【豊川市文化財保存活用地域計画/パブリックコメント応募HPテキスト版】<本編>

 

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豊川市文化財保存活用地域計画(案)

テキスト版

令和6年〇月、豊川市

 

目次

序章

1、計画作成の背景と目的

2、計画の位置付け

3、計画期間

4、計画の進捗管理と自己評価の方法

5、用語の定義

6SDGsとの関係

1章、豊川市の概要

1、自然的・地理的環境

1)位置と沿革

2)地形

3)地質

4)気候

5)土地利用

6)交通

2、社会的環境

1)人口動態

2)産業別人口

3)農業

4)工業

5)商業

6)観光

3、歴史的環境

1)原始

2)古代

3.)中世

4)近世

5)近代

6)現代

2章、豊川市の文化財の概要と特徴

1、指定等文化財の概要

1)指定文化財・登録文化財

2)その他の設定、認定、登録された文化財

3)未指定文化財等

2、指定等文化財の特徴

1)有形文化財

2)無形文化財

3)民俗文化財

4)記念物

5)文化的背景

6)伝統的建造物群

7)その他

3章、豊川市の歴史文化の特性

1、豊川市の歴史文化の特性

4章、豊川市の文化財に関する既往の把握調査

1、国、県による文化財調査

2、豊川市による文化財調査

3、展覧会のための調査及び展示図録

4、民間団体や個人による調査

5、埋蔵文化財調査

6、把握している文化財の概要

7、市民等の意識調査結果

1)アンケート調査概要

2)市民へのアンケート調査結果概要

3)中学生へのアンケート調査結果概要

4)所有者へのアンケート調査概要

5章、文化財の保存と活用に関する将来像と方向性

1、目指す将来像と方向性

6章、文化財の保存と活用に関する方針

1、文化財の保存と活用に関する現状と課題

1)調査、把握に関する現状と課題

2)学校教育、生涯学習に関する現状と課題   

3保存、保管に関する現状と課題

4)防災、防犯に関する現状と課題

5)次世代の担い手育成に関する現状と課題

6)伝える機会、体制に関する現状と課題

7)情報発信に関する現状と課題

8)文化財の活用に関する現状と課題

2、文化財の保存と活用に関する方針

1)方向性1、「みんなで調べる」

(方針1)調査、把握の推進

(方針2)学びの推進

2)方向性2、「みんなで守る」

(方針3)確実な保存・保管

(方針4)防災、防犯への備え

3)方向性3、「みんなで伝える」

(方針5)伝えるための人づくり

(方針6)情報発信の充実

4)方向性4、「みんなで活かす」

(方針7)あらゆる機会に文化財を活かす

7章、文化財の保存と活用に関する措置

方向性1、「みんなで調べる」ための措置

措置1、既存文化財調査・情報の整理

措置2、調査体制の構築

措置3、学校教育への支援

措置4、生涯学習の推進

方向性2、「みんなで守る」ための措置

措置5、保存の推進

措置6、保管、記録保存の実施

措置7、防災、防火対策への支援

措置8、防犯対策への支援

方向性3、「みんなで伝える」ための措置

措置9、次世代の担い手の育成

措置10、伝える機会と体制の強化

措置11、情報発信ツールの活用

方向性4、「みんなで活かす」ための措置

措置12、活用の機会の創出

措置13、観光資源として活かす

8章、関連文化財群

1、関連文化財群の目的

2、関連文化財群の設定の考え方

3、関連文化財群

関連文化財群1、本宮山や豊川を始めとした自然環境と風土

関連文化財群2、数多く築造された多彩な古墳

関連文化財群3、市域で形成された大江定基伝承

関連文化財群4、近世東海道を中心とした街道交通

関連文化財群5、戦国時代から江戸時代までの支配の変遷を物語る文化財

関連文化財群6、豊川海軍工廠と豊川市

9章、文化財保存活用区域

1、文化財保存活用区域の目的

2、文化財保存活用区域の設定の考え方

3、文化財保存活用区域

10章、文化財の防災・防犯

1、 民俗知、地域知を防災に活かす

2、 防災、防犯に関する現状と課題

3、 防災、防犯に関する方針

4、 防災、防犯に関する措置

11章、文化財の保存と活用の推進体制

1、 推進体制のイメージ

2、 市の体制

3、 各主体との連携体制

資料編

1、 作成経緯と体制

1)作成体制

2)作成経緯

2、 文化財リスト(指定)

3、 文献リスト

4、 現在の豊川市成立までの変遷

5、 豊川市の町名

 

序章

1、計画作成の背景と目的

豊川市は、愛知県南東部の東三河地域に位置する人口18万人余りのまちです。市域の北部には標高789mの本宮山から連なる山々がそびえ、南東部には一級河川の豊川が貫流し、南西部は三河湾最奥部の海岸線に接し、地理的な変化に富んでいます。そのため、古来より陸路、海路、河川交通の盛んな土地で、古代には国府や国分寺、国分尼寺が置かれ三河国の政治、経済、文化の中心地として栄え、近世以降は東海道、本坂通(姫街道)、伊那街道などの街道沿いの町、また豊川稲荷の門前町として発展してきました。

本市は、かつて東洋一と称された豊川海軍工廠の開廠を契機として、昭和181943)年61日に宝飯郡豊川町、牛久保町、国府町、八幡村の31村が合併し、愛知県下で8番目に市制を施行しました。

その後、昭和30年代に八名郡三上村、宝飯郡御油町、平成になって宝飯郡一宮町、音羽町、御津町、小坂井町との合併を経て、現在の市域に至りました。これに伴い旧市町ごとに指定されていた文化財を合わせ、本市に所在する指定文化財件数は、国16件、県32件、市212件の計260件、国登録文化財が17件となりました。また、これら指定文化財以外にも、埋蔵文化財包蔵地や各時代にわたる先人の活動の痕跡、暮らしの記録、記憶や祭礼、風習、特徴的な動植物といった「地域の宝」と言える文化財が数多くみられます。

国指定記念物の御油のマツ並木(御油町)や三河国分寺、国分尼寺跡(八幡町)については、個別に保存管理計画を策定し、公有地化や整備を進めてきました。しかし、それ以外の文化財は、合併後も旧市町で行われてきた保存、活用の継承にとどまっています。

本市では、三河国分尼寺跡史跡公園を始め、豊川海軍工廠平和公園、大橋屋(旧旅籠鯉屋)、菟足神社貝塚公園などを保存整備し、今後は三河国分寺跡、三河国府跡、船山古墳(船山第1号墳)の整備を予定しています。これらを戦略的に活用するためには、本市の文化財行政の指針となる保存活用地域計画の策定が急務になっています。

また、近年では全国的な問題である少子高齢化や価値観の多様化、世界中に蔓延した新型コロナウイルス感染症拡大による祭礼行事の縮小化など、文化財を取り巻く周辺環境が大きく変わりました。その結果、先人たちから受け継いできた地域の文化財を未来に伝えていくための担い手不足が懸念されます。

こうした背景を踏まえ、地域社会総がかりによる文化財の次世代への継承に向けた取組を促進するため、平成312019)年4月に改正文化財保護法が施行されました。今回策定する「豊川市文化財保存活用地域計画」は、この改正文化財保護法の施行に基づく法定計画に位置付けられます。本計画は、地域の文化財の価値や大切さを知ることで市民一人ひとりが豊川市に誇りや愛着を感じ、様々な活動主体が手を取り合い、文化財を次世代へ継承していくためのマスタープランであり、アクションプランを示したものです。

なお、取組の実施にあたっては、本市の様々な行政計画や施策との連携を図り、文化財の保存と活用を進めていきます。

2、計画の位置付け

本計画は、文化財保護法第183条の3に規定される「文化財保存活用地域計画」として作成するもので、「愛知県文化財保存活用大綱」を勘案し、本市のまちづくりの指針であり上位計画である「第6次豊川市総合計画」のほか、本市の教育の指針である「第3期豊川市教育振興基本計画」との整合性を取ります。

また、本市の各種計画のうち文化財の保存活用に関連している主なものとして、「第3次豊川市生涯学習推進計画」、「第3次豊川市都市計画マスタープラン」、「豊川市シティセールス戦略プラン」、「豊川市観光振興推進計画」、「第2次とよかわ文化芸術創造プラン」が挙げられ、これらと連携する計画とします。

さらに、「国指定天然記念物御油のマツ並木保存管理計画」、「史跡三河国分寺跡・三河国分尼寺跡保存管理計画」、「史跡三河国分尼寺跡保存整備基本計画」、「史跡三河国分寺跡整備基本構想」など、これまでに策定した個別計画との整合性を取ります。また、将来的に策定を予定している「国史跡三河国分寺跡保存活用計画」などの個別計画は、本計画を踏まえて策定します。

PDF形式の資料では豊川市文化財保存活用地域計画の国、県、豊川市の位置づけを図で掲載していますが、ここでは省略します。

 

関連計画の概要

6次豊川総合計画

策定年月、平成282016)年3月、令和32021)年3月改訂

計画期間、平成282016)から令和72025)年度まで

まちの未来像を「光、緑、人 輝くとよかわ」と定め、「安全・安心」、「健康・福祉」、「建設・整備」、「教育、文化」、「産業、雇用」、「地域、行政」の6つの政策分野を設定しています。

このうち、「教育・文化」のまちづくりの目標に「あらゆる世代の人が豊かな心を育んでいるまち」を掲げ、「文化芸術の振興」の将来目標として「文化芸術が身近にあふれ、市民が生き生きと心豊かに暮らしているまち」を明記し、この目標を実現するための主な手段の1つに「文化財の保護、保存と活用」を挙げています。

3次豊川市教育振興基本計画

策定年月、令和42022)年3

計画期間、令和42022)から令和82026)年度まで

基本理念に「ともに学び 生きる力を育み 未来を拓く豊川の人づくり」を定めています。
4
つの基本目標のうち、3「豊かな人生を自らが築く学習社会を確立します」において、施策5「文化遺産の継承と新たな文化の創造」を掲げ、主な取組に「文化遺産の保護、活用の環境づくり」、「文化遺産継承の取組の推進」、「平和学習の推進」、「文化芸術の独自性の確立」を設定しています

このうち、「文化遺産継承の取組の推進」では、文化財保存活用地域計画の策定を目指すとともに、文化遺産継承の担い手である子どもたちのふるさと意識の醸成や、官民が協働して文化遺産を保護、継承するための意識の向上に取り組むことを挙げています。

3次豊川市生涯学習推進計画

策定年月:平成282016)年3月、令和32021)年3月改訂

計画期間:平成282016)から令和72025)年度まで

基本理念に「学びが創る ひと、まち、未来 心に彩り 体に潤い 絆で結ぶ とよかわの生涯学習」を定め、基本目標として「豊かな人生を自らが築く学習社会を確立します」を設定しています。3つの施策の方向性のうち、「学びを生かしたまちづくり」では、「学習成果が生きるまちづくりの支援」を掲げ、「市内に数多く存在する地域特有の祭礼や伝統文化を地域住民が相互に協力し、教え合う中で、多世代が交流する機会が生まれます。こうした地域住民の触れ合いの場を大切にしながら、将来にわたり継承していくための支援を行います」としています。

豊川市地域防災計画

定年月:令和62024)年2月修正

災害予防として風水害、地震、津波への文化財保護対策を定め、市民や管理者への防災知識等の普及、文化財レスキュー台帳の作成と保存(保管)状況の掌握、防災、防火設備の設置促進、重要文化財(建造物)の耐震対策などを明記しています。

第2期豊川市まち、ひと、しごと創生総合戦略

策定年月:令和22020)年3月、令和32021)年3月改訂

計画期間:令和22020)から令和72025)年度まで

目指すべき将来の方向に1、「定住、交流、関係人口の増加を図る」、3、「本市の特徴を生かして時代にあった元気な地域をつくる」を定め、歴史、文化や自然などの地域資源の魅力化を図り、観光、交流の促進、関係人口の創出、拡大につなげるための施策の推進や、緑豊かで歴史・文化が豊富な市の特徴を生かした地域づくりのための施策の推進を掲げています。

豊川市シティセールス戦略プラン

策定年月、平成282016)年3

計画期間、平成282016)から令和72025)年度まで

「きらっと、とよかわっ」をキャッチフレーズに定め、3つの基本方針のうち「わがまちのブランド力を高めます」では、文化財に関連したものとして「歴史、文化芸術のバリューアップ」、「祭り、イベントのショウアップ」、「環境・自然のウェイクアップ」を掲げ、各種文化財の利活用を通じたシティセールスに取り組むことを挙げています。

とよかわ市民協働推進計画

策定年月、平成302018)年3

計画期間、平成302018)から令和72025)年度まで

「地域と行政がしっかりと支えているまち」を目標に掲げ、4つの基本方針のうち、文化財保存活用に関して、方針2、「人材育成と協働意識の醸成」において若者ボランティア体験講座を実施し、若者の地域活動への参加促進と意識啓発を図ることを挙げています。また、方針3、「市民活動団体の支援」において、活動団体に公共施設の利用料金減免などを行い、活動拠点の充実を図るとともに、市民活動総合補償制度などによる財政的支援の充実を図ることを挙げています。

第2次とよかわ文化芸術創造プラン

策定年、令和42022)年3

計画期間、令和42022)から令和132031)年度まで

基本理念として「ハートをつなぎアートで育む未来、とよかわ」を定めるとともに、将来像に「文化芸術が身近にあふれ、市民が生き生きと心豊かに暮らしているまち」を設定しています。

5つの基本方針のうち、「つなぐ」では文化芸術の継承支援として「本市で取り組まれている芸術や伝統文化・民俗芸能などの文化芸術活動について、次世代へ継承していくための活動支援に取り組みます」、また、「そだてる」では子どもが文化芸術に触れる機会の拡充として、「小学校、中学校、高校における授業やクラブ活動、アウトリーチ活動について、学校と地域が連携した文化活動を展開します」と挙げています。

豊川市観光振興推進計画

策定年月、令和42022)年3

計画期間、令和42022)から令和82026)年度まで

「きて みて 感じて いいね とよかわ」をキャッチコピーとして、基本方針を「新たなライフスタイルに対応した豊川観光イメージの創出、確立」、「観光産業の持続化、発展」、「誰もが安全、安心、快適に観光ができる環境の整備」、「観光振興施策の推進に向けた体制構築」と定めています。この4つの基本方針において、神社仏閣、自然、景観、歴史、文化などを観光資源とした取組を挙げています。

豊川市環境基本計画2020

策定年月、令和22020)年3

計画期間、令和22020)から令和112029)年度まで

目指す将来像を「環境行動都市 とよかわ 一人ひとりが環境にも人にも優しくできるまちを目指して」とし、環境目標2「豊かな自然と共存するまち」を掲げています。特に山から海まである本市の特性を鑑み取組方針5、自然環境を保全するにおいて、水循環の保全を図ることや、取組方針7自然とふれあいの場、機会を創出するとしています。

第3次豊川市都市計画マスタープラン

策定年月、令和32021)年3

計画期間、令和32021)から令和122030)年度まで

将来都市像に「歴史、文化、自然が息づき 人とまちが輝き続ける持続可能な都市(まち)」を定め、都市づくりの5つの目標のうち文化財に関連したものに、「多様な産業が集積、連携し、歴史、文化を活かした多彩な交流が育まれる都市づくり」、「山並みや田園風景、海や川を守り、都市の個性が輝き、地球環境にもやさしい都市づくり」を設定しています。

分野別の方針「自然環境などの保全及び景観形成の方針」では「歴史、文化的な資源の保全と活用」を掲げ、「市内各所に残る、地域固有の歴史的景観や伝統文化の保全・継承を進めます。特に本市が誇る歴史的景観である御油のマツ並木や豊川稲荷周辺と門前町では、歴史性や風格を感じられる良好な景観形成を図ります」、「三河国分寺跡、三河国分尼寺跡史跡公園、三河国府跡の適切な保全及び活用のための整備、これら歴史・文化的資源の連携強化や周知・PRなどを進めます」としています。

豊川市立地適正化計画

策定年月、平成292017)年2月、令和32021)年3月改定

計画期間、令和32021)年度から令和222040)年度まで

都市の将来像を「歴史、文化、自然が息づき 人とまちが輝き続ける持続可能な都市」とし、4つのまちづくりの方針のうち活力とにぎわいの創出に向けた方針では「豊川らしさの発揮による活力とにぎわいのあるまち」を掲げ、「歴史、文化資源などを活用した新たな交流の拡大」などを挙げています。

豊川市緑の基本計画

策定年月、令和32021)年3

計画期間、令和32021)から令和122030)年度まで

基本理念を「『うるおい』と『にぎわい』にあふれる 緑のまち とよかわ」とし、基本方針1「守る」、豊川らしい緑を守ります、において今日まで守り継がれてきた本市の特徴的な緑を、次世代へ良好な状況で継承するために、適切な保全措置と維持管理により質を維持・向上させ、地域のシンボルとなる歴史の緑を守ることを掲げています。

3、計画期間

計画の計画期間を令和62024)年度から令和152033)年度までの10年間に設定します。ただし、改訂の必要が生じた場合は、令和102028)年度に中間見直しを行います。

なお、計画期間の変更、文化財の保存に影響を及ぼすおそれのある変更、本計画の実施に支障が生じるおそれのある変更をする場合は、改めて文化庁長官の認定を受けます。

また、軽微な変更を行った場合は、当該変更の内容について愛知県及び文化庁へ情報提供します。

6、 計画の進捗管理と自己評価の方法

本計画に示した各種措置については、毎年度自己評価を実施し、計画の進捗状況の把握に努めます。加えて、市文化財保護審議会での確認、評価を受け、PDCAサイクルによる業務改善につなげ、必要に応じて本計画を変更します。

7、 用語の定義

本計画でいう「歴史文化資源」とは、文化財保護法に「文化財」として規定される有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物、文化的景観、伝統的建造物群の6つの類型を基本とし、土地に埋蔵される文化財(埋蔵文化財)や文化財を次世代へ継承する上で欠かせない文化財の材料製作、修理などの伝統的な保存技術のほか、未指定(選定、登録)のものを含みます。また、本市にとって重要であり、次世代に継承していくべき史話と伝承、明治以降の近代化遺産なども「歴史文化資源」として位置付け、それら全体を広義の文化財として扱います。

文化財保護法 (抜粋)

2条 この法律で「文化財」とは、次に掲げるものをいう。

一 建造物、絵画、彫刻、工芸品、書籍、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料(以下「有形文化財」という。)

二 演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で我が国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの(以下「無形文化財」という。)

三 衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗習慣、民俗芸能、民俗技術及びこれらに用いられる衣服、器具、家屋その他の物件で我が国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの(以下「民俗文化財」という。)

四 貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡で我が国にとって歴史上又は学術上価値の高いもの、庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地で我が国にとって芸術上又は鑑賞上価値の高いもの並びに動物(生息地、繁殖地及び渡来地を含む。)、植物(自生地を含む。)及び地質鉱物(特異な自然の現象の生じている土地を含む。)で我が国にとって学術上価値の高いもの(以下「記念物」という。)

五 地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解に欠くことのできないもの(以下「文化的景観」という。)

六 周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの(以下「伝統的建造物群」という。)

8、 SDGsとの関係

SDGsとは、「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」の略であり、平成272015)年9の国連サミットにおいて採択された国際社会の共通目標を指します。17のゴールと169のターゲットから構成され、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」を基本理念としています。

