この日米関係を深く悲しんでいました。
 ギューリック博士は、ひな祭りの伝統を持つ日本の子どもたちと人形を通して交流すれば、互いの文化を理解し合い、両国の平和的な友好関係につながると考え、アメリカの人形を日本に贈る文化交流を呼び掛けました。そして、親交のあった渋沢栄一氏の協力で、文部省を通してアメリカから日本全国の小学校や幼稚園へ人形を贈りました。
 贈られた人形の数は、実に一万二千七百三十九体に及び、民間の人々の努力によって、国と国との文化交流が行われました。

人形がつないだ新しい形の交流

 人形が贈られた学校や幼稚園では人形の歓迎会が行われ、子どもたちの熱烈な歓迎を受けました。洋服姿の人形の中には、抱くと目を閉じ「ママー」と声を出すものもあり、当時の和服姿の子どもたちにとって初めて見るもので、とても喜ばれたと言われています。
 そして、日本からもお礼をしようという機運が高まり、答礼人形と呼ばれる日本の人形五十八体がアメリカに贈られました。
 こうして、日本とアメリカの子どもたちが、人形を通して互いの文化に触れ合い、それまでにない形の国際交流が実現しました。

今も市内に残る人形

 愛知県内では三百四十九体の人形が贈られた記録があり、豊川市内の小学校では、豊川、千両、牛久保、国府、一宮西部、御津南部、小坂井東小学校の七校に、人形が贈られた記録が残されています。
 しかし、人形交流によって結ばれた互いの友情は、その後の太平洋戦争によって一度は引き裂かれ、ほとんどが敵国の人形として処分されました。
 県内では現在九体の人形が残されていますが、市内で今も人形が残されているのは御津南部小学校の人形「ヘルン」だけです。

語り部 その1

青い目の人形交流は草の根民間外交の金字塔
 人形交流が行われた当時の日本は、大不況の最中にありとても貧しい時代でした。また、人々にとって戦争が身近な時代であり、第一次世界大戦の悲劇を目の当たりにしていたギューリック博士は、愛する日米両国が互いに理解し合えるようにと人形交流を呼び掛けました。
 あれから80年以上がたった現在では、それほど珍しくない交流かもしれません。しかし、何もない時代だったからこそ人形交流は意義深く、子どもたちに受け入れられたのでしょう。そして、太平洋戦争中に敵国の人形として多くの人形が処分される中、「人形に罪はない」と考え、たいせつに残そうとした人たちがいました。この努力は、現代の子どもたちにも、互いを理解することのたいせつさや平和の尊さを伝えています。
 民間人の努力によって友好親善を願い行われた人形交流は、「草の根民間外交の金字塔」と言えるでしょう。

元中学校教諭
夏目勝弘さん(蔵子)
西部中学校で青い目の人形を題材にした英語の授業を始めたのをきっかけに、現在も人形に関する研究や関係者との交流を続けている。

語り部 その2

人形を通して仲良くなれた気がした
 青い目の人形を見たのは、私が尋常高等小学校4年生の時だったと思います。台の上に載せられた人形を、みんなで順番に見せてもらいました。手にとって遊ぶことはできませんでしたが、何もない時代でしたので、珍しい外国製の人形を見て、驚きと感動を覚えたことをわずかに記憶しています。
 そして、その人形がアメリカから贈られたもので、日本とアメリカの友情の証であることを教わり、外国の方と仲良くなれた気がしました。

石黒しんさん(御津町)
現在93歳で御津南部尋常高等小学校(現在の御津南部小学校)に在校当時の青い目の人形の記憶を、今に残す。

コラム 青い目の人形の目は青かった?
 当時、青い目の人形と呼ばれた人形ですが、実際に贈られたものの中には、青い目ではない人形もありました。
 名前の由来は、当時、流行した童謡「青い眼の人形」と言われています。

時を越えて
受け継がれる交流の精神

友情の人形交流から八十年以上がたった現在も、人形交流の精神は受け継がれています。そして現在の国際交流の取り組みの中にも、その精神は生き続けています。

新しい友情の人形と受け継がれる思い
 ギューリック博士の孫のギューリック3世さんは、祖父の意思を引き継ぎ、昭和六十一年から当時の人形が残されている小学校などへ、新しい青い目の人形を贈る交流を続けています。市内では、御津南部小学校と桜町小学校に新しい青い目の人形が贈られました。
 青い目の人形が残っている御津南部小学校では、平成二十年から二十一年にかけて、六年生が人形について調べました。そして、人形がどうして学校に贈られたのか、なぜ残されたのかを考え、青い目の人形のことを劇にして全校児童に見せました。そのような中で、平成二十一年三月に新しい友情の証として人形「リーサ」が贈られました。
 これらの取り組みは、平和の尊さや互いを理解することのたいせつさを、今も児童たちの心に残しています。

