平井稲荷山貝塚・平井遺跡
更新日:2013年1月4日
明治33年に、この貝塚の発見・発掘者である平井の大林意備(もとよし)翁により学会に発表された縄文晩期の貝塚である。
大正11年には京都帝国大学の清野謙次博士の調査により、人骨が50体以上発見され、全国でも屈指の縄文人骨出土遺跡として知られるようになった。
その後も明治大学や教育委員会などにより発掘・調査が行われ、現在までに約90体もの人骨が確認されている。
ここから出土する土器のほとんどは、縄文時代晩期の指標となっており、「稲荷山式」と命名されている粗製土器である。
平井稲荷山貝塚・平井遺跡