採択から8年が経過した現在において、経済・社会・環境の三側面から統合的に取り組み、持続可能な世界の実現を目指すSDGsが果たす役割はますます大きくなっています。そのため、本計画においても17のゴールを関連づけることで、SDGsを一体的に推進します。

本計画においては、SDGsの「4.質の高い教育をみんなに」、「6.安全な水とトイレを世界中に」、「8.働きがいも経済成長も」、「11.住み続けられるまちづくりを」、「15.陸の豊かさも守ろう」、「17.パートナーシップで目標を達成しよう」の6つのゴールを重視し、これらの達成も意識しながら取組を進めます。

 

1章、豊川市の概要

1、自然的、地理的環境

1)位置と沿革

豊川市は、愛知県の行政区分上の東三河に属し、市域面積161.14㎢で、北に岡崎市、東に新城市、南に豊橋市、西に蒲郡市と接しています。このうち、岡崎市は西三河の行政区分に属していることから、市域北側の市境は東西三河の境界線にあたります。市域南西部には海岸線があり、ここは三河湾の最奥部に位置しています。

本市は昭和141939)年の豊川海軍工廠の開廠を契機として、昭和181943)年61日に宝飯郡豊川町、牛久保町、国府町、八幡村が合併し、愛知県下8番目の市として市制施行しました。

その後、昭和30年代に八名郡三上村と宝飯郡御油町、平成182006)年から平成222010)年にかけて宝飯郡一宮町、音羽町、御津町、小坂井町との合併を経て現在に至ります。

2)地形

標高789mの本宮山は本市の最高峰であり、同時に最北端でもあります。この本宮山から連なる尾根は北部山地と通称され市域の北辺を形成していますが、市域西部を流れる音羽川を境に途切れ、この川に沿う小規模な断層谷が狭小な平坦部をもって岡崎市へ続きます。

市の中央部には市域北東から南西へ緩やかな傾斜をもつ台地が広がり、三河湾に至る前に沖積地に一体化していきます。この台地下には豊川が形成した氾濫原が広がり、豊橋平野の一角をなしています。

豊川の流れは、山地から平野部に移ると蛇行し、豊橋市との境界線となっていますが、過去の流路などの変動により一部で左岸側にも市域があります。

3)地質

本市の地質は、豊川に沿って走る日本最長の断層帯である「中央構造線」によって二分されます。面積的には圧倒的に広い右岸側(内帯)は領家変成岩類の珪質片麻岩や砂質片麻岩からなり、対する左岸側(外帯)は三波川変成岩類の変輝緑岩などがみられます

4)気候

本市の気候は、太平洋岸式の気候区に属し夏は高温となりますが、冬は比較的暖かく、月別平均気温では最高が8月の28.8℃、最低が1月の6.3℃となっています。年間の平均気温は17.3℃で、温暖な気候と言えます。

年間降雨量は1,928oで、7月が最も多くなっています。また、降雪はほとんどありません。

5)土地利用

本市の土地利用状況は、市街地を取り巻くように良好な環境を有する山並みや田園風景、海や川があり、市街地と自然環境が調和した魅力的な都市構造となっています。市域中央部には、かつての豊川海軍工廠の跡地を活用した工業用地があり、それを取り囲む形で住宅用地、さらに外側に農業用地が広がります。

本市の土地利用方針については、第3次豊川市都市計画マスタープランにおいて、「現在の区域区分を基本とし、無秩序な市街地の拡大を抑制することにより、市街地と自然環境や農業環境が調和した土地利用を図ること」としています。

6)交通

本市の主要道路として、近世の東海道に沿う国道1号、小坂井町で分岐して長野県へ通じる近世の伊那街道に沿う国道151ほか、三重県へ通じる国23号があります。また、国道1号から御油町で分岐して静岡県へ通じ、近世の本坂通にあたる通称「姫街道」の名で親しまれている主要地方道国府馬場線及び国道362号や豊橋平野をほぼ一周し、国道1号、国道151号、東名高速道路豊川インターチェンジ、重要港湾三河港などを結ぶ主要地方道東三河環状線があります。

高速道路は、昭和441969)年に開通した東名高速道路が概ね市の中央を東西に貫通し、市域には豊川インターチェンジと音羽蒲郡インターチェンジが設置されています。また、豊橋市と名古屋市を結ぶ国道23号名豊道路には、小坂井御津インターチェンジ、豊川為当インターチェンジ、金野インターチェンジ(仮称)が設置され、令和62024)年度に予定される全線開通に大きな期待が寄せられています。

鉄道では、JR東海道本線が市の南西辺を、JR飯田線が国道151号に沿うように市の南東辺を通

ります。名鉄名古屋本線は国道1に沿うように市の西部を通り、その国府駅から分岐して豊川稲荷駅に至る名鉄豊川線はJR飯田線と名鉄名古屋本線をつなぐ役割を果たすとともに、豊川稲荷(豊川町)への参拝アクセスにも大きく寄与しています。

バス路線は、豊橋駅を起点として市の南側から中心部を経由します。豊川駅より新城方面へはJR飯田線に沿う豊鉄バス経路を基本としています。また、ほかにも市コミュニティバスがあり、交通結節点において市域の鉄道や豊鉄バスに接続しています。

このように、本市は多様な交通体系が形成され、名古屋、東京、大阪といった大都市圏への交通は至便であると言えます。

2、社会的環境

1)人口動態

令和22020)年の国勢調査によると、本市の人口は184,661人で、前回調査から約2,000人増加しており、東三河の市町村では唯一の増加となっています。

人口の構成では、年少人口(0から14歳まで)及び生産年齢人口(15から64歳まで)の割合が低下傾向にある一方で、老年人口(65歳以上)の割合が高まっており、少子高齢化が進行しています。

人口増の要因は、転入が転出を上回る社会増によるもので、特に平成242012)年以降は10年連続で増加しており、転入者の中には外国人も多く含まれます。これに対して出生と死亡の自然増減では、出生者数が死亡者数を下回り自然減となっています。

2)産業別人口

令和22020)年の国勢調査が示す産業別の就業者数では、第3次産業への従事者数が55.6%と最も多く、次いで第2次産業が37.4%、第1次産業が4.9%となっています。経年の傾向では、第1次産業の就業者数は減少、第23次産業の就業者数は増加しています。

3)農業

渥美半島を含む東三河南部地域の農業は、豊川用水の通水など、水利用の環境変化に伴う生産性の向上により、急速に進展してきました。愛知県における農業産出額1位は田原市、2位は豊橋市で、豊川市は3位となっています。市域では大葉、いちご、トマト、スプレーマム、バラなどの施設園芸が盛んで、特にバラの出荷量は国内1位を誇ります。このほかにも、稲作、露地野菜、畜産など多様な農業がバランスよく行われています。しかし、農業従事者の高齢化や後継者不足により農家数は減少傾向にあり、有害鳥獣の被害も深刻化しているなど、農業を取りまく環境は厳しさを増しています。

4)工業

本市は、東京、名古屋、大阪の三大都市圏を繋ぐ高速道路や国道が通じ、交通アクセスも至便であるため、原材料や製品の輸送が重要な工業にとって立地の好条件を満たしています。

市域中央に位置する豊川海軍工廠跡地を利用した穂ノ原工業団地への工場進出は、昭和321957)年から始まり、以来、本市の工業の中心地となっています。また、内陸、臨海部ともに工業団地が展開し、輸送機器、一般機器、電気機器を中心に生産されています。

5)商業

商業の中心地として諏訪地区と豊川稲荷周辺があり、諏訪地区には複合商業施設「プリオ、プリオU」を整備し、豊川稲荷周辺では魅力的な商店街づくりを行ってきました。また、豊川商工会議所を始め、一宮、音羽、御津、小坂井の各商工会の賑わい創出事業などにより、市内各所で賑わい溢れるまちづくりに取り組んでいます。

さらに、令和52023)年4には、名鉄豊川線の八幡駅が立地する八幡地区に東三河最大級のイオンモール豊川が開業しています。

6)観光

本市は鉄道や高速道路などの交通網に恵まれ、名古屋から1時間圏に立地しています。加えて、原始から近代までの歴史文化資源や海、山、川のある自然環境と温暖な気候の中で、バラを始めとする豊富な農水産資源、四季折々の花や樹木を有し、多様な祭礼やイベントを楽しむことができます。しかし、豊川稲荷以外の観光イメージが希薄と言え、初詣の時期に観光客が集中する傾向があります。

観光協会が平成282016)年度から取り組んでいる「とよかわブランド」の認定事業は、本市の優れた地域資源を抽出し、広く豊川市そのものの価値を高め、産業振興、観光推進と地域活性化を図ることを目的とするものです。令和52023)年3月末現在、26件が認定されています。

3、歴史的環境

1)原始

旧石器、縄文、弥生時代

本市における人々の営みは、今から2万年以上前の旧石器時代にさかのぼることがわかっています。この時代は全体を通して寒冷な気候で、海水面は現在よりも100mほど低く、日本列島とユーラシア大陸は陸でつながっていました。

市域で旧石器時代の遺物が出土した遺跡は10箇所以上を数え、これらの遺跡は本宮山に連なる北部山地の山麓に広がる台地上に立地しています。生業の中心はニホンジカやイノシシといった陸上の獣類を対象とした狩猟であり、駒場遺跡(平尾町)では狩りや肉の解体に用いるナイフ形石器、槍の先に装着する尖頭器、皮なめしに用いる掻器など様々な種類の石器が出土しています。また、駒場遺跡の近くを流れる西古瀬川流域の台地上には旧石器時代の石器が出土した遺跡がいくつか所在し、当時の人々の生活域をうかがい知ることができます。

寒冷な旧石器時代が過ぎ、気候の温暖化が進むと縄文時代を迎えます。縄文時代は15千年から29百年前にあたり、土器や弓矢の使用とともにムラを営む定住生活が始まります。縄文時代早期にムラが営まれた天井平遺跡(東上町)の発掘調査では、竪穴建物ほか、落とし穴とみられる遺構も見つかっています。市域において縄文時代の遺跡の状況が判明するのは縄文時代晩期に属するものが多く、大正111922)年の発掘で多くの人骨が出土したことで知られる平井稲荷山貝塚(平井町)や、弥生時代の初めまで継続し多数の土器棺墓(土器を棺として用いた墓)と土偶が出土した麻生田大橋遺跡(大橋町)はその典型例です。

次の弥生時代は水田稲作の開始を契機として始まりますが、市域で稲作が始められたのは約2千年前のことです。弥生時代の遺跡は市域に多く確認し、しかも全時期に及びます。弥生時代前期の遺跡では三河地域や東日本に特徴的な土器が多く出土し、西日本系の土器は限られることから、東日本の影響を受けた地域であったようです。弥生時代中期になると豊川右岸の沖積低地に集落が営まれるようになり、豊富な木製農具が出土した篠束遺跡(篠束町)では炭化米(炭化した稲)が見つかっています。弥生時代後期にはムラごとの戦いが多くなり、市域の欠山遺跡(小坂井町)や山奥遺跡(大木町)では環濠と呼ばれる防御施設としての大きな溝が集落を囲むように掘られています。

弥生時代にはまつりに用いられた銅鐸という青銅器があり、小型の「鳴らす銅鐸」から大型の「見る銅鐸」へと時期により変化がみられます。市域ではこれまでに8点の銅鐸の出土があり、大正131924)年に伊奈町で出土した伊奈銅鐸は3点がまとまって出土し、現在は東京国立博物館に収蔵されています。

古墳時代

3世紀中頃になると現在の奈良県に大型の前方後円墳が築造されるようになり、古墳時代が始まります。前方後円墳自体は6世紀後半には造られなくなりますが、円墳や方墳の築造が終わる7世紀末ころまでを古墳時代といいます。市域の古墳は一宮地区を中心に分布し、その総数は既に滅失したものを含めると430基以上ありますが、その中でもほかと隔絶する規模を有するのは船山第1号墳(八幡町)です。船山第1号墳は5世紀後半に築造された前方後円墳で全長は約95mを測り、市域にとどまらず三河地域でも最大級の前方後円墳に位置付けられます。

市域において30m程度の規模の墳丘を持つ古墳はいくつかみられますが、圧倒的多数を占めるのは古墳時代後期から終末期に築造された径10m前後の小規模な古墳で、総数は300基以上にのぼります。これらはいくつかのまとまりとして群集墳を形成していますが、多くの古墳が造られた背景には死者を埋葬する行為の普及が考えられます。市域の群集墳は本宮山麓の緩やかな斜面やそれに続く扇状地に多く造られ、豊川左岸の旗頭山(金沢町)には同時期の群集墳で県内において東三河に限って分布する積石塚古墳(石を積み上げて造られた古墳)の旗頭山尾根古墳群があります。このほか、市域には三河湾を臨む丘陵や段丘上にもいくつかの古墳が築造されています。そして、これら市域の古墳の発掘調査ではヤマト王権や東海地域、さらには朝鮮半島といった様々な地域との交流を物語る遺構や遺物が見つかっています。

2)古代

飛鳥時代

古墳時代終末期の6世紀末から和銅3710)年の平城京遷都までを飛鳥時代といいます。この頃の市域の状況に関する史料は限られますが、国造(地方の統治を担った豪族)を中心とした地方統治体制においては「穂国造」が存在したと考えられ、また後の宝飯郡は奈良時代の直前には「穂評」と称される時期があったことが都のあった飛鳥の遺跡で出土した木簡から判明しています。

大宝2702)年には持統太上天皇が三河行幸に際して市域に滞在したとされ、これに随行した歌人の歌に詠まれた「引馬野」、「安礼の崎」、「二見」の名称は現在の市域に属する可能性が高いと考えられています。また、この行幸に関連する持統太上天皇ゆかりの伝承地として、持統上皇行在所伝承地(御津町下佐脇)があります。

奈良時代

和銅3710)年の平城京遷都を契機に奈良時代を迎えます。当時の日本は、大宝元(701)年に制定された法体系である大宝律令に基づき天皇を中心とした政治体制を確立させますが、その過程で全国を国、郡、里(郷)という行政単位に分け、それぞれに役人を置いて地方を管理しました。国々には地方行政を執り行う機関として国府が整備され、国司と呼ばれる役人が中央から派遣されました。本市が属した三河国の国府は従来、所在地が定まっていませんでしたが、近年の白鳥遺跡における継続的な発掘調査の結果、総社(白鳥町)周辺に平安時代前半に存続した国庁の存在が明らかとなりました。また、総社周辺では奈良時代の国庁の存在を示唆する羊形硯などの様々な遺物も見つかっています。

天平13741)年の聖武天皇の発願により、各国に国分寺・国分尼寺が建てられました。三河国の国分寺、国分尼寺は国府に近い現在の八幡町に建てられことで、本市は三河国の政治、経済、文化、宗教の中心となりました。

ところで、現在の市域は奈良時代から平安時代の国府所在郡であった宝飯郡の領域に多くが重なります。市域の地名で現在でも続くとみられるものは平城宮などから出土した木簡により判明する例もあり、市の名称の由来である「豊川」のほか、「宮道」、「篠束」、「望理(森)」という郷名も確認できます。また、奈良時代にはわが国最初の私設の公開図書館「芸亭」を設けた石上宅嗣や、漢詩集「懐風藻」の編者と目される淡海三船などの文人国司が三河守としてこの地に赴任していました。

平安時代

延暦13794)年の平安京遷都を迎え平安時代に入ります。奈良時代に設置された三河国府や国分寺・国分尼寺は平安時代中頃には廃絶し律令制に基づく地方統治制度が徐々に機能しなくなりました。

平安時代の市域に関する事柄は正史にはほとんど記載がありませんが、歌枕や説話集から当時のようすをうかがうことができます。例えば、「宮路山」や「しかすがの渡」は歌枕として知られ、『今昔物語集』には犬頭神社(千両町)を思わせる犬頭糸や菟足神社の風祭り(小坂井町)の説話が掲載されています。このほか、『今昔物語集』には三河国司であった大江定基に関する記述もあり、後世に様々な脚色が加えられ、市内の赤坂町や財賀町には愛妾「力寿」とともに語り継がれる伝承が複数残ります。

平安時代前半に編さんされた『延喜式』に掲載された神社を式内社と呼び、市域で御津神社・菟足神社・砥鹿神社の3社の名をみることができます。このうち、砥鹿神社については三河国内で筆頭格の扱いを受けており、千年以上前からこの地域の中心的な神社であったと言えます。

また、鎌倉時代以降に山岳寺院として隆盛を極める財賀寺(財賀町)が、平安時代にはすでに開山していたことが出土した土器や伝世された仏像からわかります。

3)中世

鎌倉時代

源平の争乱を経て鎌倉幕府が成立し、国内には京と鎌倉の2つの拠点ができたことで双方の往来が活発になりました。源頼朝は上洛からの帰路において宮路に一泊し、承久の乱では「音羽川」での戦いが起きるなど、市域は多様な人々が通過する場所となりました。その中には紀行文を残した人物も多く、赤坂(赤坂町)や豊川(豊川町)が宿として利用されていたことや、豊川の渡河地点が時代によって変わっていたことなどがわかります。

源頼朝は諸国に守護を置き、三河国の初代守護は安達盛長が務めています。盛長が建立した寺の1つが財賀寺観音堂であるとされ、史料上でも財賀寺の名は嘉禄元(1225)年には確認できます。また、中世の史料によると財賀寺には西谷・東谷と呼ばれる山内組織があり、多数の坊院群を擁していたことが知られます。

室町時代

三河守護の足利尊氏が後醍醐天皇方と敵対し、市域の八幡宮(八幡町)周辺でも戦いがありました。尊氏は、室町幕府を樹立すると引き続き守護に地方の統轄を行わせました。三河の守護は足利一門が務め、中でも一色氏は範光・詮範・満範・義範(義貫)の460年間在任し、御津神社や菟足神社の造営にも関与しています。義範が将軍足利義教の命で殺されると、細川持常が三河守護となり、甥の成之が後を継ぎました。

市域での鎌倉新仏教の浸透は、室町時代になってからでした。後の大恩寺(御津町広石)となる浄土宗鎮西派の大運寺が了暁によって開かれたのは、文明111479)年です。また、曹洞宗の地方拠点として嘉吉元(1441)年に東海義易が円福山妙厳寺を開創しています。

戦国時代

市域周辺では牧野城、瀬木城、今橋城、牛久保城を築きながら豊川流域に足場を広げた牧野氏、伊奈城を本拠地とした本田(多)氏、長沢を抑えた松平氏などが台頭しましたが、やがて今川氏に従い市域は今川氏の支配下に入りました。そのような中、牛久保に拠点を構えた牧野氏は領地内の社寺を庇護し、鋳物師などの商工業を保護しました。

しかし、永禄31560)年桶狭間の戦いで今川義元が討死すると松平元康(家康)の東三河への侵攻が始まります。最後まで今川方として戦った牧野成定が永禄91566)年に臣従したことにより、家康の三河統一が完了しました。

三河を領した家康は吉田城に酒井忠次を入れ、東三河の支配に当たらせました。永禄101567年、忠次が豊川右岸の干害対策として橋尾村(橋尾町)から取水する用水路を整備したことが松原用水の起源といわれています。