桜町小学校の人形と現代版人形交流
 桜町小学校には、平成八年に学校創立五十周年を記念して新しい青い目の人形が贈られました。桜町小学校は、人形交流を研究した夏目勝弘さんの母校で、ギューリック3世さんと親交があったことから、夏目さんの橋渡しで人形「スザンナ」が贈られました。
 また、桜町小学校では十五年ほど前からオーストラリアのエッセンドン小学校をフレンド校として、交流が行われています。
 毎年、児童が書いた手紙やマスコット、学校の紹介冊子、絵本など、その国の文化や学校の様子などが分かるものを児童たちが考え、箱に入れて交換しています。そして、国際理解のために授業で活用したり、送られた手紙に返事を書いたりして、交流を図っています。
 この現代版人形交流とも言える取り組みが現在も続き、今年も桜町小学校に交流の箱が届けられました。

いつまでもこの交流を続けていってほしいです
 エッセンドン小学校の友だちから、手紙やマスコットをもらい、うれしいです。送ってくれたベジマイトはぼくたちの知らない味がして少しびっくりしたけど、世界にはいろんな人がいて、いろんな食べ物があることが分かりました。
 これからは、オーストラリアについてもっと知りたいです。そして、ぼくたちが生まれる前から続いているこの交流を、後輩にも続けていってほしいと思います。

桜町小学校 6年2組
松山剣士さん

これからも交流をたいせつに
 青い目の人形交流が行われた当時は、外国人を見ることも珍しい時代でした。ましてや外国の人形を見ることは当時の小学生にとって大変貴重な経験だったでしょう。そういった時代に、力を合わせて実現させた人形交流は、互いの友情を芽生えさせるものでした。
 今や時代は移り変わり、グローバル化、ボーダレス化が進み、自由に海外へ行くことができるようになり、この地域にも多くの外国人が暮らす世の中になりました。そして、外国の人たちと直接交流することができるようになりました。
 その一方で、共に安心して仲良く暮らせるように、差別や偏見をなくし国や文化の垣根を越えて、より一層、相互理解を深めることがたいせつです。
 豊川市国際交流協会では、季節ごとの交流会や海外への親善訪問などの交流事業を行い、さまざまな国の人たちとの交流を深めています。また、世界各国の文化を学ぶ講座や国際理解講座、キッズワールドサマースクールなどの青少年交流などを行い、文化交流や相互理解を深めています。
 お互いの文化を理解し合おうとした人形交流の精神をたいせつにし、今後もさまざまな文化交流を進めていきたいと考えています。

豊川市国際交流協会 常務理事
鈴木清市さん

カメラリポート
9月

12日 消防技術を競い合う消防団操法大会を開催
 市消防本部では、赤塚山公園で、第三十回豊川市消防団操法大会を開催しました。三十の分団・部がポンプ車の部と小型動力ポンプの部に分かれ、女性団員も参加して、消防技術を競いました。
 猛暑の中、選手たちは汗をにじませながら、地元の伝統と誇りを胸に、日ごろの練習の成果を披露しました。ポンプ車の部で優勝した諏訪分団は、来年、市の代表として県大会に出場します。

19日 「豊川いなり寿司」B-1で六位入賞
 B級グルメの祭典B-1グランプリが十八・十九日に厚木市で開催され、いなり寿司で豊川市をもりあげ隊が初参戦しました。
 全国各地のB級グルメを食べようと、二日間で約四十三万人が会場を訪れ、大いににぎわいました。
 豊川いなり寿司は、作り手や売り手が休む間もなく大盛況。約一万三千食を売り上げ、箸による投票の結果、六位入賞と大健闘。豊川いなり寿司が、全国ブランドへとまた一歩前進しました。

23日 天平のロマン暗闇に浮かぶ万灯
 三河国分尼寺跡史跡公園で、五回目となる「天平ロマンの夕べ」を開催しました。
 万灯のろうそくに、子どもたちが火を付けると、奈良時代の建築様式に復元された朱塗りの中門などが暗闇の中に浮かび上がりました。また、かがり火に照らされた中門前では、伸開太鼓の演奏などが披露されました。
 訪れた人たちは、万灯の灯りに包まれて、天平のロマンを感じるひとときを過ごしました。

29日 地球に優しいハイブリッド式ごみ収集車「みらいちゃん」と「まもるくん」の発車式
 市では、ハイブリッド式ごみ収集車二台の発車式を市役所で行いました。ごみ収集車は公募によって「みらいちゃん」と「まもるくん」と愛称が付けられ、車体には市内の小学生のごみ啓発作品コンクール受賞作品が描かれています。
 通常のごみ収集車と比べ、燃費は約十四%向上し、二酸化炭素排出量は約十二%減少します。地球に優しい車で、地球の「みらい」を「まもる」取り組みを始めました。

