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豊川市 きらっと☆とよかわっ!
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伊奈城趾公園・花ヶ池公園

更新日:2013年9月30日

伊奈城趾じょうし公園

 伊奈城は15世紀の中頃に本多定忠さだただ定助さだすけによって築城され、上嶋あげしま城ともいわれていました。16世紀初めには牧野一門が城主となっていたことが知られていますが、天正18(1590)年8代城主本多康俊やすとしが、下総国しもうさこく(千葉県)小篠こざさへ移封されるまで約150年間、伊奈本多氏の居城でした。伊奈城主の菩提寺東漸寺とうぜんじに伝わる古図によると、三方を河川と沼地に囲まれた要塞堅固な地に加えて、城下まで船便の良い地であったようです。永禄年間に大塚城主の岩瀬氏に攻められましたが、当時の6代城主本多忠俊ただとしは城を固く守り、同時に兵を御馬おんま梅藪うめやぶに出して戦い、これを退けました。伊奈城の攻防で記録にみえるのはこの一戦だけです。下総国しもうさこく小篠こざさへ移封後は廃城となり、それ以来400年余りを経た現在も土塁の一部と本丸の郭跡が残っています。特に土塁は室町時代の地方の平城を今に伝える貴重な遺構といえます。

場所:豊川市伊奈町柳38番地
利用日:年中無休
入場料:無料

花ヶ池公園

 徳川家康の祖父、松平清康は三河統一を果たさんとして享禄2(1529)年に吉田城を攻めました。当時の伊奈城主本多正忠まさただは清康に味方して先陣となり吉田城を攻略し、さらに田原城攻めへ向う途中、正忠まさただは清康を伊奈城へ迎え、勝ち戦を祝ってお酒を献じもてなしました。その際、正忠まさただは城内の池(花ヶ池)から採った水葵すいき(日本名ジュンサイ)の葉にさかなを盛って差出しました。これは中国の古典『春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん』に書かれている「明らかな真心があれば谷や沼の水などでも神や王公に捧げ潔さと忠誠心を表す」と云う教訓に習ったものです。清康はこの心づくしに大変喜び「立葵紋たてあおいもん正忠まさただの家紋なり、この度の戦に正忠まさただ最初から味方となり、勝ち戦して吉例なり賜らんと仰せありて」本多家の立葵紋たてあおいもんを望み求められましたので正忠まさただは潔く承諾しました(藩翰譜はんかんふより)。それ以降、立葵紋たてあおいもんは松平清康の家紋となり、今も岡崎の随念寺ずいねんじにある清康の肖像画には立葵紋たてあおいもんが描かれています。その後、この立葵紋たてあおいもんは徳川家康の代に本多家との話し合いの上、葉の部分をデザイン化して三つ葉葵紋になっていったと伝えられています。

場所:豊川市伊奈町丸ノ内84番地1
利用日:年中無休
入場料:無料

 伊奈城趾じょうし公園・花ヶ池公園は、徳川家の家紋「葵の紋」発祥ゆかりの地として、平成6・7年度に「愛知のふるさとづくり事業」の選定を受け整備したものです。

伊奈城趾じょうし公園・花ヶ池公園の位置図

伊奈城趾公園の位置図

花ヶ池公園地図(外部サイトへのリンク新規ウィンドウで開きます)

伊奈城趾公園地図(外部サイトへのリンク新規ウィンドウで開きます)

お問い合わせ

教育委員会 生涯学習課
所在地:441-0292
豊川市赤坂町松本250番地
電話:0533-88-8035 ファックス:0533-88-8038

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豊川市役所

〒442-8601 愛知県豊川市諏訪1丁目1番地 電話:0533-89-2111(代表)
開庁日時:月曜から金曜 午前8時30分から午後5時15分 閉庁日:土曜・日曜、国民の祝日、年末年始(12月29日から1月3日)
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