安土桃山時代

家康が関東に移封されると、市域は豊臣家臣の吉田城主池田照政(輝政)の領地となりました。

照政は、領域の豊川沿いの低地における水害の影響を抑えるために、不連続堤防である霞堤(鎧堤)を築いたとされています。

4)近世

江戸時代

慶長51600年の関ヶ原の戦いを制した徳川家康は、翌年から全国支配のために五街道に宿場を設け、街道沿いには一里塚や並木の整備を命じました。市域を貫通する東海道には、近接した位置に御油・赤坂宿が設けられ、両宿場間に松並木(天然記念物御油のマツ並木)が整備されました。江戸時代後期になると、人や物の往来が盛んになり、古代から東海道の脇往還として利用されていた御油の追分から嵩山(豊橋市)を経て見付(静岡県磐田市)に至る本坂通(姫街道)が東海道の付属街道として幕府の管理となりました。そのほかにもこれらの街道と交差して、海と内陸を結ぶ幾筋もの道がありました。江戸時代の終わり頃には秋葉山・鳳来寺山・豊川稲荷(妙厳寺)へ向かう庶民の参詣の道としても使われるようになりました。市域を通る数々の道は近隣のマチやムラ、さらにその先へとつながり、人の交流は文化を育み、物流が富をもたらしました。現在行われている祭礼行事の形式には、この頃に定着したものが多くあります。

また、豊川の舟運も幕府の管轄下に置かれ、川を上下する船荷に課税するための東上分一番所(東上町)が置かれ、御馬湊(御津町御馬)は幕府の三河五箇湊の1つとして陸路や舟運で運ばれてきた年貢米などの積み出し湊となりました。

江戸時代の市域は大名領国地域とは異なり、複数の中、小規模の譜代大名や旗本の領地と幕府領が入り組んだ非領国地域となっていました。東三河の幕府領を治めた代官所は当初牛久保と長沢に置かれましたが、天和21682)年に赤坂に移転し、赤坂代官が三河国内の幕府領の大半を支配するようになりました。その後、幕府領の再編にともない寛政121800)年には遠江中泉代官所(磐田市)配下の赤坂出張陣屋となり、幕末まで存続しました。

5)近世

明治、大正

明治維新を迎え、市域は三河県、伊那県(一部豊橋県、静岡県)、額田県を経て愛知県に編入され、宝飯郡の役所は御油村に設けられました。明治51872)年に学制が発布され教育の制度が整えられると、明治141881)年には全国的にも先駆となる郡立宝飯中学校が国府村に設立されました。

交通面では、東海道線の新橋から神戸間の開通に伴い明治21年(1888)に御油停車場(愛知御津駅)が開業し、明治301897)年には吉田(豊橋駅)から一ノ宮(三河一宮駅)間に豊川鉄道(JR飯田線)が、大正151926)年には愛知電気鉄道(名古屋鉄道)の東岡崎から小坂井(伊奈駅)間が開通しました。鉄道の開通は、多くの人々の移動を促し、御油海岸(御津町御馬)は海水浴避暑地として知られ、豊川稲荷の参詣者も増加しました。

明治221889)年の町村制に伴う大規模な合併を経て、市域は25の村となりました。その後、合併を繰り返し、明治391906)年には511村、大正時代には69村と変遷しました。

従来から市域の産業は、農業が主であり、その中心に行われていたのは米麦作でしたが、政府の殖産興業などにより、養蚕や海苔養殖が行われるようになりました。

昭和(戦前)

明治411908)年に建設工事の始まった豊川稲荷大本殿が昭和51930)年に完成すると、門前町は以前にも増して参詣客で賑わうようになりましたが、翌年には満州事変が勃発し、戦争が影を落とし始めました。昭和141939)年12月には、東洋一の軍需工場といわれた豊川海軍工廠が本野ヶ原に開廠し、それに伴う道路や鉄道、水道などのインフラ整備が急速に進められました。昭和181943)年6月には、軍主導のもと豊川町、牛久保町、国府町、八幡村の三町一村が合併し、愛知県下8番目の市として豊川市が誕生しました。

豊川海軍工廠の敷地は約200haにも及び、最盛期には職員、工員、徴用工員、動員学徒を合わせ5万人以上が勤務する規模へ成長したため、人口も市制施行時の74千人から92千人へと急増しました。しかし、昭和201945)年87日、豊川海軍工廠は米軍の攻撃を受け多くの犠牲者を出し、ほどなく終戦を迎えることになりました。

6)現代

昭和(戦後)

豊川海軍工廠の建設によって誕生した豊川市は、戦後著しく人口が減少し、しばらくの間は財政再建団体に指定され、愛知県の管理下に置かれました。工廠外に建設されていた工場や寮などの関連施設が残されていたことから市役所、学校、病院、引き揚げ者の住宅などへ転用されました。このことにより、諏訪地区に新たな公共空間と居住空間が形成され、豊川市の中心地として発展することになります。

広大な工廠跡地については、昭和30年代になってようやく民間企業への分割払下げが進むとともに新たな工業団地の造成も行われ、本市は工業都市へと変貌していきます。また、工業都市への背景として東名高速道路の開通と豊川インターチェンジの開設もありました。

昭和281953)年の13号台風や昭和341959)年の伊勢湾台風の被害により特に御津地区の沿岸部は甚大な被害を受け、三河湾には頑丈な護岸堤防が構築され、海水浴場としての御馬海岸の景観は変わってしまいました。また、豊川の水害対策として昭和421967)年に豊川放水路が建設されました。この水利用の環境変化は周辺地区の施設園芸化が進むきっかけとなりました。そして、昭和431968)年の豊川用水の通水は渥美半島の農業を大いに発展させ、東三河地域を全国有数の農業地帯へと変えていきました

平成、令和

平成182006)年2月に一宮町、平成202008)年1月に音羽町・御津町、平成222010)年2月に小坂井町と合併し、面積161.14、人口182,512人の新豊川市が誕生しました。古代から交通の要衝であった本市域には、国道1号が東西を貫き、東名高速道路の2つのインターチェンジ、JR2路線と名古屋鉄道の2路線に19の駅があり、それぞれの地区からの首都圏などへのアクセスも良好です。令62024)年度には豊橋市と名古屋市を結ぶ国道23号名豊道路が完成し、3箇所のインターチェンジが設置されます。

このように、本市は交通至便な地域として現在も発展を続けています。

 

2章、豊川市の文化財の概要と特徴

1、指定等文化財の概要

1)指定文化財、登録文化財

本市には令和62024)年3月時点で260件の指定文化財があり、その内訳は国指定16件、県指定32件、市指定212件です。種別としては有形文化財161件、民俗文化財27件、記念物72件で、無形文化財、文化的景観、伝統的建造物群の指定(選定)はありません。

指定文化財の傾向として、三河国分寺跡・国分尼寺跡といった古代の三河国に関する遺跡、戦国時代に市域で勢力を伸ばした牧野氏や、そこに東西から侵攻してきた今川氏・松平氏にゆかりのある社寺や文書、近世の東海道を始めとした交通の要衝に関連する歴史資料などが多く挙げられます。近代では豊川市の市制施行の契機となった豊川海軍工廠に関わる遺跡もあります。

登録文化財には、国登録有形文化財(建造物)が17件あります。なお、愛知県では令和52023)年3月に県文化財登録制度を始めていますが、本市ではまだ登録がありません。

市域には各種別の文化財が広く所在し、中学校区ごとに代表的な文化財を挙げると、東部中校区には豊川稲荷(妙厳寺)や三明寺(豊川町)、南部中校区には牧野氏に関わる文化財、中部中校区には三河国府跡に関わる文化財や財賀寺、西部中校区には御油のマツ並木、音羽中校区には大橋屋(旧旅籠鯉屋)、小坂井中校区には菟足神社、御津中校区には大恩寺や御津神社、一宮中校区には砥鹿神社があり、市域中心部の金屋・代田・中部中校区には豊川市誕生の契機となった豊川海軍工廠の跡地があります。

市指定文化財は212件ありますが、平成の合併前の旧14町における各市町の基準で指定したものを基本的に引き継いでいるため、地域的な偏りや種別の区分が不統一となっています。

2)その他の設定、認定、登録された文化財

市域には、その他の設定・認定・登録された文化財が5件あります。財賀寺の境内林は、平成292017)年度に文化庁の「ふるさと文化財の森」に設定され、境内に広がるヒノキが伝統的な屋根工法である檜皮葺きの原料(檜皮)に供されます。

豊川の利水として近世以降に敷設された松原用水と牟呂用水は、国際かんがい排水委員会(ICID)が設定した世界かんがい施設遺産に平成292017)年度に登録され、新東工業の鋳造用砂型の造形機械が日本機械学会の機械遺産に認定されています。イチビキ株式会社第一工場(御油町)において今でも味噌醸造に使われている丈三桶が令和22020)年度に産業遺産学会の推薦産業遺産に、豊川の治水対策のため昭和401965)年に建設された豊川放水路が令和42022)年度に土木学会の選奨土木遺産に認定されています。

そのほか、平成192007)年度に「美しい愛知づくり景観資源600選」として、三河国分尼寺跡史跡公園を始め10箇所が指定されています。

3)未指定文化財等

旧市町史誌や既存の文化財関連調査、そして市民を対象に実施したアンケート調査などを踏まえ、398件の未指定文化財等を把握することができました。本市における未指定文化財の種別は、有形文化財153件、無形文化財1件、民俗文化財30件、記念物156件、文化的景観9件で、伝統的建造物群2件、文化財保存技術2件があり、そのほか、市独自の設定による歴史文化資源として史話と伝承20件、近代化遺産25件があります。近代遺産については、文化財指定時において、その価値に応じた文化財保護法に規定する類型を検討します。

2、指定等文化財の特徴

市域に所在する文化財について、未指定文化財も含めて文化財類型に沿って特徴をまとめると以下のとおりになります。

1)有形文化財

建造物

指定文化財等は、31です。主に中世から近世までの社寺建築が占めています。

社寺建築では、今川氏、牧野氏に関わる三明寺三重塔(国指定)、八幡宮本殿(国指定、八幡町)、当地域の大工が関わった三明寺本堂(県指定)や星野神社本殿(市指定、平尾町)があります。そのほかには、保存復元工事を経て公開活用している市指定の大橋屋(旧旅籠鯉屋)を始めとした街道沿いの町屋や農家住宅、豊川海軍工廠近く(諏訪西町)から移築された空襲被害を伝える砥鹿神社西参道石鳥居(一宮町)があります。

未指定文化財には、江戸時代に建築された社寺建築、街道景観に寄与し江戸時代から大正までに建てられた民家、神社の鳥居、街道の道標、産業や交通運輸に関わる近代化遺産などがあります。

美術工芸品 絵画

指定文化財は、22件です。寺院が所有する中世の仏教に関わる絵画が大半を占め、大恩寺の絹本著色王宮曼荼羅図(国指定)など、それらの多くは市域の支配に関わる有力者からの寄進と伝えられています。そのほかには、正法寺(赤坂町)の豊臣秀次事件を題材とした関白草紙(市指定)や在原業平を釈迦に見立てた業平涅槃図(市指定)、幕末から明治に当地で活躍した狩野派の絵師加藤元白による東光寺(橋尾町)の絵画(市指定)があります。

未指定文化財には、社寺に残されている江戸時代の牧野氏や今川氏に関わるものと、長崎で南蘋派の画法を学んだ太田山陰の作品などがあります。

美術工芸品 彫刻

指定文化財は、37件です。寺院が所有する仏像彫刻と肖像彫刻、神社所有の狛犬・面があり、そのほとんどが平安時代から室町時代に製作されています。このうち、長福寺(赤坂町)や財賀寺には大江定基にまつわる仏像も伝えられています。

未指定文化財には、社寺に残る江戸時代の仏像彫刻、狛犬、面、そのほかに大江定基の自作と伝えられる肖像彫刻や松永寺(市田町)の鳥居強右衛門磔木像などがあります。

美術工芸品 工芸品

指定文化財は、29件です。平安時代初期に鋳造された国分寺(八幡町)に伝わる銅鐘(国指定)は、古代の三河国分寺または国分尼寺で使用されていました。このほかには、室町時代の仏教にまつわる僧侶の袈裟や柱(拄)杖、神社の祭礼道具があります。

未指定文化財には、社寺に残る中世から近世の懸仏などの金工品があります。銅鐘や鰐口といった金工品の多くは中世から近世にかけて当地域で活躍した牛久保鋳物師によるものです。牛久保周辺における鋳物師の定着は「金屋村」、「鍛冶村」の地名からも確認できます。金屋の中尾家は、江戸時代中期以降は三河釜とよばれた鍋釜の製造元「ナカオ」として西日本一帯で有名になりました。

美術工芸品 書跡、典籍、古文書

指定文化財は、39件です。菟足神社の大般若経(国指定)を始めとした仏教に関わる経典のほか、社寺に伝わる今川氏や牧野氏など戦国時代の領主による安堵状や寄進状、江戸時代の御馬湊の廻船問屋渡邊富秋の著作物や社寺文書があります。なお、市指定の中には古文書に分類できる文化財もありますが、本市では書跡、典籍として指定しています。

未指定文化財には、愛知県史や旧市町史誌編さんのための調査によって目録化された社寺や地域で所有する近世文書のほか、旧家所蔵の文書があります。

考古資料

指定文化財は、6件です。神社や個人で所有する銅鐸のほか、県指定の炭焼平14号墳出土の鳥鈕蓋付台付壺など古墳などから出土し、本市が所蔵する遺物があります。

未指定文化財には、本市で発掘調査の対象としてきた旧石器時代から戦国時代までの出土遺物があります。その中でも、奈良時代から平安時代にかけての三河国府跡、三河国分寺跡・国分尼寺跡に関係した出土遺物は本市を特徴付ける考古資料と言え、羊形硯や緑釉陶製印など全国的にも貴重なものがあります。

歴史資料

指定文化財は、14件です。神社へ奉納された近世の絵馬、地域や個人所有の日記や祭礼の記録があります。

未指定文化財には、近世の社寺棟札や絵馬、村絵図があり、近代の資料としては産業遺産のほか豊川海軍工廠や戦争に関する資料があります。

2)無形文化財

無形文化財の指定はありません。

未指定文化財は、菟足神社の風祭りで売られている縁起物の風車の作製者がいます。

3)民俗文化財

有形の民俗文化財

指定文化財は、12件です。近世を中心とした祭礼に関する道具、農作物を害獣から守る長沢「フロノ下」の猪垣(市指定)があります。

未指定文化財には、近世から近代の市域の人々の営みを伝える三河湾沿岸での漁業や海苔養殖に関する道具、養蚕に関する道具や東海道を始めとした街道沿いの常夜灯や道標などがあります。

無形の民俗文化財

指定文化財は、15件です。砥鹿神社の神事や稲作に関わる田祭りなどの祭礼行事、牧野氏に関わる牛久保の若葉祭(県指定)、大江定基の伝承につながる菟足神社の風祭り(市指定)、地域住民による地歌舞伎のほか、村同士の諍いの和解を祝した躍山境おどり(市指定)があります。これら祭礼行事はそれぞれの地域の生活、文化と密接に関わり、地域住民の心の拠り所として継承されてきました。

未指定文化財には、東三河から遠州地域で盛んに行われている手筒花火や豊川流域で独自に発達した笹踊り、街道沿いで行われる山車を伴う祭礼行事、赤坂の舞台の公演に合わせて客席として設置する小屋掛けなどがあります。

4)記念物

遺跡

指定文化財は、40件です。貝塚や古墳、三河国分寺、国分尼寺跡、三河国府跡といった古代の官衙・寺院遺跡、交通の要衝に築かれた戦国時代の城跡のほか、豊川海軍工廠跡に関する戦争遺跡、伝承地などがあります。

未指定文化財には、縄文時代の集落遺跡から戦国時代の城跡などの埋蔵文化財包蔵地、戦争遺跡、代官の墓、記念碑などがあります。

名勝地

指定文化財は、1件です。牛の滝とその付近の自然(市指定)は、新城市との境界をなす境川にある滝で、周辺にはシダ類を始め暖地林の自然植生が保たれています。

未指定文化財には、平安時代の和歌に詠まれ、現在でも紅葉の名所として多くの登山客が訪れる宮路山があります。

動物、植物、地質鉱物

指定文化財は、31件です。指定文化財の動物には、ナラ類の森林に生息し夏の夕方一斉に鳴きだす財賀寺及び御津山のヒメハルゼミがあります。指定文化財の植物には、御油のマツ並木、社寺林や境内の巨樹、宮路山のコアブラツツジや冨士神社のコバノミツバツツジ自生地があります。指定文化財の地質鉱物はありません。

未指定文化財の植物には、社寺林や境内の巨樹があります。未指定文化財の地質鉱物には、中央構造線の内帯を代表し三河国分寺跡の塔礎石にも使われた領家変成岩類と、外帯を代表し旗頭山尾根古墳群の積石塚に用いられた三波川変成岩類があります。

5)文化的景観

文化的景観として選定を受けたものはありません。

未選定の文化的景観は、江戸時代の東海道や伊那街道、平坂街道、国坂街道の景観のほか、豊川海軍工廠の開廠を契機とした総合体育館横のケヤキ並木や佐奈川の桜と菜の花、市役所周辺の桜並木、豊川から望む本宮山、区画整理事業にともない植樹された西古瀬川の河津桜があります。

また、市域の小中学校の校歌の歌詞には「豊川」、「音羽川」、「本宮山」といった故郷の風景が盛り込まれています。

6)伝統的建造物群

伝統的建造物群として選定を受けた範囲はありません。

未選定の伝統的建造物群は、江戸時代まで遡る建造物は数少なくなっていますが、東海道の御油、赤坂を始め街道の面影を留める建造物や豊川稲荷の門前には戦前からの建造物も遺っています。   

将来的には、戦後発展した商店街の建物群なども伝統的建造物群の対象となり得ます。

7)その他

文化財の保存技術

文化財の保存技術として選定を受けた技術はありません。

今後、調査を充実させていく必要があります。

史話と伝承

本市には、いくつかの史話と伝承がありますが、古くは平安時代に書かれた「今昔物語集」にある三河国司大江定基や犬頭糸に関する説話、江戸時代の地誌や明治以降に編さんされた村誌に書かれた説話などが元になっています。

近代化遺産

近代化遺産には、鉄道の開通に伴う橋脚群、技術革新によって生み出された宝地池の円筒分水(上長山町)や味噌醸造桶などの産業遺産、豊川海軍工廠を始めとした戦争に関わる遺構などがあります。

 

3章、豊川市の歴史文化の特性

1、豊川市の歴史文化の特性

本市は本宮山、豊川、三河湾を始めとした豊かな自然環境に育まれ、古くから交通の要衝として栄えてきました。そのため、東西の様々な文化の影響を受けつつ固有の歴史、文化、風土を醸成してきました。

また、奈良時代に三河国府や三河国分寺・国分尼寺が設けられ古代三河国の中心として栄え、昭和以降は豊川海軍工廠の開廠を契機とした新たなまちづくりが進められ、現在の歴史文化をつくり上げてきました。

本市の歴史文化の特性を整理すると、大きく以下の5項目にまとめることができます。

1、 豊かな自然環境に育まれた歴史文化

2、 古代三河国の中心として栄えた歴史文化

3、 交通の要衝として発展してきた歴史文化

4、 多様な支配の中で培われた歴史文化

5、近現代の歩みを示す歴史文化

1、豊かな自然環境に育まれた歴史文化

本宮山、豊川、三河湾など地理的な変化に富んだ本市では、旧石器時代から人々の営みが続き、豊かな自然環境との共生を経て歴史文化を育んできました。また、市域に数多く築造された多彩な古墳は様々な地域との交流を物語ります。