いきいき広場 ハローピープル

いい汗キラリ エンジョイスポーツ

九十二人の会員が元気にペタンクを練習しています
 ペタンクは、約百年前にフランスで生まれた競技です。両足をそろえて投球するため、フランス語で足をそろえるという意味の「ピエタンケ」が「ペタンク」になったと言われています。
 日本には昭和四十年代初めに伝わり、豊川では平成八年から愛好者によって練習が始められました。平成十三年には市体育協会に加盟し、現在は九十二人の会員がいます。会員の多くは高齢者ですが、元気に練習をしています。
 市内では、毎年十回ほどの大会を行っており、県内の大会にも数多く参加しています。これまでに、市内の三チームが県予選で勝利し、日本選手権大会に出場しました。
 ペタンクは、空き地とペタンクボールさえあれば、どこでもプレーできます。体力もそれほどいりません。しかしゲームでは、適切な戦略と技術、集中力も大事ですが、予想もつかない一発大逆転が起こる面白さがあります。そして、思い通りに投球できた時の爽快感は格別です。
 皆さんも、ぜひペタンクを体験してみせんか。初心者大歓迎です。

団体名:豊川市ペタンク協会
代表者:高木増美
(電話)85-2709

町内活動紹介
町内会の底力

行灯で赤坂宿の面影を今に伝える活動を行っています
 赤坂町内会は、東海道五十三次の三十六番目の宿場である赤坂宿の町並みとその周辺地域から町内会が形成されています。
 江戸時代、赤坂宿は宿場としてにぎわいました。現在、戸数は非常に少なくなりましたが、当時の様子を今に伝える格子戸の家屋や旅籠があり、宿場のにぎわいを思い起こすことができます。
 平成十三年の東海道宿駅制四百周年を機に、かつての赤坂宿に軒を連ねた旅籠などの屋号や施設の名称を書いた手作りの行灯を家の軒先に置き、明かりをともす「赤坂宿行灯まつり」が町内会で始まりました。この祭りは、お盆前の一週間を利用して行っています。夏の一番暑いこの時期に、夕涼みを兼ねて東海道を歩くと、淡い光の向こうに当時の宿場を感じることができ、赤坂宿の面影を今に伝えています。
 町内会では、行灯の設置のほか、歩け歩け大会やふれあいまつりなど数多くの活動を行い、住民相互の交流を図っています。
 これからも地域が一丸となり、活力あるまちづくりの輪を広げていきたいと思います。

団体名:赤坂町内会
代表者:中野政彦

私たちの学校自慢 スクールリポート!
豊小学校 スクールリポーター 6年2組 伊澤 惇さん
みんなが力を合わせることの
たいせつさを学びました

 ぼくたちの豊小学校では、毎年六月に運動会があります。
 入学したばかりの一年生に六年生が一生懸命教えるディズニー体操から始まり、徒競走やリレーなどが行われます。
 午前の部の最後には、地域の踊りの先生を中心に、親子で豊川観光音頭を踊ります。午後の部になると、選抜リレーやぼうし取りなどで白熱し、最後に組体操があります。
 この組体操は、五・六年生が一カ月以上の猛特訓をして、技を完成させていきます。中でも、四段タワーは想像していたよりも高く、完成させるまでに何度も失敗を繰り返しました。本番で成功させた時はとてもうれしかったです。
 組体操を通して、みんなで力を合わせて一つのものを作り上げるたいせつさを学びました。

青春Smile Talk
中根里映さん(18歳)

 わたしは、人と話すことが好きで、外国の人とも交流したいと思っています。でも、英語が苦手なので、それを克服するために大学で英語の勉強に力を入れています。将来は、海外から多くの人が訪れる空港で働きたいです。
 休日などは、コンビニでアルバイトをしています。将来のために接客の経験も積みながら、お金をためて海外旅行に行くのが目標です。

わんぱくショット
あおいちゃん

平成21年2月26日生まれ
森卓也・祐子さんの長女
 将来はドラマーかな。ミッキーマウスマーチが大好きなあおいちゃん。ママはピアノもがんばってほしいな。

陽一くん
莉子ちゃん

平成21年9月12日生まれ
小林大祐・史子さんの長女
 1さいになったりこちゃんは、まだまだいたずらが大好き。戸棚の扉を開けてはニヤリ。何をみつけたのかな。

このコーナーに登場するお子さんを募集しています。住所、氏名、電話番号を明記のうえ、写真とコメントを秘書課わんぱくショット係(〒442-8601諏訪1-1)へ、お送りください。

お問い合わせ

企画部 秘書課
所在地:442-8601
豊川市諏訪1丁目1番地
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