豊川をバットの町に。後悔しない人生を歩み続ける
HAKUSOH FRONTIER株式会社 代表 岩瀬崇典
豊川市に本社を置く、日本屈指の老舗木製野球バット製造メーカー「株式会社 白惣(はくそう)」。
江戸時代末期に材木商として創業し、1952年からバット製造を開始。国内主要スポーツメーカーの委託製造を長年手がけ、プロ野球やメジャーリーグの選手が使用するバットも含めて年間10万本を製造している。しかし、委託製造という仕組みである以上、どんなに素晴らしいバットを世に送り出しても、そこに「白惣」の名が刻まれることはない。
取締役製造部長として木製バットの製造現場を取り仕切る岩瀬崇典さんは、確かな技術の結晶である木製バットを「白惣」の名で世に出したいと、新たに自社ブランド「HAKUSOH BAT」を立ち上げた。岩瀬さんの行動力の源は何なのか。
バット工場で育ち、心の赴くままに挑んだ学生時代
白惣は現在、伯父が社長、父が専務、兄が常務を務める同族会社。自分も5歳の頃から工場に通い、職人たちの背中を見て育った。「いつかは家業を継ぐんだろうなあ」と漠然と思っていた。
"その時々でやりたいことをやる主義”
小中は軟式野球一筋だったが、時習館高校では野球部に入る機会を逃した。すると3年生の時に時習館高校野球部が県のベスト4になり、「自分があそこにいられたら」と、野球部に入らなかったことを猛烈に後悔した。これがきっかけとなり、常に「人生後悔はしたくない。やりたいと思ったらすぐに行動する」と決めた。進学した東京理科大学では未経験ながら硬式野球部に入部し、納得できるまで練習に打ち込んだ。「特に野球が好きだったのではないんです。とにかく後悔したことへの戒め?みたいな」。

工場の事務所にて(幼少期)

小学校5年生の時、工場に中日ドラゴンズの川又選手が来社し、バッティングを教えてもらった。

大学時代の野球部集合写真(最後列右から6人目)
在学中にはこんなことにも挑戦した。小さいころの夢がケーキ屋だったのを思い出し、パティシエの専門学校の夜間部に通い、お菓子作りに励んだ。
また後悔の気持ちを整理するために文章を書くようになった経験から、化学や物理の本を友人らと一緒に出版したこともあった。出版社への売り込みも自ら行った。東三河の歴史小説も執筆し、2021年出版した東三河の歴史小説も、実は学生時代に書いたものだ。
卒業後は、就職の内定も大学院合格も両方蹴って、1人オーストラリアへ。「この先何をするにしても英語力は必須だと思いましたし、やりたいと思ったらすぐにやるのが信条なので」。
「後悔したくない」という一心で、心の赴くまま様々なことに挑戦してきた。そしてこのこだわりが、のちに自社ブランドを海外へ売り込む原動力になった。

パティシエ専門学校で取材を受けた時

語学留学終了証の授与(右は先生、オーストラリアで)
自社ブランド立ち上げへの思い
家業に入ったのは、留学から帰国するタイミングで父から声をかけられたことがきっかけだった。入社して最初に命じられたのはISOの取得。責任者となり職人たちの反発に遭いながらも、ゼロからルール作りに奔走した。同時に、重い木材の運搬や端のカットなど現場の雑用から始め、少しずつ現場に溶け込みながら製造全体をまとめる立場になっていった。
転機となったのは、JC(青年会議所)やロータリークラブの活動を通じて海外に人脈ができたことだ。中でも、2018年にアメリカの展示会でバットを出展したところ大きな反響を得た。長年OEM生産に徹してきたため、自社のバットであっても声を大にして言えないジレンマを抱えていたが、帰りの飛行機の中で「白惣として売り出すのは無理だから、海外に別会社を作って、自社ブランドとして回していこう」と速攻で決意し、すぐさまアメリカ法人を設立。HAKUSOH FRONTIER(ハクソウフロンティア)の誕生だ。さらに2024年には日本国内向けの販売会社を立ち上げ、これまでの枠組みにとらわれることなく、自社ブランドを堂々と展開できる体制を作った。

HAKUSOHのブース(アメリカの展示会で)

アメリカの展示会でバットを購入してくれたお客様と

白惣の岩瀬淳一郎社長(中)、カナダでの販売促進担当者(右)と(アメリカで)
地元と連携。 地域を盛り上げたい
硬式、軟式、ノックバットまで、国内外でHAKUSOHの需要が高まる中、2026年2月には地元信用金庫の跡地である(伯父の)建物を活用し、国内初となる木製バット専門店「HAKUSOH BASEBALL HOUSE」をオープンさせた。オリジナルマーク「HAKUSOH」ロゴを使ったアパレルグッズやアイテムも充実させた。
さらに、豊川市にある刺子メーカーとコラボするなど、地元・豊川市を盛り上げる活動にも力を入れている。
とよかわブランドの認定を受け、地元のタオルメーカーや溶剤メーカーとコラボして、国内初となる木製バット専用クリーナーなどのオリジナル商品も生み出した。
また、豊川市内で木製バット限定の軟式野球大会を主催し、今年で3回目を迎える。一部の地域では飛ぶ複合バットが禁止される流れもあり、大手メーカーが動きにくい隙間を縫ってスピーディーに新しい仕掛けをしていけるのが自分たちの強みだ。

ずらりと並んだ、HAKUSOHブランドのバット(HAKUSOH BASEBALL HOUSE・豊川市牛久保町で)

バットシリーズ「SPARK SLUGGER」

アドバイザリー契約を結ぶ福岡ソフトバンクホークスの谷川原健太選手仕様のバット

日本初の木製バット専用クリーナー
休日の過ごし方は
今は忙しくてなかなか時間が取れないが、休日は子どもたちと過ごすことが多い。5歳から中2まで3人の子どもがいて、地元の赤塚山公園によく遊びに行ったり、たまにキャッチボールをしたりして自分もリフレッシュしている。
「バットの町・豊川」を目指して
今後のビジョンは、このHAKUSOH FRONTIERを、日本中、そして世界中から野球選手が訪れる場所にすることだ。ここには木を削る機械があり、その場で選手一人ひとりのスイングや悩みに合わせたバットのフィッティングができる。プロからアマチュアまで、自分にぴったりの一本を求めて直接足を運んでいただけるような施設は国内でも珍しいはずだ。
「ただバットを調整して帰るのではなく、豊川の町を周遊し、地元の魅力を知ってもらえるような流れを作っていきたいですね。海外の人たちにも『豊川といえばあのバットの町だ』と言ってもらえる日を目指して、これからも挑戦を続けていきます」。

試し打ちのコーナー

HAKUSOH BASEBALL HOUSEにあるバットフィッテングの作業場

木材からバットになるまでの過程
DATA

岩瀬崇典(いわせたかのり)
豊川市在住
HAKUSOH FRONTIER株式会社代表取締役
株式会社白惣取締役製造部長
HAKUSOH BAT,INC.(米国) CEO
江戸末期から愛知県豊川市で続く老舗製材所「白惣」の歴史と技術を受け継ぐ。
東京理科大卒業後に白惣に入社。伝統的なバット作りと米国の打撃理論を融合させたHAKUSOH BATを国内外へ展開。
2026年には豊川市に国内初となる木製バット専門店を開業し、地域活性化にも尽力。
「世界中からこの場所に人を呼び寄せたい」という強い決意で、ブランドの挑戦を牽引する。
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更新日:2026年08月19日