11本宮山や豊川を始めとした自然環境と風土

市域最高峰の本宮山山頂には砥鹿神社奥宮が鎮座し、古くから信仰の対象として崇められてきました。また、山麓に連なる扇状地や豊川の段丘面には旧石器時代以降の生活の営みが確認でき、広大な山林原野は貴重な自給肥料の採取地として人々の生活を支えてきました。

市域南東部を流れる豊川流域には氾濫作用で発達した肥沃な沖積低地が広がり、米作りを始めとした農業が盛んに行われてきました。この流域の自然堤防上には人々の生活を物語る遺跡が展開し、縄文時代の精神文化を象徴する土偶が多く出土した遺跡や、河口部には広大な干潟の自然環境との共生を物語る貝塚遺跡があります。また、右岸の河岸段丘沿いには湧水地が連なり、ここには砥鹿神社里宮や三明寺、菟足神社といった市域を代表する社寺が建立されています。

12数多く築造された多彩な古墳

市域には古墳時代に本宮山麓の群集墳を中心として430基以上の古墳が造られ、その総数は豊橋市に次いで県下2番目の多さです。

その中でも三河最大級の前方後円墳である船山古墳(船山第1号墳)は、ヤマト王権との関わりを示す先端技術と先進文化を取り入れ、交通の要衝の地に築造されています。圧倒的多数を占めるのは、本宮山麓の緩やかな斜面やそれに続く扇状地に多く造られた古墳時代後期の群集墳です。また、市域には積石塚古墳もみられ、ほかに三河湾を臨む丘陵、段丘上にもいくつかの古墳が造られました。そして、これら市域の古墳から出土した遺物は様々な地域との交流を物語っています。

2、古代三河国の中心として栄えた歴史文化

本市には三河国府、三河国分寺・国分尼寺が置かれ、古代三河国の中心として栄えた歴史文化が今に遺ります。また、『今昔物語集』の三河国司大江定基や三河国の特産品となった犬頭糸の説話は、市域の社寺や現在にも続く祭礼、地名の由来として伝承されています。

21国府、国分寺、国分尼寺から浮かび上がる古代三河国の首府

古代の地方支配体制を担った役所である国府について、市域にはこの地方を治めた三河国府が置かれ、発掘調査によってその所在が明らかとなりました。現在判明している国府の中心施設(国庁)は平安時代を中心に存続したものですが、発掘調査では奈良時代の国庁の存在を示唆する土器類も多数出土し、このなかには全国的にみても貴重な遺物があります。

また、国府の近隣には三河国分寺、国分尼寺とこれらの維持・経営に関連した遺跡群があります。発掘調査によって、三河国の首府として栄えた当時のようすを物語る古代の人々の営みが明らかになりつつあります。

22説話が語る古代の三河

国府には中央から国司(守・介・掾・目)が派遣され、平安時代中頃に三河守であったとされる大江定基に関する記述は同時代資料にも多く残され、仏教界や都の貴族の間では広く知られていました。平安時代の終わり頃に書かれたとされる『今昔物語集』には、三河国司としてこの地に赴任した定基が都から連れてきた妻の死の悲しみの中で見た風祭りが出家の契機となった説話があります。

ところが、鎌倉時代の紀行文には妻は赤坂の女であると書かれるようになります。そして、江戸時代中期の地誌には定基と市域にまつわる伝承が取り上げられるようになり、社寺の由来や文化財の伝来と結び付けられていきました。

ほかにも「今昔物語集」の説話のうち三河国の特産品となった犬頭糸の由来の話は、本市にある犬頭神社や千両という地名とも関係付けられています。

 

市域は東海道や本坂通など幾筋もの街道による陸上交通のほか、三河湾を介した海上交通や豊川の河川交通により発展してきた歴史文化があります。そして、現在でも国道1号を始めとした主要な道路が交錯する本市は交通の要衝であり続けています。

31近世東海道を中心とした街道交通

徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利すると、江戸を起点とした交通網の整備を始め、市域には東海道の御油、赤坂に宿場が設けられました。人々の往来が盛んになると御油で分かれ、浜名湖の北岸を通り、見付宿で東海道に合流する本坂通も東海道の付属街道として、幕府の管理下に置かれるようになります。これらの街道は、江戸時代以前から主要な街道として多くの人や物が行き交っていました。

そのほか東海道の小坂井で分岐し、飯田方面へと向かう伊那街道は江戸時代後期になると豊川稲荷・鳳来寺、秋葉山、善光寺などに続く参詣道としても多くの庶民が通行するようになります。また、同じ分岐点から平坂湊へと向かう海沿いの道は平坂街道と呼ばれ、途中で御馬湊を結んでいます。

人が通行するための道はあらゆるところにありますが、本市域を東西に貫く東海道は古代に遡る公の道であり、近世東海道は江戸と京を結ぶ主要な街道として、街道沿いのムラやマチの文化を育みました。現在でも国道1号を始め主要な道路が交錯する本市は交通の要衝であり続けています。

32海上交通と河川交通

市域の南部は三河湾に接し、豊川、音羽川、佐奈川、御津川、紫川が注いでいます。

「御津」の地名は古代三河国府の外港であったことに由来するとも言われ、持統上皇の三河行幸も往路は伊勢から海路で三河に入国したとされています。江戸時代には、三河五箇湊の一つである御馬湊に幕府領の年貢米が集積され、船積みで江戸に送られていました。市域では、三河湾から伊勢湾を介して古代以前から伊勢を始めとする他地域と文化的なつながりが確認でき、明治の廃仏毀釈の際には法住寺(御津町赤根)の千手観音像を宇治山田から船で運んできたと伝えられています。

また飽海川(豊川)は、古代の東海道の難所の渡し場として「しかすがの渡」が平安時代の和歌に詠まれていました。やがて、豊川に橋が架けられたことで今橋(豊橋市)と呼ばれるようになりました。

江戸時代の吉田川(豊川)は、舟運により三河山間部から下流域の吉田湊と前芝湊まで物資を運ぶ南北の大動脈でした。東上村(東上町)には川を下る船荷物から運上金を徴収するために幕府が設けた東上分一番所がありました。

4、多様な支配の中で培われた歴史文化

戦国時代から江戸時代にかけての市域は様々な支配の変遷がありました。市域各所の祭礼は、支配者の保護を受けつつ地域独自の文化と伝統を育みながら、現在まで伝えられています。

41、戦国時代から江戸時代までの支配の変遷を物語る文化財

戦国時代の市域豊川流域に足場を広げた牧野氏、伊奈城を本拠地とした本田(多)氏、東西三河の境目である長沢を抑えた長沢松平氏などが勢力争いを繰り返しながら、今川氏についで松平(徳川)氏の領国支配に組み込まれていきました。

その後、吉田城主となった徳川家臣の酒井忠次や豊臣家臣の池田照政(輝政)の支配を受けますが、江戸時代には中小規模の譜代大名領や多数の旗本知行所、幕府領となり、市域は一大名による一元的な支配を受けない非領国地域となりました。

天和21682)年に赤坂に代官所(陣屋)が置かれると、三河国内の幕府領の大半を支配するようになりました。

今に遺る岩略寺城跡や牧野城跡などの戦国時代の城館跡、八幡宮や財賀寺などの社寺に寄進された仏像や建造物、関連する古文書や村絵図から本市の支配の変遷を読み解くことができます。

42ムラ、マチの祭礼行事

市域のムラ、マチにはそれぞれの祭りがあり、江戸時代以前に起源を遡る祭礼行事も多くみられます。

笹踊りと呼ばれる太鼓踊りは、新城市から豊川下流右岸を中心に限られた地域(19箇所)に分布しています。古くから伝承のある社の多くは牛頭天王社との関わりが強く、夏の疫病送りに端を発した芸能であるとされています。主に太鼓3人が唐風の衣装に独特な笠を着けて踊ります。

山車の巡行を伴う祭礼行事は、愛知県内に多く残っています。市域では、東海道、伊那街道沿いの6箇所の家並みが連なるマチ場で行われています。山車の起源は、平安時代の祇園御霊会の「山」にあるとされ、疫病や天災をもたらす祟る神を慰め、他界へ送り出すために始まったと伝えられています。古い山車芸能を残すのは、菟足神社の風祭り、牛久保八幡社(牛久保町)の若葉祭、進雄神社(豊川町)夏祭りで、山車の中で稚児が人形のように踊る「隠れ太鼓」が行われています。

祭礼には進雄神社の綱火や手筒花火も奉納されます。特に手筒花火は、東三河から遠州地域で盛んに行われ、市域で戦前から続くところは11箇所あります。現在では25箇所の神社で奉納されるようになり、近世以前の煙火文化の伝統が広く続いています。人が筒を抱えながら花火を放つという勇壮な手筒花火は、通常の打ち上げ花火とは異なり、基本的に保存団体によって手作りされています。その製法については、各団体によって異なり、口伝によって技術継承されています。

5、近現代の歩みを示す歴史文化

本市の近代化を支えた主な産業には海苔養殖と養蚕、製糸がありますが、農業振興も図られました。また、本市の近現代を物語る上で欠かせない豊川海軍工廠は、開廠に伴い整備されたインフラや昭和2019458月の空襲被害を免れた施設、跡地などが現在の本市のまちづくりに大きな影響を与えています。

51近代化を支えた産業

市域の代表的な近代の産業は、海苔養殖と養蚕、製糸です。海苔養殖は、江戸時代の終わり頃から豊川河口の三河湾で始まり、次第に盛んとなり昭和前期には代表的な産地へと発展しました。養蚕は、市域全体で行われ、畑には桑が植えられ各家庭で蚕を飼育していました。登録有形文化財の中村家住宅(篠束町)、大谷家住宅(足山田町)には桑の葉の蓄え場所など養蚕のための施設が残されています。

農業振興も進められ、明治には豊川右岸の灌漑用水として人造石工法(消石灰と真砂土を混ぜた「たたき」を応用した工法)を用いた松原用水の取水口が上流に移転されています。宝地池には農業用水を均等に配分するための円筒分水が昭和中頃に造られ、これは県内で現在でも唯一稼働しているものです。

製造業に関するものは、中世の鋳物師の流れを汲む鋳物業、近世から続く醸造業や油脂業などが近代化を進め発展しました。

52豊川海軍工廠と豊川市

豊川海軍工廠の開廠を契機とした31村の合併により誕生した本市は、海軍工廠に伴うインフラ整備や人口増加などを受けて発展してきました。戦後、海軍工廠の閉廠による急激な人口減少と財政的な基盤を失い、苦しい状況となりましたが、工廠外の被害を免れた建物の転用や跡地への工場誘致、機械類の民間工場への払い下げなどによって、戦後復興を果たすことができました。本市の近現代は海軍工廠なくしては語ることはできません。

現在でも、市役所を始めとした公共施設が工廠施設の跡地に建てられ、道路、水道設備などのインフラをそのまま活用しており、本市のまちづくりに海軍工廠は大きく影響を与えています。

 

4章、豊川市の文化財に関する既往の把握調査

1、国、県による文化財調査

これまでに国と愛知県により市域に所在する各種文化財の調査が実施されています。その一覧は表41に示したとおりで、建造物や民俗文化財を中心に、近代遺跡や中世城館など多岐にわたります。

PDF形式の資料では国、県などによる文化財調査一覧を掲載していますが、ここでは省略します。

また、平成61994)年4月から令和22020)年3月にかけては愛知県史編さん事業が行われ、それに伴う各種文化財調査も実施されました。愛知県史は26年間で全58巻(通史編10巻、資料編36巻、別編12巻)が刊行されたほか、一連の調査の成果は「愛知県史研究」(全24号)にも報告があります。

また、国、県指定の建造物の保存修理工事の際に調査が行われ、修理事業報告書が刊行されています。

2、豊川市による文化財調査

市域の文化財の所在と内容把握については、平成の合併前の14町において文化財の新規指定時にそれぞれ調査を行いました。旧豊川市では昭和441969)年8月に市史編さん事業の一環として石田茂作氏により美術工芸品の悉皆調査が行われています。これ以外に平成の合併前にそれぞれの市史・町史編さん事業などの機会を捉え各種基礎調査を行い、未指定物件も含めた文化財の把握にある程度取り組んでいます。

また、合併に合わせ既指定文化財の現地確認を実施し、市文化財保護審議会に諮りながら市指定文化財の名称などの見直しを行いました。こうした基礎情報を整理した上で、平成252013)年度に市制施行70周年記念事業として合併後の市域の文化財を網羅した一般向けのハンドブック「新版豊川の歴史散歩」を刊行しています。なお、国指定の記念物を中心に、文化財の個別計画や調査報告書、整備報告書を刊行し、文化財の保存、活用に努めています。

しかし、市域の文化財を文化財群として捉えた総合調査や、地域の伝統文化の継承が困難となりつつある祭礼行事や伝統芸能にかかる悉皆調査はこれまで行っておらず、その実施が課題となっています。また、従来は文化財として認識されてこなかった各地区の風土や景観、地名や方言、昔話などの伝承についても、今後は文化財に関連する基礎情報として整理していく必要があります。

3、展覧会のための調査及び展示図録

桜ヶ丘ミュージアムでは、歴史の常設展を行うとともに各種展覧会の開催に際して郷土に関する調査を行い、その成果は図録として刊行しています。また、例年78月には豊川海軍工廠展を実施し、市で所有する各種資料を利活用しています。市生涯学習課所管の展示施設には、民俗資料を中心として年1回の企画展を開催する民俗資料館がありましたが、施設再編に伴い平成292017)年度に閉館しています。

このほか、平成の合併前に供用していた施設として豊川地域文化広場ふるさと資料館(現在の桜ヶ丘ミュージアム)、一宮町歴史民俗資料館、御津文化会館展示室があり、それぞれ展覧会にあたり調査を踏まえて図録を刊行しています。また、平成272015)年度には「私たちの学び舎の歴史展」として市教育委員会が主催した展覧会も実施しています。

4、民間団体や個人による調査

愛知大学綜合郷土研究所を始めとした大学の機関、愛知の産業遺跡、遺物調査保存研究会などの任意団体、社寺や学校、個人によって種々の調査が行われ、報告書が刊行されています。

5、埋蔵文化財調査

市域における埋蔵文化財の発掘調査は、遺跡の有無や内容を確認するための試掘調査、国史跡三河国分寺、国分尼寺跡で行ってきた史跡の保存活用を目的とした確認調査、そして各種開発事業に先立ち滅失する前に実施する記録保存のための事前調査の3種類がありますが、調査の実施件数としては開発事業に伴う事前調査が最多です。

平成101998)年度から豊川西部土地区画整理事業に伴い白鳥遺跡(三河国府跡)、国分寺北遺跡、東赤土遺跡、六光寺遺跡、下六光寺遺跡、船山古墳(船山第1号墳)で事前調査を実施し、一連の発掘調査は令和元(2019)年度にそのすべてが終了しています。今後は、それぞれの遺跡から出土した遺物の整理作業と未刊の報告書作成に向けた作業が残されています。記録保存の成果品でもある発掘調査報告書の早期における全巻刊行に向け、計画的に取り組んでいく必要があります。

また、令和元(2019)年度から令和52023)年度にかけて史跡三河国分寺跡の整備基本計画策定の基礎資料を得るための確認調査を実施しました。このような事前調査や確認調査を並行して滞りなく実施していくには、発掘調査支援業務の民間委託を視野に入れながらも、職員が発掘調査で経験を積む中で、調査指導体制を確保し、調査担当者・監督者の人材育成にも努めていく必要があります。

埋蔵文化財の発掘調査成果については、これまでも機会を捉えて調査期間中に現地説明会を開催し、市民に発掘現場の臨場感を体感していただくとともに、ふるさとの歴史に想いを馳せていただく機会を設けているほか、三河天平の里資料館で速報展を開催してきました。今後は桜ヶ丘ミュージアムとも一層の連携を図りながら、今以上に展示活動や普及活動に活かしていくことが課題となっています。

桜ヶ丘ミュージアムの資料の収蔵スペースは十分と言えず、現在、これら文化財は市内各所の収蔵庫に分散保管しています。今後、市全体の公共施設のファシリティマネジメントの中で、保管場所を確保し、効率的な資料の保存、活用が可能となるよう検討していく必要があります。

6、把握している文化財の概要

本章でまとめたとおり、これまでに本市では1、国、県による文化財調査、2、市による文化財調査、3、展覧会のための調査、4、民間団体や個人による調査、5、埋蔵文化財調査がありました。

これらの調査による文化財の把握状況を中学校区ごとにまとめると表48のようになります。

PDF形式の資料では中学校区ごとの文化財把握状況を掲載していますが、ここでは省略します。

主に市町史誌編さんに伴う調査で市域内をほぼ網羅的に調査していますが、50年近く経過している調査もあります。

なお、無形文化財、名勝地、文化的景観、文化財の保存技術については悉皆調査が未実施で、建造物や近代化遺産の調査も十分とは言えない状況にあります。

7、市民等の意識調査結果

1)アンケート調査概要

本市では、市民や文化財所有者が文化財に対してどのようなイメージや考えを持っているのかを把握するため、アンケート調査を実施しました。

調査対象、令和42022)年101日現在、市内に住所を有する18歳から80歳未満までの市民

調査期間、令和42022)年1013日から117日まで

配布数、2,000

回収数、698人(34.9%)

調査対象、令和42022)年度の市内中学3年生

調査期間、令和42022)年104日から1031日まで

配布数、1,794

回収数、1,471人(82.0%)

調査対象、市域の指定文化財所有者

調査期間、令和42022)年122日から1226日まで

配布数、130

回収数、95人(73.1%)

設問の回答者数を基数として小数点以下第2位を四捨五入しているため、回答比率の合計が必ずしも100%にならない場合があります。

2)市民へのアンケート調査結果概要

1、身近にある文化財への関心とイメージについて

市民の75.4が豊川市に愛着や魅力を感じています。また、市民の52.7が文化財への関心があります。文化財に対して市民の74.5が、「地域の歴史を語るもの」というイメージを持っています。

2、文化財との関わりについて

文化財に関する事業への参加状況は、「地域のまつり」が52.1%で、参加してみたい事業としても「地域のまつり」が高くなっています。

文化財に関する事業への参加機会は、「町内行事」が44.8%となっています。

3、文化財に関する情報の入手方法について

文化財に関する情報の入手方法については、「広報とよかわ」が69.5となっており、次いで「チラシ、ポスター」、「新聞・情報雑誌」が高くなっています。

4、文化財の保存、活用について

文化財の保存・活用の取組について感じていることは、「文化財を知るきっかけとなる事業が少ない」、「情報発信が十分でない」、「若者の興味関心を引き出すことが不足している」との回答が高くなっています。

文化財の保存・活用について重要だと思うことは、「次世代への継承」が57.7となっています。

市民がイメージする身近な文化財を中学校区ごとで整理すると、「豊川稲荷(妙厳寺)」、「財賀寺(仁王門・文殊まつり)」、「砥鹿神社(奥宮・里宮)」、「三河国分尼寺跡(三河天平の里資料館)」、「御油のマツ並木」が全ての校区で挙げられています。合併して10年以上が経過し、これらは市民全体の共通の文化財として認識されていることがわかります。

