注意書

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(別紙2)実施機関の考え方

意見等

市の考え方

 遊休地を活用して緑地公園を造る事には特に反対することではないが、何かの遺構やモニュメントを新たに作って付け足しに反戦平和を祭り上げる事には少し疑問を感じた。

 現存する遺構などの保存公開は計画していますが、遺構(レプリカ)やモニュメントを新たに作る予定はありません。

 現存する遺構を保存公開し、豊川海軍工廠の歴史を語り継ぐことで、戦争の悲惨さと平和の尊さを市民の皆様並びに後世に伝えることを、豊川市平和公園(仮称)の整備目的としています。

 豊川海軍工廠が米軍の爆撃に遭い多数(約2500名)の犠牲者を出したことは知っていたが、計画書の添付写真の第一火薬庫跡、第三信管置場跡、防空壕跡等から戦争の悲惨さは見えて(伝わって)来なかった。

公園計画地付近は、空襲の被害が比較的少なかった場所であるため、当時の施設が今も残存しています。

写真では戦争の悲惨さは伝わりにくいかもしれませんが、軍需工場であった豊川海軍工廠の実態を将来にわたり伝えるには、その場所に残る実物に勝るものはないと考えます。

これらの遺構を活用し、豊川海軍工廠での出来事を語り継ぐことで、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えていきます。

 現状の遺構をどの様に手を加え作り上げるか知ることはできないが、戦争の遺構は国内にいくらでもある。それでは不十分か?

 遺構については、保存のために必要な処置を施し、現状に近い状態での公開を考えており、大きく手を加えることはしません。

確かに国内には他にも戦争遺跡や遺構が残っていますが、東洋一と謳われた大規模軍需工場が豊川市に存在したことや、そのために爆撃の目標となり、2500名以上という多くの尊い命が失われたことを伝えられる遺構はここにしかありません。

 豊川海軍工廠の爆撃日は、長崎・広島の原爆投下日に挟まれており、全国的にはあまり知られていないのが現状ですが、公園内の遺構を保存公開し、豊川市の歴史を語るのに欠かせないこの出来事を語り継ぎ、全国にも発信する必要があると考えています。

 運動公園(野球場)の前の「平和の像」の前で手を合わせ祈っている人を見たことがない。「平和の像」に対しもう少し市民が豊川海軍工廠での犠牲者の霊を慰めることが先ではないか。「平和の像」への案内、由来の解説、周りの整備に少し手を加える必要はあると思うが。

 基本計画(案)の20ページ、「(9)公園利活用のあり方」、「D周辺施設との連携と公園へのアクセス」に示すとおり、公園の利活用にあたり、「平和の像」などを含む、公園周辺に点在する豊川海軍工廠ゆかりの施設との連携を考えています。

 この考えの中で必要となれば、「平和の像」への案内や解説版の設置なども検討します。

「豊川平和公園(仮称)基本計画(案)」の予算の規模が見当たらないが、いくらかけるか? 予算によって整備の範囲の変化は示されるか?

建物の構造をどうするか、遺構の保存公開のために何をするかなど、今後の調査・検討による不確定要素が多いため、現時点では、事業費を示すことはできません。

整備の範囲(公園の面積)については、現在の土地所有者である名古屋大学と、基本計画(案)に示すもので交渉中ですが、予算によって変化するものではありません。

予算によって変化するとすれば、公園内に整備する建物等の施設の規模等ですが、今後、詳細な検討を進める中で、施設の無駄を省き、経済性も十分に考慮して構造や仕上げの仕様などを検討し、少しでも経済的に整備できるような設計内容としていきます。

 計画を拝見した。立派だと思う。特に遺跡の保存はぜひ実現してほしい。

 第一火薬庫などの遺構につきましては、保存のために必要な処置を施し、現状に近い状態での公開ができるよう、調査検討していく予定です。

駐車場も計画通りのスペースが確保できるとありがたい。

 駐車場につきましては、基本計画(案)の段階では、概ねのイメージで描いていますが、今後の詳細な設計の段階において、必要な駐車台数を算出し、適切なスペースを確保します。