5、本市の文化財を活用したまちづくりに関する提案、期待、要望など

効果的な情報発信の実施、41

イベントの開催、24

身近に感じる機会の創出、16

文化財や周辺環境の保護・整備、14

観光資源としての文化財の活用、9

祭礼等の機運の向上、8

学校教育との連携、8

文化財を学習する機会の創出、7

文化財の継承に向けた取組の推進、7

今のままで良い、6

その他、26

総計、166

市民へのアンケート調査結果を踏まえた課題

7割を超える市民が豊川市に愛着や魅力を感じていますが、文化財に関心のある市民は5割にとどまっています。

また、文化財の次世代への継承を重要だと感じているものの、文化財との関わりは地域のまつり

や町内行事への参加を除いて、関わる機会が少ないことがわかりました。

現状の文化財の保存、活用の取組について、文化財を知るきっかけとなる事業が少ない、情報発信が十分でない、若者の興味関心を引き出すことが不足している、わかりやすい活動がされていない、どこにあるのかわからない、取組自体がわからないなどの意見が多くありました。これらの課題を解消し、市民みんなで文化財を次世代へ継承する取組が必要と言えます。

3)中学生へのアンケート調査結果概要

1、身近にある文化財への関心とイメージについて

生徒の66.9は、豊川市や中学校区に愛着や魅力を感じていますが、文化財への関心は42.5%となっています。しかし、文化財については、「地域の歴史を語るもの」、「未来へ伝えていくべきもの」、「地域の魅力を高めるための特別なもの」などのよいイメージが先行しています。

2、文化財との関わりについて

文化財に関する学校行事での参加状況は、「地域調べなど」48.7%となっていますが、「参加したことがない」も36.8%あります。

また、学校行事以外では「地域のまつり」が53.7%となっていますが、「参加したことがない」も29.8%あります。

3、若者世代への周知方法について

身近な文化財を若者世代への周知方法については、「マンガやイラストを使った冊子を作る」、「学校行事で見学に行く」、「インターネットで検索できるようにする」がそれぞれ30を越えています。

4、小学校6年生のときに見学した三河国分尼寺跡史跡公園と豊川海軍工廠平和公園の感想について

本市では、平成182006)年度から市内の全小学校6年生を対象とした三河国分尼寺跡史跡公園見学事業を開始し、平成302018)年度からは豊川海軍工廠平和公園を加えた2箇所の見学事業を実施しています。

見学から3年が経過した感想は、「社会科学習の理解が深まった」が50.7%となっています。また、「社会情勢や平和について考えるようになった」と答えた生徒も30.9あり、事業効果が高いことがわかります。

5、文化財を残すことや活用することについての意見

文化財に関するイベントの提案など、18

効果的な宣伝・周知、17

文化財を残す意義や効果を伝える、16

残すことへの期待、15

文化財と接しやすい環境づくり、9

市への予算的な要望、8

文化財を保存する取組の推進、7

若者世代へのアプローチ、7

文化財をモチーフにしたグッズ展開など、5

学校活動への取込、4

観光などと関連させた活用、4

残す必要なし、4

合計、114

中学生へのアンケート調査結果を踏まえた課題

6割を超える生徒が豊川市や中学校区に愛着や魅力を感じていますが、文化財に関心のある生徒は4割にとどまっています。また、文化財は地域の歴史を語るもの、未来へ伝えていくべきものなどのよいイメージを持っているものの、学校行事以外で文化財との関わりは地域のまつりへの参加を除いて、関わる機会が少ないことがわかりました。中学生を始めとした若者世代も興味が沸く事業を検討する必要があります。

また、事業効果の高い6年生を対象とした見学事業の継続に加えて、地域の文化財を学び、理解を深めるため、学校教育とのさらなる連携も必要と言えます。

4、所有者へのアンケート調査結果概要

所有者の86.3%が所有する文化財への誇りや愛着、魅力を感じています。しかし、文化財であることを知らなかったとの回答もありました。

保存や継承については、40.0%が「特に問題ない」としていますが、「防犯、防災」や「継承」への不安が高くなっています。

保存や継承のために重要なことは、「保存に関する診断」や「修理・継承費用への補助」となっており、これらに対する支援を望んでいます。

公開・活用は、可能、日時を特定すれば可能を合わせると72.6%となっています。また、公開、活用に対して望む支援は、「特にない」が52.6となっています。

所有者へのアンケート調査結果を踏まえた課題

8割を超える所有者が所有している文化財に誇りや愛着、魅力を感じていますが、文化財であることを知らない所有者もおり、代表者の交代時における確実な引き継ぎがされていない社寺もあります。

所有者が望む支援は、保存、修理に関する識見や費用補助となっており、既存制度の周知とともに制度内容の充実も必要と言えます。また、防犯、防災の不安、継承者や担い手不足の解消に向けた支援も必要です。

公開、活用については、7割を超える所有者が公開を可能としている一方で、市民へのアンケートでは文化財に関わる機会が少ないとの結果が出ており、その差を埋めることも必要と言えます。

   

5章、文化財の保存と活用に関する将来像と方向性

1、目指す将来像と方向性

本市は、山、川、海といった自然環境に恵まれています。それらを背景として歴史文化が生まれ、先人によって育まれ今日まで伝えられてきました。

本計画の上位計画である第6次豊川市総合計画では、まちの未来像を「光、緑、人 輝くとよかわ」と掲げています。恵まれた自然と歴史、これまでに築かれた豊かさと住みよさを大切にしながら、市民が希望に向かって進む「輝くとよかわ」を目指すとしています。

この「輝くとよかわ」に向かって、市民一人ひとりが様々な立場で関係者と手を取り合い、次世代へと歴史文化資源を引き継いでいくことを本市における歴史文化の保存活用の将来像とし、その実現のため4つの方向性を定めます。

将来像、歴史文化資源をみんなでつなぐ 輝くとよかわ

方向性1、「みんなで調べる」

方向性2、「みんなで守る」

方向性3、「みんなで伝える」

方向性4、「みんなで活かす」

 

6章、文化財の保存と活用に関する方針

1、文化財の保存と活用に関する現状と課題

1)調査、把握に関する現状と課題

現状

本市では、平成の合併前の14町において、文化財指定のための調査や市町史誌編さん事業に伴う調査を行ってきました。しかし、合併前の旧市町で行った調査は、調査内容が統一的ではありません。さらに、調査から50年以上が経過した文化財には、現在の評価と異なっているものや、現状が変化したものもみられます。

このことから、地域に埋もれた文化財の調査研究はもとより、既存の市指定文化財も含め、総合的な再調査の時期に来ていると言えます。また、調査研究にあたっては、専門的な知識を有する職員体制を整え、専門機関などとの連携も必要です。

課題

文化財指定や市町史誌編さんに伴う調査内容の統一が必要

調査時と現況の整合性

大学などの専門機関や県、近隣自治体の専門職員との連携強化

桜ヶ丘ミュージアムや市中央図書館を始めとした庁内の関係部署との連携強化

専門的知識を有する職員の不足

2)学校教育、生涯学習に関する現状と課題

現状

学校教育における郷土学習は、小中学校や高等学校での地域調べがあります。学校独自に地域の歴史に詳しい地域住民を招いて授業を行うほか、出前講座として市職員が学校に出向き地域調べを支援しています。

生涯学習の取組として、各中学校区を担当する生涯学習指導員を配置し、生涯学習センターを中心に地域の歴史や文化に関する地域生涯学習講座を開催して地域への関心を高めています。市中央図書館では、市民個人による地域調べの成果を郷土資料として受け入れ、多くの市民が閲覧できるよう配架しています。

三河国分尼寺跡史跡公園、豊川海軍工廠平和公園、大橋屋(旧旅籠鯉屋)では、ボランティアを養成しガイド活動を行っています。

課題

学校における地域調べの現状と要望の把握

市民の文化財への関心の向上

文化財活用拠点におけるボランティア活動の充実

3)保存、保管に関する現状と課題

現状

各種文化財のうち、重要なものは文化財保護法や愛知県文化財保護条例、豊川市文化財保護条例に基づき指定文化財として保護しています。

文化財の維持管理は指定、未指定に関わらず所有者によって行われ、指定文化財の修繕については国・県・市の補助制度や民間の助成金が活用されています。本市では平成292017)年度に無形民俗文化財伝承支援事業として、衣装、楽器などの小道具に対する補助制度を設け、市指定無形民俗文化財の保存に取り組んでいます。令和52023)年度からは国の地域文化財総合活用推進事業に採択された未指定文化財に対しても市の補助制度の対象とし、支援の拡充をっていますが、資金繰りに苦慮する所有者もいます。

史跡三河国府跡、三河国分寺、国分尼寺跡、天然記念物御油のマツ並木は市が管理団体となり、保存管理計画の策定し、公有地化を図っています。御油のマツ並木においては、昭和471972)年度に地域住民による御油松並木愛護会が発足し、市や専門家と協働して古木の樹勢回復作業やマツ苗の植樹などの保護に取り組んでいます。このほかにも一部の地域においては市と協働し、歴史文化資源の保存・管理に努めている団体や町内会組織があります。

開発行為によって滅失してしまう埋蔵文化財は、発掘調査を実施し出土遺物を保管していますが、記録保存のための報告書の刊行が遅延しています。

また、民俗資料については、民俗資料館(平成29年度廃止)の収蔵資料を市生涯学習課で引き継ぎ、閉園した保育園などを収蔵庫に代用し保管しています。なお、一部の無形の民俗文化財や有形文化財の映像記録については、市中央図書館で記録保存しています。

課題

文化財の適切な保存

所有者や地域団体との協働体制の拡大

出土遺物や民俗資料などの保管場所の確保

未刊行の発掘調査報告書の刊行

映像記録化の促進

4)防災、防犯に関する現状と課題

10章に記載

5)次世代の担い手育成に関する現状と課題

現状

少子高齢化や人口減少により、全国的に伝統文化や祭礼行事を次世代へ伝えるための担い手不足が懸念されています。本市では、急激な人口減少は今のところみられませんが、地域社会との関わり方やライフスタイルの多様化などから伝統行事への参加者は減少しています。文化財や伝統行事について、クラブ活動や総合的な学習の時間で接する機会を設けている小学校もありますが、将来の担い手となる子どもたちに地域の文化財や伝統行事を知ってもらうには、十分な時間が取れているとは言えません。

若者世代の文化財に関する活動は、豊川海軍工廠を題材とした高校生による演劇公演や放送番組の作製、ボランティア養成講座への参加、若者ボランティア体験講座の開催など、少しずつ機会が増えています。

課題

次世代へ伝えるための担い手不足

地域や学校行事における伝統芸能に接する機会の減少

若者世代への働きかけの拡充

6)伝える機会、体制に関する現状と課題

現状

本市では、伝統芸能支援事業として赤坂の舞台伝統芸能公演を実施し、金沢歌舞伎や小屋掛け技術の継承に努めています。本来金沢歌舞伎は地元の祭礼の余興として行われてきましたが、地元の負担だけでは公演が困難となり、唯一の公開の機会となっています。このほかにも市域では豊川流域のみで行われている笹踊りなど伝統芸能もありますが、継承についての現状を把握するには至っていません。

各地域で毎年行われてきた伝統行事の多くは口伝や一部の代表者によって継承されており、新型コロナウイルス感染症拡大の影響による中断は、伝統行事の継承に不安をもたらしています。指定文化財については伝承・記録・公開への補助制度がありますが、活用実績はありません。

地域社会との関わり方やライフスタイルの多様化などにより、市民が身近な文化財に接する機会が減っていることから、まずは文化財の価値や魅力を知る機会の提供が必要であり、文化財活動拠点での展示や地域生涯学習講座などを行っています。

文化財活動拠点のうち、三河国分尼寺跡史跡公園、豊川海軍工廠平和公園、大橋屋(旧旅籠鯉屋)では整備事業に合わせてボランティアを養成し、ガイド活動を行っています。ボランティアの年代別構成は、60代以上が75%、40代から50代が19%、20代から30代が6%となっています。

課題

伝統芸能などの公開機会の維持

伝統芸能などの継承についての現状把握と支援

文化財活用拠点のボランティアの高齢化

7)情報発信に関する現状と課題

現状

文化財の周知方法として、市や市観光協会ではパンフレット類の作成、配布、市広報への掲載、ホームページ、SNS、報道機関への情報提供などを行っています。市や市観光協会以外にも自ら情報発信している所有者もいます。また、駅からの案内板や現地に説明板を設置していますが、デジタル技術の活用には至っていません。

市民への意識調査結果では、豊川市への愛着や魅力を感じている割合に比べて文化財への関心は、市民が5割、中学生が4割にとどまっています。また、市民の7割近くが文化財に関する情報を市広報から入手していることがわかりました。マンガやイラストを使った冊子やインターネットでの情報提供を若者世代への周知方法する意見が中学生から多くありました。

豊川商工会議所では令和52023)年に開業した「イオンモール豊川」内で豊川市や東三河の特産品を扱う地域応援ブランドショップ「豊穣屋」を運営し、特産品とともに市域の観光資源を紹介しています。

課題

文化財への関心の向上

若者世代への情報発信の充実

ホームページなどの効果的な活用

8)文化財の活用に関する現状と課題

現状

本市では、文化財活用拠点施設において資料展示、ボランティアによる案内、各種イベントや講座を開催し、文化財の活用に努めていますが、経年劣化の進んでいる施設もあります。

三河国分尼寺跡史跡公園を小中学校作品展の会場として利用するほか、文化のまちづくり委員会による歴史的建造物を使った演劇公演など、保存を前提としながらも様々な活用が図られています。このほかにも、市域の名所をデザイン化してマンホール蓋や選挙の投票済証に取り入れるなど、活用の幅を広げています。

所有者においても、愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会(通称、愛知登文会)による「あいち建物博覧会」と称した公開事業、境内を貸し出したマルシェの開催などを行っています。また、文化財に因んだ商品を開発し、活用している民間企業もあります。

そのほかに観光資源として市外から注目されることで、市民があらためて身近な文化財の価値に気づくこともあります。観光協会では、「マイストーリーとよかわ」として豊川市の魅力を体験するプログラムの提供や「とよかわ御朱印巡り」を市域の社寺と協力して行っています。さらに、豊川市の優れた地域資源を「とよかわブランド」として認定することで認知度を高めています。

課題

文化財活用拠点の維持管理

文化財を身近に感じてもらえる取組の拡大

文化財を楽しむための活用

観光資源としての魅力の向上

2、文化財の保存と活用に関する方針

1)方向性1、「みんなで調べる」

方針1、調査、把握の推進

既存文化財調査、情報の整理

文化財の調査・把握については、平成の合併前の14町における市町史誌編さん事業や国、県、民間団体などで行われた調査成果を市として統一的な基準で整理するとともに、個々の文化財について現況の把握に努めます。

調査体制の構築

指定・未指定文化財の調査を総合的に実施するため、専門知識を有する職員の計画的な採用とともに、確実な育成に努めます。また、庁内関係部署や大学などの専門機関、県文化財室、近隣自治体の専門職員との連携体制を構築します。

方針2、学びの推進

学校教育への支援

学校教育で取り組む小中学生や高校生の地域調べの現状と要望を把握し、文化財への関心を持つきっかけとなるように各種支援を行います。

生涯学習の推進

市民の地域調べのきっかけづくりやその調査を学術的に高めるために専門的な支援を行います。また、それらの成果や個人の学びが地域に還元される仕組みを検討します。

文化財活用拠点のボランティアの興味、関心を学術的な調査・研究につなげ、施設やガイド活動の充実を図ります。

2)方向性2、「みんなで守る」

方針3、確実な保存、保管

保存の推進

今後の調査により評価が定まった文化財については新規に指定ます。指定文化財については、適切な時期での修理の促進や公有地化による確実な保存に努めます。

また、域ぐるみで文化財の保存に取り組む意識が市全体に広がるように、地域の保存活動への支援を推進します。

保管、記録保存の実施

出土遺物や民俗資料、埋蔵文化財調査に係る記録保存としての報告書を早期に刊行するととともに市町史誌編さんでの収集資料を適切に保管します。

また、市中央図書館の地域情報ライブラリーの活動と連携して映像による記録保存の体制を整えます。

方針4、防災、防犯への備え

10章で記載

方向性3、「みんなで伝える」

方針5、伝えるための人づくり

次世代の担い手の育成

文化財を後世に伝えるため、子どもたちに地域の歴史文化資源を知ってもらう機会を拡充します。また、担い手の底辺拡大のために若者世代への働きかけや市外からの通勤者が本市へ愛着を持ち、担い手として参加する事業を推進します。

伝える機会と体制の強化

伝統芸能や文化財を多くの人に知ってもらう機会を提供し、保存団体への継承の支援を行います。また、ボランティアガイドなど文化財の価値や魅力を伝える人材を関係部署が連携して育成します。

方針6、情報発信の充実

情報発信ツールの活用

市広報への掲載情報の充実を図り、多くの市民にわかりやすく伝えられるように心がけます。デジタル技術を活用し、若者世代が関心を持てるような内容の情報発信に努めます。現地の説明板では不足する情報については、市や観光協会のホームページへ誘導するなどの工夫に努めます。

4)方向性4、「みんなで活かす」

方針7、あらゆる機会に文化財を活かす

活用の機会の創出

市民が文化財に接する機会を数多く持つことで、文化財に対して親しみを感じ、様々な活用の可能性が生まれます。所有者や関係部署との連携にとどまらず、豊川商工会議所を始め市域の多くの民間企業などとも連携を図り、豊川市の魅力を高めます。

また、来館者が快適に見学できるように文化財活用拠点の適切な維持管理を行います。

観光資源として活かす

所有者や市観光協会、関係部署との連携を深め、観光資源として文化財や文化財活用拠点の魅力を高めます。また、地域の食や物産、体験活動などとの組み合わせを検討するとともに、より多くの人々が楽しみながら市域を周遊できるように努めます。

市生涯学習課の文化財活用拠点

三河天平の里資料館(三河国分尼寺跡史跡公園内)

豊川市八幡町忍池1271

古代三河国に関連した出土遺物の展示とともにボランティアガイドの活動拠点となっています。毎年9月にはボランティアガイドや地域と協力し、「天平ロマンの夕べ」と銘打ったイベントを実施しているほか、主に小学生を対象とした工作教室、歴史講座「ふるさと再発見講座」などの開催を通じて史跡の活用に努めています。

豊川市平和交流館(豊川海軍工廠平和公園内)

豊川市穂ノ原三丁目132

豊川海軍工廠語り継ぎボランティアの活動拠点として、豊川海軍工廠についての説明を行っています。87日には語り継ぎボランティアとの協働で「折り鶴に平和の祈りを」、平和に因んだ親子向けの工作講座や海軍工廠に関する専門講座を開催し、冬季には名古屋大学の協力を得て、研究所敷地内の工廠の残存遺構の見学会を行っています。

豊川市大橋屋(旧旅籠鯉屋)

豊川市赤坂町紅里1271

東海道の赤坂宿の旅籠屋を復元改修し、公開している施設です。赤坂宿ボランティアガイドが常駐し、音羽生涯学習センター内の赤坂宿場資料室の展示等も併せて案内しています。江戸時代の日本の四季を感じられる事業の開催、地元町内会と協働したウォークラリーや祭礼行事と連携したイベントなどを行い、文化財建物の活用に努めています。

御油の松並木資料館

豊川市御油町美世賜183

市商工観光課の所管している観光施設です。御油宿と御油のマツ並木に関する展示を行っています。

桜ヶ丘ミュージアム

豊川市桜ヶ丘町792

市文化振興課の所管している美術博物館施設です。常設展示において指定文化財などを展示しているほか、歴史や美術に関する企画展を年数回開催しており、市内外からの利用があります。

ぎょぎょランド

豊川市市田町東堤上1番地30

公園緑地課の所管している水生生物の展示施設です。豊川にすむ生き物を河口から上流にかけて約1002,000匹を展示しています。国指定天然記念物のネコギギもいます。

 

7章、文化財の保存と活用に関する措置

文化財の保存と活用に関する方針を踏まえた措置は以下のとおりです。

取組主体、財源及び取組年度を示し、第5章に示した将来像「歴史文化資源をみんなでつなぐ 輝くとよかわ」の実現に取り組みます。なお、財源としては、取組主体の自己財源や市費だけでなく、県及び文化庁補助金や内閣府のデジタル田園都市国家構想交付金などを活用します。

方向性1、「みんなで調べる」ための措置

方針1、調査、把握の推進

1番の事業名は、文化財台帳の整理です。

合併前に各市町で作成した文化財台帳を、現況確認を実施し、統一的な様式で整理し直す。

新規事業で取組主体は生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和9年度までです。

2番の事業名は、指定文化財等の評価の更新です。

指定後に国、県、市、民間団体などで行われた調査成果や現在の評価を文化財台帳に追記する。

新規事業で取組主体は生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和9年度までです。

3番の事業名は、市文化財保護審議会の開催です。

市文化財保護審議会において、内容の確認や評価について適切な指導・助言を得る。

継続事業で取組主体は文化財保護審議会、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

措置2、調整体制の構築

4番の事業名は、調査のための庁外連携です。

大学などの専門機関や県文化財室、近隣自治体との連携体制を整え、必要な協力、助言を得て調査を実施する。

拡充事業で取組主体は大学などの専門機関、専門家、生涯学習課、他市、愛知県、財源は市、愛知県、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

5番の事業名は、調査のための庁内連携です。

桜ヶ丘ミュージアムと連携体制を整え、調査成果の共有を図る。

拡充事業で取組主体は生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです

6番の事業名は、専門職員の確保と人材育成です。

埋蔵文化財や歴史の専門知識を有する職員の計画的な採用に努めるとともに、国・県・奈良文化財研究所などで行われる専門的な研修へ参加することで人材育成を図る。

継続事業で取組主体は生涯学習課、人事課、財源は市、全国史跡整備市町村協議会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

方針2、学びの推進

措置3、学校教育への支援

7番の事業名は、地域調べ学習の支援です。

小中学校の地域調べに係わる手引きを作成し、児童、生徒が自ら調べることで興味関心を持てるよう支援する。

拡充事業で取組主体は小中学校、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

8番の事業名は、高等学校と連携した取組です。

高等学校の文化財に関する学習やクラブ活動の状況を調査し、必要な協力や支援を検討する。

新規事業で取組主体は高等学校、生涯学習課、財源は市、高等学校、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

措置4、生涯学習の推進

9番の事業名は、地域調べの手引きの作成です。

市民が図書館を利用し、自ら地域調べに取り組むための手引きを作成する。

新規事業で取組主体は中央図書館、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

10番の事業名は、地域調べの推進です。

個人の歴史学習や地域調べのきっかけづくりや支援を行い、学びの蓄積を市中央図書館の郷土資料や地域生涯学習講座の講師として多くの市民に還元できるような仕組みを整える。

拡充事業で取組主体は市民、生涯学習課、中央図書館、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

11番の事業名は、ボランティアとの共同調査です。

三河国分尼寺跡史跡公園・赤坂宿・豊川海軍工廠平和公園のボランティア活動の一環として、ガイド活動の充実を目的とした協同調査を行う。

継続事業で取組主体はボランティア、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

方向性2.「みんなで守る」ための措置

方針3、確実な保存、保管

措置5、保存の推進

12番の事業名は、文化財の新規指定です。

未指定文化財の追加調査や資料収集を進め、市として重要なものを新規に文化財指定することで、文化財の保護を図る。

継続事業で取組主体は文化財保護審議会、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

13番の事業名は、文化財保護用地などの公有地化です。

国指定史跡や国指定天然記念物御油のマツ並木について、国庫補助事業を活用し文化財保護用地として土地の公有地化を進めることで、文化財の保護に努める。

継続事業で取組主体は生涯学習課、財源は市、国、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

14番の事業名は、協働による文化財の維持管理です。

所有者と地域団体や市民が一緒になって維持管理することで、地域への愛着のきっかけや地域活動の活性化を推進する。

継続事業で取組主体は市民、所有者、地域団体、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

15番の事業名は、文化財の維持管理に対する支援です。

所有者が行う日常的な維持管理に加え、大規模な修理などに対して助言・指導を行うとともに、補助金交付や民間の助成金を周知する。

継続事業で取組主体は所有者、生涯学習課、財源は市、国、愛知県、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

措置6、保管、記録保存の実施

16番の事業名は、資料の適切な保管です。

発掘調査による出土遺物、寄贈を受けた民俗資料、市町史誌編さん時に収集した資料などの適切な保管に努める。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

17番の事業名は、映像記録の作成と収集です。

映像記録の作成を継続するとともに、市民から提供された映像記録を収集し、保管する体制を検討する。

拡充事業で取組主体は、市民、中央図書館、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

18番の事業名は、発掘調査報告書の刊行です。

職員体制を整えるとともに、デジタル機器などの活用を図り、計画的に発掘調査報告書を刊行する。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度です。

19番の事業名は、保管に関する庁内情報の共有化です。

桜ヶ丘ミュージアムに寄託・寄贈された文化財や市中央図書館(地域情報ライブラリー)の映像による記録保存資料の情報を共有する体制を整える。

新規事業で取組主体は、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、中央図書館、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

方針4、防災、防犯への備え

措置7、防災、防火対策への支援

10章に記載

措置8、防犯対策への支援

10章に記載

方向性3、「みんなで伝える」ための措置

方針5、伝えるための人づくり

措置9、次世代の担い手の育成

21番の事業名は、小学6年生見学事業です。

市域の全小学校6年生を対象に実施している三河国分尼寺跡と豊川海軍工廠平和公園の見学事業を継続的に実施する。

継続事業で取組主体は、ボランティア、小中学校、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

21番の事業名は、小中学校・高等学校向け出前講座の開催です。

小中学校の社会科・総合的な学習の時間や高等学校の授業やクラブ活動として活用できる出前講座のメニューの充実を図る。

継続事業で取組主体は、ボランティア、小中学校、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

22番の事業名は、伝統芸能などの体験事業です。

県が実施する伝統文化出張講座や小中学校でのクラブ活動、総合的な学習の時間を活用し、地域の伝統芸能などを体験する機会を提供する。

継続事業で取組主体は、ボランティア、小中学校、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

23番の事業名は、若者ボランティア体験講座の開催です。

若者を対象としたボランティア体験講座「とよかわボラナビ」を開催し、体験メニューとして三河国分尼寺跡史跡公園で行う「天平ロマンの夕べ」などの文化財と接する機会を提供する。

継続事業で取組主体は、市民、市民協働国際課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

24番の事業名は、市職員研修の実施です。

本市の文化財を行政全体として業務の中で活かすために、市職員研修のプログラムに取り入れる。継続事業で取組主体は、人事課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

25番の事業名は、文化財の公開、展示です。

所有者や文化財活用拠点での文化財の公開、展示をより効果的に実施するために、市中央図書館のコラボ展示も含め、相互に連携する体制を整える。

継続事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、中央図書館、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

26番の事業名は、愛知県民の日、あいちウィーク、ラーケーションの日に伴う事業です。

文化財活用拠点において、あいち県民の日、あいちウィーク・ラーケーションの日に対応して平日に県内の小中学生向けに常時体験や学びができるメニューを検討する。

新規事業で取組主体は、小中学校、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

27番の事業名は、伝統芸能公演の実施です。

赤坂の舞台伝統芸能公演を継続し、小屋掛け技術の継承と金沢歌舞伎などの伝統芸能団体の公演機会を確保する。

継続事業で取組主体は、所有者、団体、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

28番の事業名は、地域生涯学習講座の開催です。

生涯学習センターを拠点に生涯学習指導員などと連携し、地域生涯学習講座を通して多くの市民に地域にある文化財を伝える。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

29番の事業名は、まちづくり出前講座の実施です。

多くの市民が文化財への理解や地域への愛着を深められるようなまちづくり講座を実施する。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

30番の事業名は、ボランティア養成講座の開催です。

三河国分尼寺跡史跡公園ボランティアガイド、豊川海軍工廠語り継ぎボランティア、赤坂宿ボランティアガイドの養成講座を定期的に開催し、継続的にボランティアを養成する。

継続事業で取組主体は、市民、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

31番の事業名は、ボランティアとの連携体制の構築です。

文化財活用拠点、市観光協会、市商工観光課のボランティアなどが相互に連携する体制を整える。新規事業で取組主体は、ボランティア、観光協会、生涯学習課、商工観光課、財源は市、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

32番の事業名は、公有地化した史跡の整備です。

公有地化した史跡の本質的な価値を伝えるための整備を行う。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、国、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

32番の事業名は、公有地化した史跡の整備です。

公有地化した史跡の本質的な価値を伝えるための整備を行う。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、国、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

33番の事業名は、継承に関する補助の実施です。

指定文化財に対する公開、伝承、記録作成に係る補助制度を周知して利用を促す。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、国、愛知県、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

方針6、情報発信の充実

措置11、情報発信ツールの活用

34番の事業名は、市広報への掲載です。

市広報を通じ文化財の情報発信に努める。

継続事業で取組主体は、秘書課、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

35番の事業名は、町内会電子回覧板の活用です。

町内会電子回覧板を活用し、地域の文化財情報などを町内会員向けに発信する。

継続事業で取組主体は、町内会、市民協働国際課、財源は町内会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

36番の事業名は、SNS、広報大使の活用です。

あらゆる世代や市内外に本市の魅力を伝えるため、SNSや広報大使などを活用した情報発信に取り組む。

拡充事業で取組主体は、元気なとよかわ発信課、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

37番の事業名は、文化財パンフレット、ガイドブックの作成です。

小中学生向けに、イラストやわかりやすい表現を用いたパンフレット、ガイドブックを作成し、文化財の周知を図る。

新規事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

38番の事業名は、現地説明会などの開催です。

遺跡の発掘調査、建造物調査の現地説明会や豊川海軍工廠跡地見学会など、直接文化財に触れる機会を提供する。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

39番の事業名は、文化財に関するホームページの充実です。

市のホームページ内の文化財関連ページを充実させるとともに、市観光協会のホームページとも連携し、市内外からの見学者への便宜を図る。

拡充事業で取組主体は観光協会、生涯学習課、財源は市、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

40番の事業名は、文化財説明板の整備です。

説明板の必要な箇所への新設と旧市町で設置された説明板について、更新の機会に統一的なデザインに改める。また、二次元コードなどで市や市観光協会のホームページと連携し、より多くの情報発信に努める。

拡充事業で取組主体は、生涯学習課、商工観光課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

方向性4、「みんなで活かす」ための措置

方針7、あらゆる機会に文化財を活かす

措置12、活用の機会の創出

41番の事業名は、シンボルマークの活用推進です。

文化財を身近に感じてもらうため、地域を代表する文化財をシンボルマーク化し、様々な場面で活用する。

継続事業で取組主体は、民間企業、行政、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

42番の事業名は、歴史的建造物などの活用です。

登録建造物への映画やドラマのロケの誘致、演劇の公演など多種多様な活用方法を検討する。

拡充事業で取組主体は、所有者、観光協会、文化協会、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

43番の事業名は、ウォーキングイベントの開催です。

様々な取組主体が文化財情報を共有し、文化財を活用したウォーキングイベントを開催する。また、ウォーキングイベントに合わせて所有者が実施する文化財の公開などを支援する。

拡充事業で取組主体は、所有者、観光協会、地域団体、民間企業、生涯学習課、商工観光課、保健センター、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

44番の事業名は、史跡公園でのイベントの実施です。

三河国分尼寺跡史跡公園における市民参加型の「天平ロマンの夕べ」を継続実施するとともに、ほかの史跡公園においても、市民参加型のイベントの開催を検討する。

拡充事業で取組主体は、市民、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

45番の事業名は、文化財を活かしたオリジナル商品の開発です。

豊川商工会議所や商工会の会員による文化財を活用したオリジナル商品の開発や、市観光協会が認定する「とよかわブランド」を活かした土産品の開発を推進する。

拡充事業で取組主体は、商工会議所、商工会、財源は商工会議所、商工会、民間企業、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

措置13、観光資源として活かす

46番の事業名は、文化財活用拠点の魅力の向上です。

文化財活用拠点の定期的な維持管理に加え、美装化や活用に努める。

継続事業で取組主体は、所有者、観光協会、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、商工観光課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

47番の事業名は、各種イベントの開催です。

所有者と市観光協会などが連携して、文化財の活用や体験を取り入れた様々なイベントを開催し、市民や観光客が訪れる機会を提供する。

継続事業で取組主体は、市民、所有者、観光協会、民間企業、財源は観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

48番の事業名は、周遊ルート観光の促進です。

自動車や公共交通機関を利用した魅力的な周遊ルートを所有者と連携して新たに設定し、アクセス方法や駐車場の確保を検討する。

拡充事業で取組主体は、所有者、観光協会、商工観光課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

49番の事業名は、豊川稲荷門前の活性化です。

豊川稲荷の午年開帳(2026年)と大開帳(2030年)に合わせ、門前の活性化を図るとともに歴史的資源の活用を検討する。

継続事業で取組主体は、観光協会、商工会議所、都市計画課、市街地整備課、商工観光課、財源は市、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

50番の事業名は、年間を通じた観光資源の収集と発信です。

四季に合わせた自然や手筒花火、山車巡行などの祭礼行事の情報を収集し、年間を通じた観光情報を市外に発信する。

継続事業で取組主体は、観光協会、商工観光課、財源は市、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

51番の事業名は、自転車道の整備です。

自転車を移動手段とした見学者向けに、自転車道の整備を検討する。

新規事業で取組主体は、行政、財源は市、国、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

 

8章、関連文化財群

1、関連文化財群の目的

関連文化財群とは、市域に点在する多種多様な文化財を地域の歴史文化の特性と関連付け、一定のまとまりとして捉えるものです。指定や未指定、また文化財保護法の類型外の文化財も関連文化財群の構成要素として位置付け、文化財の多面的な価値や魅力を見つけることを目的としています。

2、関連文化財群の設定の考え方

3章で示した歴史文化の特性について、あらためて一覧としてまとめると表81のとおりとなります。これら5項目10のテーマにわたる特性のうち、実際に見ることができる、評価が定まっている、見学者への利便性が図られている、関連する要素が市域内に広く認められるという観点から6つの関連文化財群を設定します。

3、関連文化財群

関連文化財群1、本宮山や豊川を始めとした自然環境と風土

関連文化財群2、数多く築造された多彩な古墳

関連文化財群3、市域で形成された大江定基伝承

関連文化財群4、近世東海道を中心とした街道交通

関連文化財群5、戦国時代から江戸時代までの支配の変遷を物語る文化財

関連文化財群6、豊川海軍工廠と豊川市

関連文化財群1、本宮山や豊川を始めとした自然環境と風土

本宮山は市域最高峰で、この山麓に連なる扇状地や段丘面の広大な山林原野は人々の生活を支えてきました。本宮山の眼下には豊川が流れ、肥沃な土壌や豊かな生物相の形成という恩恵を受けるとともに、地域住民にとっては水害が生活を脅かす存在でもありました。また、豊川右岸の河岸段丘に沿った湧水地には市域を代表する社寺が建立され、縄文時代以来の人々の営みもありました。

こうした本宮山や豊川を始めとした自然環境と風土というテーマから文化財を抽出すると、表82のとおりになります。

PDF形式の資料では関連文化財群1の構成要素一覧を掲載していますが、ここでは省略します。

 

現状

本宮山は本市を代表する名所であり、市域東部の小中学校の校歌としても歌われる故郷の景観となっています。

豊川が形成した段丘崖下はかつて、豊富な湧水に恵まれていました。社寺の境内林の日常的な管理は、所有者によって行われていますが、大和の大いちょうについては市公園緑地課が管理し、市観光協会によって毎秋にライトアップなどのイベントを行っています。

豊川河口部の菟足神社貝塚については、令和52023)年度に菟足神社貝塚公園として開園し、説明板を設置して見学者の便宜を図っています。

課題

遺跡への説明板の設置と見学者に向けた情報発信

発掘調査の成果や出土遺物の活用

巨樹や社寺の境内林の専門的な診断を踏まえた保護

菟足神社貝塚公園の市民への周知と活用

関連文化財群を活かした魅力的な周遊ルートの検討

方針

本市を代表する景観である本宮山や豊川を始めとした自然環境と風土を関連文化財群として活用するために関係者と連携したイベントを開催します。説明板の未設置個所には新設し、説明板では伝えきれていない発掘調査の成果や出土遺物については、市ホームページに掲載し、説明板と連携させ活用を図ります。樹木については、県の事業を活用し、専門的な診断が受けられるようにします。また、菟足神社貝塚公園を地域に親しまれ、学習の場となるような活用を図ります。

関連文化財群1に関する措置

11の事業名は、説明板の整備です。

説明板未設置の遺跡に説明板を新設し、合わせて二次元コードを活用し発掘調査の成果や出土遺物を掲載した市ホームページへ誘導することで、情報提供を図る。

拡充事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和10年度までです。

12の事業名は、菟足神社貝塚公園の周知と活用です。

地域と連携した美化活動や小中学校の学習の場としての活用を図る。

拡充事業で取組主体は、市民、小中学校、地域団体、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

13の事業名は、とよかわ御朱印巡りの実施です。

とよかわ御朱印巡り(砥鹿神社里宮・奥宮・籰繰神社・花井寺・三明寺・五社稲荷社・菟足神社)を通して、関連文化財群の周知を図る

継続事業で取組主体は、所有者、観光協会、財源は観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

14の事業名は、ふるさと樹木診断の実施です。

巨樹、名木などのうち、樹勢の衰えているものについて県林務課が行う樹木診断事業を活用し、保護に取り組む。

継続事業で取組主体は、所有者、愛知県、公園緑地課、財源は愛知県、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

15の事業名は、ウォーキングイベントの開催です。

様々な取組主体が文化財情報を共有し、文化財を活用したウォーキングイベントを開催する。また、ウォーキングイベントに合わせて所有者が実施する文化財の公開などを支援する。

拡充事業で取組主体は、所有者、観光協会、地域団体、民間企業、生涯学習課、商工観光課、保健センター、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

16の事業名は、出土遺物の活用です。

こざかい葵風館や桜ヶ丘ミュージアムでの出土遺物展示とともに市ホームページなどで写真を公開する。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

関連文化財群2、数多く築造された多彩な古墳

市域には本宮山麓を中心に430基以上の古墳が造られ、この中でも八幡町に所在する前方後円墳の船山古墳(船山第1号墳)は三河地域最大級の規模を誇ります。このほかには積石塚古墳もあり、市域の古墳から出土した遺物は様々な地域との交流を物語ります。

こうした数多く築造された多彩な古墳というテーマから文化財を抽出すると、表83のとおりになります。

PDF形式の資料では関連文化財群2の構成要素一覧を掲載していますが、ここでは省略します。

現状

船山古墳(船山第1号墳)、炭焼(平)古墳群、丸塚古墳群(2号墳)、赤塚山第1号墳は公有地化し保存を図っています。

船山古墳(船山第1号墳)では、復元した埴輪棺の現地(豊川信用金庫国府支店上宿出張所)展示や剥ぎ取り土層断面の三河天平の里資料館での常設展示を実施しています。また、船山古墳(船山第1号墳)は地元団体により草刈や清掃活動が行われ、地域行事の場として活用されています。

赤塚山公園整備に合わせて発掘調査をした赤塚山第1号墳は園内に保存され、市公園緑地課が公園の一部として管理しています。このほかの古墳も発掘調査や墳丘測量、出土遺物の調査によって実態の把握がある程度進んでいます。

課題

船山古墳公園(仮称)の保存活用における地域との連携

説明板の設置と見学者に向けた情報発信

関連文化財群を活かした魅力的な周遊ルートの検討

方針

数多く築造された多彩な古墳を関連文化財群として活用するために関係者と協力したイベントを開催します。古墳は古くから地域のシンボルとなっていることから、古墳の保存、活用については地域と連携して行っていきます。また、市所有地内や市が管理する古墳について、関係各課で協力し、古墳を知ってもらうための説明板の設置を含めた情報発信や活用を検討します。

関連文化財群2に関する措置

21の事業名は、船山古墳公園(仮称)の保存・活用です。

船山古墳公園(仮称)の整備に合わせて、地域団体と協働した保存、活用の取組を検討する。

拡充事業で取組主体は、市民、地域団体、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和9年度までです。

22の事業名は、関連文化財群の活用です。

赤塚山公園などの季節のイベントに合わせて、古墳見学など関連文化財群の活用を検討する。

新規事業で取組主体は、観光協会、生涯学習課、財源は観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

23の事業名は、公有地における未調査古墳の活用です。

公有地における未調査古墳の活用に向けた取組を検討する。

新規事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和10年度から令和15年度までです。

24の事業名は、説明板の整備です。

説明板未設置の遺跡に説明版を新設し、合わせて二次元コードを活用し発掘調査の成果や出土遺物を掲載した市ホームページへ誘導することで、情報提供を図る。

拡充事業で取組主体は、生涯学習課、財源は市、取組年度は令和6年度から令和12年度までです。

25の事業名は、ウォーキングイベントの開催です。

様々な取組主体が文化財情報を共有し、文化財を活用したウォーキングイベントを開催する。また、ウォーキングイベントに合わせて所有者が実施する文化財の公開などを支援する。

拡充事業で取組主体は、所有者、観光協会、地域団体、民間企業、生涯学習課、商工観光課、保健センター、財源は市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

関連文化財群3、市域で形成された大江定基伝承

平安時代中期に三河国司であった大江定基について、「今昔物語集」には風祭りに関係した説話があります。そして、江戸時代中期の地誌には定基と市域にまつわる伝承がみられ、いくつかの社寺の由来や文化財の伝来と結び付けられて、現在まで伝わっています。

域で形成された大江定基伝承というテーマから文化財を抽出すると、表84のとおりになります。

PDF形式の資料では関連文化財群3の構成要素一覧を掲載していますが、ここでは省略します。

現状

大江定基は、三河国司として平安時代の資料にみられる実在の人物ですが、鎌倉時代から市域との関係を含む逸話が旅人によって拡散され、のちに社寺の由来や文化財の伝来と結び付けられて現代でも語られています。「愛知県史」や「新編豊川市史」、「『音羽町史』』でも定基を取り上げていますが、定基と本市との関わりの周知や文化財と関連した活用は少なく、市観光協会の「おでかけスポットナビ」にて「力寿姫と定基ロマンスコース」として紹介されていますが、市域西部のみにとどまっています。

課題

大江定基についての情報発信

大江定基にゆかりのある文化財所有者間の連携

関連文化財群を活かした魅力的な周遊ルートや新しいイベントの検討

方針

大江定基にまつわる関連文化財群を活用し、本市が古代の三河国の中心であったことを物語として周知していきます。

市観光協会や文化財所有者と連携し、情報発信や社寺の行事に合わせた周遊ルートの設定やイベント開催を検討します。

関連文化財群3に関する措置

31の事業名は、大江定基伝承の情報発信です。

市域の文化財と関連する大江定基伝承を市観光協会のホームページに掲載するとともに、既存の説明板に二次元コードを追加し、ホームページに誘導することで、情報提供を図る。

拡充事業で取組主体は、所有者、観光協会、生涯学習課、財源は市、観光協会、取組年度は令和6年度から令和9年度までです。

32の事業名は、とよかわ御朱印巡りの実施です。

大江定基にゆかりのある社寺における御朱印巡りを通して、関連文化財群の周知を図る。

拡充事業で取組主体は、所有者、観光協会、財源は、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

33の事業名は、文化財所有者間の連携です。

大江定基にゆかりのある社寺がそれぞれに取り組む事業について、連携した活用の機会となるように検討する。

新規事業で取組主体は、所有者、観光協会、財源は、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

34の事業名は、周遊ルート設定やイベントの検討です。

関連文化財群を巡る周遊ルートの設定や社寺の行事に合わせたイベントを検討する。

新規事業で取組主体は、所有者、観光協会、生涯学習課、財源は、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

関連文化財群4、近世東海道を中心とした街道交通

江戸時代、市域には幕府の管轄していた東海道と本坂通が通じ、またこれらと交差して海と内陸を結ぶ幾筋もの街道もありました。街道は隣接するマチやムラ、さらにそこから先へとつながり、人の交流が文化を育み、物流が富をもたらしました。庶民の旅が盛んになると豊川稲荷への参詣者も増え、門前町としての活気がもたらされました。

うした近世東海道を中心とした街道交通というテーマから文化財を抽出すると、表85のとおりになります。

PDF形式の資料では関連文化財群4の構成要素一覧を掲載していますが、ここでは省略します。

現状

市域は古代から現代に続く交通の要衝です。特に近世の東海道は、現代でも東京から京都まで53次を巡る観光客に親しまれています。

市域には御油宿と赤坂宿があり、御油のマツ並木を挟んで御油・赤坂宿が近接していることから、宿場間を手軽に歩くことができる利点を活かし、市生涯学習課や市商工観光課、市観光協会、地域がそれぞれにウォーキングイベントを開催しています。宿場を案内する施設としては、御油宿に市商工観光課所管の御油の松並木資料館があり、赤坂宿には江戸時代の建物として復元整備した大橋屋(旧旅籠鯉屋)や赤坂宿場資料室(音羽生涯学習センター内)があります。大橋屋には赤坂宿ボランティアガイドが常駐し、大橋屋や赤坂宿の案内をしています。

東海道と伊那街道沿いの宿場の名残を遺す建物は少なくなっていますが、街道風情を今に伝える道標、常夜灯、石仏、句碑などが遺されています。

しかし、いずれの街道も車道として整備され、当時のルートが分かりにくくなっている箇所もあり、道幅が狭く歩行者の安全を確保することが難しい状況にもあります。

また、両街道沿いの宿場町や在郷町では、古くから山車まつりなどの街道を彩る伝統芸能が行われていますが、担い手が減少し伝統の継承が困難な地区もあります。

課題

徒歩見学者の安全確保やルート案内表示の整備

御油・赤坂宿を一体として、それぞれの地域と協力した関連文化財群の活用

街道沿いの石造物などの調査

伝統芸能の継承のための支援

方針

東海道を歩いて見学する観光客への安全に配慮しつつ、当時の面影を楽しんでもらうための環境整備や新たなイベントを検討します。また、街道沿いの文化財調査を行い、江戸時代から遺る石造物などの紹介や御油、赤坂宿の魅力を高める取組を推進します。

また、街道を通じて伝わってきた伝統芸能の継承を支援していきます。

関連文化財群4に関する措置

41の事業名は、観光資源としての磨き上げです。

近世東海道を始めとした街道のルート案内表示、カラー舗装化などを関係部署と検討する。

新規事業で取組主体は、行政、財源は、市、愛知県、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

42の事業名は、御油・赤坂宿の連携です。

御油連区・赤坂町内会と市が協働し、文化財活用拠点や御油のマツ並木を活用し、地域住民が文化財に親しむイベントを開催する。

拡充事業で取組主体は、地域団体、生涯学習課、商工観光課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

43の事業名は、御油のマツ並木の維持管理です。

御油松並木愛護会・御油小学校と市が協働し、御油のマツ並木の景観の維持、保護増殖、堤塘の草刈などを行う。

継続事業で取組主体は、地域団体、小中学校、生涯学習課、公園緑地課、道路河川管理課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

44の事業名は、街道の文化財調査です。

本坂通(姫街道)、伊那街道、平坂街道沿いの小学校と協力し、関連する文化財の調査を行う。

新規事業で取組主体は、小中学校、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和12年度までです。

45の事業名は、伝統芸能などの支援です。

赤坂の舞台伝統芸能公演や、東海道・伊那街道沿いの山車まつりなどの支援を行います。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

関連文化財群5、戦国時代から江戸時代までの支配の変遷を物語る文化財

戦国時代、市域では牧野氏、本田(多)氏、長沢松平氏などが台頭しましたが、後に今川氏に、ついで松平(徳川)氏の領国支配に組み込まれました。その後、吉田城主の酒井忠次、そして池田照政(輝政)の支配を受けました。

江戸時代には一大名による一元的な支配を受けない非領国地域となりましたが、赤坂には三河の幕府領の大半を治めた代官所(陣屋)が置かれていました。

戦国時代から江戸時代までの支配の変遷を物語る文化財というテーマから文化財を抽出すると、表86のとおりになります。

PDF形式の資料では関連文化財群5の構成要素一覧を掲載していますが、ここでは省略します。

現状

有形の指定文化財の大部分が戦国時代から江戸時代の市域の支配者に関連するものです。無形の指定文化財の牛久保の若葉祭も牧野古白の今橋築城に由来すると伝えられ、赤坂の祭礼行事にも当時の代官に関わる記録が残されています。また、牛久保ではかつての主君のための一色祭、牧野祭、今川祭が現在でも毎年執り行われています。

本市では伊奈城跡、岩略寺城跡、牧野城跡、瀬木城跡を公有地化し、保護しています。伊奈城跡と花ケ池は公園として整備し、伊奈史跡保存会によりガイドや草刈りなどの管理が行われ、鉄道会社によるウォーキングイベントが開催されています。岩略寺城跡も令和52023)年度から長沢町内会によって下草刈りが行われています。

課題

支配の変遷を示す資料の整理

公有地化した城跡の活用

方針

戦国時代から江戸時代の支配の変遷を示す古文書や村絵図などの資料を整理し、市域に点在する文化財と関連付けることで、わかりやすく伝えていきます。また、公有地化した城跡を安全に楽しんで見学できる環境整備や情報発信に努めます。

関連文化財群5に関する措置

51の事業名は、伊奈城趾、花ヶ池公園の活用です。

伊奈史跡保存会や地域と協働し、地域に親しまれる史跡公園の活用を検討する。

新規事業で取組主体は、市民、地域団体、観光協会、生涯学習課、商工観光課、財源は、市、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

52の事業名は、岩略寺城跡の整備です。

岩略寺城跡の見学ルートを地域と協働で整備し、見学者への便宜を図るとともに、地域住民によるボランティアガイドの養成に取り組む。

新規事業で取組主体は、市民、地域団体、学識者、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和12年度までです。

53の事業名は、古文書や村絵図の整理です。

古文書や村絵図などを整理し、データ化する。

新規事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

54の事業名は、城情報の発信です。

城の既存の調査成果を提供し、市観光協会のホームページの充実を図る。

拡充事業で取組主体は、観光協会、生涯学習課、財源は、観光協会、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

55の事業名は、とよかわ御城印巡りの実施です。

城跡を始め、戦国時代から江戸時代にかけての市域の支配者に関連する御城印巡りを実施する。

新規事業で取組主体は、観光協会、財源は、観光協会、取組年度は令和10年度から令和15年度までです。

関連文化財群6、豊川海軍工廠と豊川市役所

本市は、豊川海軍工廠の建設を契機として市制を施行しました。そして、現在でも使用している道路や鉄道路線、水道施設などのインフラは海軍工廠の設置に伴い整備されたものです。

戦後は空襲被害をのがれた工廠関係の施設や広大な敷地を利用したまちづくりに取り組み、現在の本市の姿があります。

豊川海軍工廠と豊川市というテーマから文化財を抽出すると、表87のとおりになります。

PDF形式の資料では関連文化財群6の構成要素一覧を掲載していますが、ここでは省略します。

現状

本市では、戦50周年を迎えた平成7(1995)年87平和都市宣言を行いました。そして、これを契機に毎年、平和祈念式典を開催しています。また、市平和都市推進協議会によって豊川海軍工廠での被爆体験者を派遣する語りべ活動などが行われてきました。

平成302018)年度に豊川海軍工廠の跡地の一部を豊川海軍工廠平和公園として整備し、園内の「旧第一火薬庫」、「旧第三信管置場」を史跡指定し、保存しています。また、開園に合わせて豊川海軍工廠語り継ぎボランティアを養成し、園内ガイドや市内小学校6年生の見学事業のガイド活動をしています。毎年87日前後の期間で「折り鶴に平和の祈りを」を行い、桜ヶ丘ミュージアムでは「豊川海軍工廠展」を開催しています。

現在、豊川海軍工廠跡地の大部分は穂ノ原工業団地として整備されていますが、工業団地内の民間企業や名古屋大学豊川フィールド内にも当時の施設が遺っています。

課題

豊川海軍工廠の残存遺構の保存と活用

豊川海軍工廠での出来事を次世代へ伝えるための手法の検討

穂ノ原工業団地の民間企業と協働した取組

残存遺構のメンテナンスや安全対策の検討

残存遺構の周知

方針

残存遺構に関する調査・分析を継続し、説明板の設置や情報発信を図ります。

豊川海軍工廠での出来事について、実際の体験者がいなくなる近い将来に向け、どのように伝えるのか、語り継ぎボランティアや関係団体、穂ノ原工業団地内の企業、また庁内関係部署とも連携して検討を進めます。

市外の小中高等学校の豊川海軍工廠平和公園見学を促進するため、情報発信に取り組みます。

経年劣化の進む残存遺構について、適切なメンテナンスや安全対策を検討します。

関連文化財群6に関する措置

61の事業名は、ボランティアとの協同調査です。

豊川海軍工廠語り継ぎボランティアと協同で海軍工廠に関する情報の整理、分析を進める。

拡充事業で取組主体は、所有者、ボランティア、学識者、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

62の事業名は、説明板の整備です。

所有者の同意が得られた残存遺構に説明板の設置を進め、桜ヶ丘ミュージアムで長年収集している体験画などを活用し、海軍工廠での出来事を多くの人に周知する。

新規事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和12年度までです。

63の事業名は、あいち県民の日、あいちウィーク、ラーケーションの日に伴う事業です。

市内小学校6年生を対象として実施している見学事業を広くPRし、市外の小中高校生へ拡大する。

新規事業で取組主体は、生涯学習課、財源は、民間企業、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

64の事業名は、民間企業と連携した取組です。

穂ノ原工業団地内の民間企業に社員研修での豊川海軍工廠平和公園を推奨し、市民の平和に関する意識の醸成を図る。

新規事業で取組主体は、所有者、民間企業、生涯学習課、財源は、民間企業、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

65の事業名は、「折り鶴に平和の祈りを」の充実です。

87日の豊川海軍工廠空襲に合わせ実施している豊川海軍工廠平和公園での「折り鶴に平和の祈りを」の充実を図るとともに、終戦80年に向けて関係団体とも協力した取組を検討する。

拡充事業で取組主体は、ボランティア、生涯学習課、秘書課、行政課、桜ヶ丘ミュージアム、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

66の事業名は、豊川海軍工廠平和公園の維持管理です。

草刈などを定期的に行い、公園の景観を維持する。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、公園緑地課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

67の事業名は、残存遺構の維持です。

保存を必要とする工廠残存遺構について、保存修理や安全対策を検討する。

新規事業で取組主体は、所有者、学識者、生涯学習課、公園緑地課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

 

9章、文化財保存活用区域

1、文化財保存活用区域の目的

文化財保存活用区域とは、文化財が特定の地域に集中する場合、周辺の環境も含めて文化財を核とした文化的な空間を創出するための区域のことをいいます。区域内の様々な文化財の保存、活用を通し、総体的なかたちで文化財の魅力向上を図ることを目的とします。

2、文化財保存活用区域の設定の考え方

本市では、昭和631988)年に策定した『史跡三河国分寺跡、三河国分尼寺跡保存管理計画』の中で、「豊川風土記の里」構想を示し、平成81996)年の『史跡三河国分尼寺跡保存整備基本計画』にてこの構想の具体的な整備方針などを策定しています。この中では、「古代三河に焦点をあて、かつての三河国の中心地であることを語るにふさわしい地域として、具体的には三河国分寺跡・同国分尼寺跡や白鳥遺跡、及びこれらに関連する赤塚山古窯跡などを含む地域とする。」としています。

文化財保存活用区域はこの構想を踏襲し、名称を「古代三河国の首府」と設定し、重点的に保存、活用を推進します。

3、文化財保存活用区域

「古代三河国の首府」に設定した区域は、八幡町、白鳥町、市田町、野口町の4町にまたがり、ここには主な文化財などとして表91に示した23件があります。代表的な文化財としては史跡三河国分寺、国分尼寺跡、史跡三河国府跡、八幡宮本殿、船山古墳(船山第1号墳)などが挙げられ、主に奈良、平安時代といった古代の文化財が多く所在していますが、中世や近世、近代の文化財も数多くあると言えます。

このほか、「豊川風土記の里」構想には含んでいませんでしたが、豊川西部土地区画整理事業に伴って西古瀬川沿いに植樹された河津桜や白川のホタルなども新たな名所として加えています。

現状

文化財保存活用区域には、国史跡として史跡三河国分寺、国分尼寺跡、そして三河国府跡という古代の主要遺跡3点セットが所在しています。このうち、三河国分寺、国分尼寺跡は昭和631988)年度に「史跡三河国分寺跡、三河国分尼寺跡保存管理計画」を策定し、国分寺跡では昭和601985)年度から令和32021年度まで公有地化事業を実施しました。平成202008)年度には「史跡三河国分寺跡整備基本構想」も策定し、今後は令和元(2019年度から令和52023)年度にかけて実施した確認調査を踏まえ、史跡整備に取り組んでいく予定です。

三河国分寺跡については、日常管理の一部を地元団体に委託しています。平成232011)年度に説明板を設置し、小学校6年生の見学事業の際にはボランティアガイドが案内しています。

三河国分尼寺跡では、平成71995)年度以降に整備基本計画策定や公有地化、史跡整備に伴う確認調査に取り組み、平成111999)年度から平成172005)年度にかけて史跡整備を実施しました。平成172005)年1113日に三河国分尼寺跡史跡公園として開園し、開園に合わせてボランティアガイドを養成しています。平成182006)年度からは市内全小学校6年生の見学事業や、園内に市民の手作りの万灯を並べる「天平ロマンの夕べ」を地元町内会と協力して開催しています。しかし、開園から20年近くが経過し、施設各所の劣化に伴う修繕の必要性やボランティアガイドの高齢化が顕在化しつつあります。

また、令和52023)年度に国史跡に指定された三河国府跡の公有地化や、令和72025)年度に船山古墳公園(仮称)の供用開始を予定しています。

課題

三河国府跡の公有地化の計画的な推進

三河国分寺跡、三河国府跡の保存活用計画の策定

三河国分尼寺跡史跡公園の計画的な修繕とボランティアガイドの定期的な養成

区域内の文化財の一体的な活用における関係者との調整

方針

三河国府跡の公有地化や史跡ごとの保存活用計画を策定することで確実な保存に努めます。既存の三河国分尼寺跡史跡公園の営繕を計画的に進めるとともに、区域内を重点的に整備することで、観光資源としての魅力を高めます。加えて、ボランティアガイドの定期的な養成に取り組み、十分な人材の確保に努めます。

また、関係部署や所有者と協力し、区域内の文化財のより効果的な活用を検討します。

文化財保存活用区域に関する措置

活用区域の1の事業名は、史跡の保存活用計画の策定です。

学識者だけでなく、地域住民の意見も反映し、三河国分寺跡、三河国府跡の保存活用計画を策定し、計画的な史跡整備を推進する。

新規事業で取組主体は、市民、地域団体、専門家、整備委員会、生涯学習課、財源は、市、愛知県、取組年度は令和6年度から令和9年度までです。

活用区域の2の事業名は、三河国府跡の公有地化です。

三河国府跡の指定地内の公有地化を地権者の同意のもとに計画的に進める。

新規事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、財源は、市、国、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

活用区域の3の事業名は、三河国分尼寺跡史跡公園営繕計画の策定です。

三河国分尼寺跡史跡公園内の三河天平の里資料館は、区域内の文化財の展示解説のための活用拠点として機能しており、計画的な施設の維持管理を実行するための計画を策定する。

新規事業で取組主体は、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和9年度までです。

活用区域の4の事業名は、所有者と連携した新たな事業の検討です。

赤塚山公園や文化財所有者、地域と連携し、一体的に活用するイベントなどを検討する。

新規事業で取組主体は、所有者、地域団体、生涯学習課、公園緑地課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

活用区域の5の事業名は、周遊ルート観光の促進です。

集客施設などへのレンタルサイクルの設置や自転車道の整備を関係者と検討する。

新規事業で取組主体は、民間企業、行政、財源は、市、民間企業、国、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

活用区域の6の事業名は、区域内の情報発信です。

保存活用区域を巡るガイドマップを作成し、市観光協会のホームページなどで掲載するとともに、既存の説明板に二次元コードを追加し、ガイドマップのページへ誘導する。

拡充事業で取組主体は、観光協会、生涯学習課、財源は、観光協会、市、取組年度は令和10年度から令和12年度までです。

活用区域の7の事業名は、ボランティア養成講座の開催です。

三河国分尼寺跡史跡公園を拠点として、「古代三河国の首府」を案内するボランティアガイドを養成する。

拡充事業で取組主体は、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和10年度から令和15年度までです。

活用区域の8の事業名は、史跡公園の活用です。

三河国分尼寺跡で開催している「天平ロマンの夕べ」について、三河国分寺跡の整備を見据え、両寺跡を活用するためのイベントのリニューアルを関係者と検討する。

拡充事業で取組主体は、観光協会、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和10年度から令和15年度までです。

10章、文化財の防災、防犯

1、民俗知、地域知を防災に活かす

本市では、令和52023)年62日に24時間雨量が400oを超える記録的な大雨により土砂崩れや中小河川の越水、内水氾濫などが発生しました。幸い人的被害はなかったものの、住宅の全壊2棟、床上浸水273棟、床下浸水276棟(令和5116日現在)ほか多数の車両水没や農業施設の被害など、市域各所で甚大な被害がありました。

こうした災害を教訓として、自助、共助、公助の取組を進めていくには、市民一人一人が、防災を他人事とせず我が事として、「自分や家族の命、個人や地域の財産を守る」ための備えを行うことが大切で、自分が住んでいる土地の成り立ちや過去の災害を知ることが必要と言えます。

防災センターのホームページに掲載している『災害に学ぶ−とよかわ防災史話−』、『とよかわの地名から防災を考える−地名に隠された災害情報』の中では、市域の災害史や防災対策のあゆみ、地名に隠された防災情報などを紹介しています。私たちの祖先は、自ら住む地域でどのような災害が起こるのかを経験的に知っていました。災害や生活に関わる経験知は、信仰や年中行事、伝説、記念碑、古文書などの形をとりながら世代を超えて継承され、それら「民俗知」や「地域知」が防災・減災に役立ってきました。

具体的には、市域の土筒町、当古町といった豊川右岸における出水時の水屋や母屋2階への避難は、現代における避難情報のレベル5「緊急安全確保」が発令された際の垂直避難や、タイムラインに沿った事前避難に通じる豊川右岸下流域の「民俗知」、「地域知」の一例に挙げられます。また、地名も小字名などに出てくる「欠」、「岸」、「崩」、「窪」などは土砂災害危険地域と重なる場合も多く、地名も防災情報の一つと捉え、大雨や台風の際には早めの避難や垂直避難を心掛けることが大切と言えます。

こうした本市特有の「民俗知」、「地域知」については、その存在を広く市民に周知し、文化財の防災・減災対策にも活かしていく必要があります。また津波や山崩れで流失した仏像を祀ったことを縁起とする東漸寺(伊奈町)や栄善寺(長沢町)の縁起譚にみられる災害伝承や、明治221889)年の高潮被害で死者11人を数えた御津町大草地区の水死者追弔碑、昭和281953)年の台風13号の御津地区における高潮被害の復興記念に愛知県が建立した海岸復興記念碑も、地域防災を考える上で大切であり、後世に伝えていくべきものと言えます。

2、防災、防犯に関する現状と課題

現状

本市における大きな文化財被災としては、平成61994)年89日の国重要文化財大恩寺念仏堂附厨子の焼失、平成302018)年225日の正覚寺本堂の焼失に伴う市指定文化財木造延命地蔵菩薩半跏像の焼損があります。このほか市域河川の出水や台風に伴う高潮でも過去に文化財の被害があったことが伝わっています。

市消防本部では、火災による文化財被害を未然に防ぐとともに、所有者の防災意識向上のため、毎年126日の文化財防火デーに合わせた文化財の防火点検のほか、消火訓練の実施などに取り組んでいます。また、地元消防団と協働して独自に消火訓練を実施している所有者もいますが、地域防災の担い手である消防団員の確保が困難な地域もあります。

愛知県の事業として平成101998)年度から文化財防災台帳を整備しましたが、令和22020)年に新たに示された愛知県文化財保存活用大綱に基づく文化財レスキュー台帳への対応はできていません。

文化財の盗難としては、過去に県指定の千両の銅鐸、市指定の御津神社の大般若経が被害に遭い、後者は現在も行方不明のままです。盗難防止の観点からも、指定の有形文化財を桜ヶ丘ミュージアムなどの公的施設へ寄託することを以前から実施しています。

近年では高齢化や社寺の無居住化、氏子や檀家数の減少が進み、文化財所有者・管理者の管理体制の維持が難しくなってきています。そのため、文化財の防災や防犯面での日常的なリスクが高まっています。防災設備の面では、国指定文化財以外は整備が進んでおらず、市生涯学習課と所有者、管理者との連絡、通報体制も十分とは言えません。実際、所有者へのアンケートでは、「防犯、防災に不安がある」、「継承や管理などの人材が不足している」という回答が多くありました。防犯に関する取組として、国、県指定文化財については愛知県が文化財保護指導委員制度を設け、定期的な巡視、巡回活動を行っています。

課題

地域の文化財の幅広い情報発信と防災意識の向上

文化財が損失したことを想定した復旧や保存方法の検討

災害時の情報共有や初動対応のための連絡体制と大災害を想定した広域的な連携体制の構築

3、防災、防犯に関する方針

方針4、防災、防犯への備え

防災、防火対策への支援

文化財の基礎データを所有者と関係機関で共有し、連携体制の強化に努め、文化財を地域みんなで守る機運を醸成します。災害に備え、適切に文化財を守ることのできる施設、設備の充実が図られるよう所有者や管理者へ各種支援を行います。また、滅失などの被害を受けた時の備えとして次世代への継承方法を検討します。

このほか、有事の際には広域的な連携が図れるよう、国立文化財機構文化財防災センターや専門機関との連携体制の構築に努めます。

防犯対策への支援

文化財の所在を所有者と関係機関で共有し、平時の連絡や緊急時の迅速な初動体制を整えます。また、盗難予防のための寄託制度を充実し、防犯設備への支援や市文化財の定期的な巡視活動など新たな制度を検討します。

4、防災、防犯に関する措置

方針4、防災、防犯への備え

措置7、防災、防火対策への支援

52番の事業名は、文化財の防災意識の向上です。

市域各所に所在する文化財について、市で把握している情報や価値を消防関係機関とともに広く情報発信することで、文化財の防災意識の向上に努める。

継続事業で取組主体は、市民、所有者、生涯学習課、消防関係機関、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

53番の事業名は、防火・防災体制の構築です。

所有者、地域住民、市及び消防関係機関と協力し、災害発生時の緊急連絡先を年度当初に確認し、連絡体制を整える。

拡充事業で取組主体は、市民、所有者、生涯学習課、消防関係機関、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和9年度までです。

54番の事業名は、防火設備設置の推進です。

文化庁が定めた防火対策ガイドラインに基づき、自動火災報知設備や消火器具などの設置を促しつつ、適正な修理指導の支援を行う。

継続事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、消防関係機関、財源は、市、愛知県、国、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

55番の事業名は、文化財のアーカイブ化です。

災害発生に伴う被害に備え、所有者の協力を得ながらアーカイブ化による記録保存を進め、市ホームページでの公開も検討する。

新規事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

56番の事業名は、文化財レスキュー台帳の作成です。

既存の文化財防災台帳を愛知県文化財保護大綱に基づいた項目に改め、文化財レスキュー台帳とする。また、文化財の保存(保管)状況の更新に努めるとともに関係者との情報共有を図る。

新規事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

57番の事業名は、寄託制度の継続です。

災害による被害が懸念される文化財について、特に重要なものについて所有者へ寄託制度を案内する。

継続事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

58番の事業名は、広域的な連携体制の構築です。

大規模災害時には愛知県を通じ、国立文化財機構文化財防災センターへ要請する。また、そのほかの専門機関からの助言を得るための連携体制を構築する。

新規事業で取組主体は、所有者、学識者、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

59番の事業名は、防犯体制の構築です。

所有者、地域住民、市、警察署と連携を図り、防犯体制を構築する。また、所有者には、文化庁が刊行する「文化財防犯の手引き」などのパンフレットを配布し、防犯意識の向上に努める。

新規事業で取組主体は、市民、所有者、生涯学習課、警察署、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

60番の事業名は、防犯設備への補助制度の新設です。

防犯灯や防犯カメラ、防犯性能の高い錠への付け替えなどの防犯に関する補助制度を新たに検討する。

新規事業で取組主体は、所有者、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

61番の事業名は、定期的な巡視活動の実施です。

県の文化財保護指導員制度にならい、市文化財の定期的な巡視活動を検討する。

新規事業で取組主体は、所有者、巡視員、生涯学習課、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

62番の事業名は、寄託制度の継続です。

盗難による被害が懸念される文化財について、特に重要なものについて所有者へ寄託制度を案内する。

継続事業で取組主体は、生涯学習課、桜ヶ丘ミュージアム、財源は、市、取組年度は令和6年度から令和15年度までです。

 

11章文化財の保存と活用の推進体制

1、推進体制のイメージ

5章で示した、本市の文化財の保存と活用に関する将来像「歴史文化資源をみんなでつなぐ 輝くとよかわ」の推進には、豊川市に愛着を持った市民一人ひとりが中心となって、所有者、保存団体、地域、ボランティア、学校、企業等、観光協会、文化協会等と連携しつつ、今後も継続的な取組を行っていくことが大切です。

そして、それぞれが本市の歴史文化資源を将来につなぐ担い手としての認識を持ち、いきいきと主体的かつ積極的に取り組める体制を醸成するため、豊川市が協力、支援しながら本計画に示した各種措置を実行していきます。また、文化庁を始めとする関係機関とも連携、協力していきます。

PDF形式の資料では様々な取り組み主体、各関係機関との連携、推進体制のイメージを図で掲載していますが、ここでは省略します。

2、市の体制

現在、本市の各課で取り組む業務を歴史文化資源の保存と活用の推進に向けた措置に結び付け展開していくため、市生涯学習課が中心となり庁内の関係部署と連携していきます。また、そのためには人事異動による職員交流を促進することも重要であり、適所への職員配置に配慮します。

現在、本市では多くの部署で職員の世代交代や人員不足が顕在化しつつあり、これは文化財行政を担う市生涯学習課も同様です。計画的な専門職員の採用や職員を補助する会計年度任用職員の確保に取り組むとともに、的確な育成にも努めます。

また、職員研修などを通じ、文化財部局の専門職員だけでなく多くの職員に本市で培われてきた歴史文化資源の知識を深め、市全体で文化財の保存活用に取り組む体制を整えます。

なお、序章に示したように毎年、庁内関係部署と連携して前年度の自己評価を実施し、計画の進捗状況の把握に努めます。加えて、市文化財保護審議会での確認・評価を受け、PDCAサイクルによる業務改善につなげていきます。

3、各主体との連携体制

市域には、歴史文化資源の所有者を始め、保存、活用、学習に取り組む団体、歴史文化資源を紹介するボランティア組織などが数多くあります。ただ、近年では会員の減少や高齢化に加え、新型コロナウイルス感染症による活動自粛もあり、その存続が危ぶまれる団体もあります。随時、活動状況や動向の把握に努め、支援や連携について検討します。

これら各主体の連携や協働が図られるよう本計画に沿って体制づくりを進めるとともに、歴史文化資源の価値付けや確実な保存のため専門家や大学などの研究機関とも連携していきます。

また、各種文化財の保護を推進する上で市文化財保護審議会との連携、文化庁と県文化財室との連携、協力、さらには他市町村との情報交換も図り、本市に根付く歴史文化資源の保存と活用に取り組んでいきます。

PDF形式の資料では文化財の保存、活用に係る体制を掲載していますが、ここでは省略します。

 

資料編

1、作成経緯と体制

1)作成体制

平成302018)年の文化財保護法改正(平成312019)年41日施行)を踏まえ、本市では計画の作成に関する事項について審議する豊川市文化財保存活用地域計画協議会を設置し、全5回の審議を行いました。また、市文化財保護審議会における審議や意見聴取を行うなどの経過を経て、作成に至っています。

2)作成経緯

本計画に係る作成経過の概要は次のとおりです。

令和4630日、木曜日、令和4年度第1回豊川市文化財保護審議会開催(豊川市文化財保存活用地域計画策定について審議)

令和4824日、水曜日、第1回豊川市文化財保存活用地域計画協議会開催(会長及び副会長の選出、豊川市文化財保存活用地域計画、豊川市文化財保存活用地域計画作成スケジュール、豊川市の文化財や歴史的な資産に関するアンケートについて審議)

令和41114日、月曜日、令和4年度第2回豊川市文化財保護審議会開催(豊川市文化財保存活用地域計画の構成、アンケート(案)について審議)

令和538日、水曜日、令和4年度第3回豊川市文化財保護審議会開催(豊川市文化財保存活用地域計画のアンケート結果について審議)

令和5329日、水曜日、第2回豊川市文化財保存活用地域計画協議会開催(豊川市の文化財や歴史的な資産に関するアンケート調査、文化財保存活用地域計画策定案、その他について審議)

令和5628日、水曜日、令和5年度第1回豊川市文化財保護審議会開催(豊川市文化財保存活用地域計画(序章から第3章まで)について審議)

令和577日、金曜日、第3回豊川市文化財保存活用地域計画協議会開催(豊川市文化財保存活用地域計画(序章から第3章まで)豊川市文化財保存活用地域計画(現状と課題の整理)、その他について審議)

令和598日、金曜日、令和5年度第2回豊川市文化財保護審議会開催(豊川市文化財保存活用地域計画(序章から第5章まで)について審議)

令和51023日、月曜日、第4回豊川市文化財保存活用地域計画協議会開催

令和51110日、金曜日、令和5年度第3回豊川市文化財保護審議会開催

令和627日、水曜日から37日、水曜日まで、パブリックコメント

令和6326日、火曜日、第5回豊川市文化財保存活用地域計画協議会開催

令和6329日、金曜日、令和5年度第4回豊川市文化財保護審議会開催

豊川市文化財保存活用地域計画協議会委員名簿

かたやまひろし、所属は豊川市文化財保護審議会会長

やまだくにあき、所属は愛知大学教授

あさのじゅんいちろう、所属は豊橋技術科学大学教授

あまのやすゆき、所属は御油松並木愛護会長(御油松並木保存愛護団体)

いとうたみお、所属は八幡町内会長(三河国分寺跡・国分尼寺跡史跡公園管理支援団体)令和4年度

ごみやすひと、所属は八幡町内会長(三河国分寺跡・国分尼寺跡史跡公園管理支援団体)令和5年度

にしもとぜんしゅう、所属は財賀寺住職(国県指定・国登録文化財所有者)

ひらがなゆみ、所属は豊川市観光協会専務理事兼事務局

さはらけいこ、所属は豊川市観光協会専務理事兼事務局長

あさおかひろし、所属は愛知県県民文化局文化部文化芸術科文化財室主査

すがわかつい、所属は豊川市市民部長、令和4年度

すずきともひこ、所属は豊川市市民部長、令和5年度

もりしたたもつ、所属は豊川市産業環境部長、令和4年度

ますだたかみち、所属は豊川市産業環境部長、令和5年度

ますだたかみち、所属は豊川市都市整備部長、令和4年度

やまもとひでき、所属は豊川市都市整備部長、令和5年度

まえだきよひこ、所属は豊川市教育部長

 

文化財保護審議会委員名簿

かたやまひろし(会長)、職歴、前歴などは元小中学校教員

あまのたけひろ(職務代理者)、職歴、前歴などは元県立高校教員

こまきまさきよ、職歴、前歴などは元県立高校教員

あまのやすゆき、職歴、前歴などは元小中学校教員

たけおとしお、職歴、前歴などは名古屋女子大学名誉教授

いずみだひでお、職歴、前歴などは元豊橋技術科学大学准教授

かみやさとし、職歴、前歴などは愛知大学教授

のざわのりゆき、職歴、前歴などは元名古屋市教育委員会、文化財保護室学芸員

はらだちかこ、職歴、前歴などは中部大学民族資料博物館学芸員

2、文化財リスト(指定)

PDF形式の資料では文化財リストを掲載していますが、ここでは省略します。

3、文献リスト

PDF形式の資料では文献リストを掲載していますが、ここでは省略します。

4、現在の豊川市成立までの変遷

PDF形式の資料では現在の豊川市成立までの変遷を掲載していますが、ここでは省略します。

5、豊川市の町名

PDF形式の資料では豊川市の町名を掲載していますが、ここでは省略します。

 

豊川市文化財保存活用地域計画(案)

令和6年〇月発行

編集、発行、豊川市教育委員会 生涯学習課

愛知県豊川市赤坂町松本250 音羽庁舎2

電話:0533-88-8035

FAX0533-88-8038