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豊川市 きらっと☆とよかわっ!
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「広報とよかわ」2016年8月号(特集)

更新日:2016年8月1日

脈打つ街道 とよかわ東海道

国道1号と並行し、豊川市の東西を横断する旧東海道。街道沿いには、格子戸を構えた家々をはじめ、江戸の風情を偲ばせる風景が数多く残っています。
普段、生活道路として利用されるこの街道は、昨今の健康志向の高まりも手伝い、休日にもなると、史跡巡りやウオーキングを楽しむ方でにぎわう散策エリアにもなっています。 
歴史と暮らしが隣り合う旧東海道沿線では、今もなお、先人たちが残した伝統を、まちの誇りとしてたいせつに守り、次の世代に送り継ぐ営みが続けられています。
今回の特集では、豊川市の文化資源でもある東海道の歴史や、古くから伝わる地域の祭礼と合わせ、江戸の文化を今に伝える地域の活動を紹介します。
詳しいことは、商工観光課(89局2140番)、または生涯学習課(88局8035番)へ、お問い合わせください。

江戸と京都を結ぶ日本の大動脈

関ヶ原の合戦で勝利を収めた徳川家康は、1601年、政治的支配を強化するため、江戸と全国の拠点を結ぶ5つの街道(東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道)の整備に着手しました。その1つ、江戸日本橋から京都三条大橋を結ぶ東海道は、大名や旅人、物資が行き交う日本の大動脈として、重要な役割を担っていました。
街道を利用して運搬される物資は、「伝馬制度」のもと、出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場(宿駅)といわれる拠点ごとに、人馬を交替しながら継ぎ送られていました。
宿場では、荷物の受け取りと次の宿場までの運搬業務を行う問屋場や、大名などの公人が宿泊する本陣、一般の旅人が宿泊する旅籠などが設けられました。江戸から京都まで、宿場ごとに53回の人馬の継ぎ替えが必要だったことから東海道53次(継)と呼ばれることになります。
豊川市内では、小坂井から長沢まで、約14キロにわたって街道が走り、御油と赤坂にそれぞれ宿場が配置されていました。
1840年頃に幕府が街道の概況を記した帳簿には、御油宿の人口は、男560人、女738人、家数316軒、旅籠が62軒と記録されています。また、赤坂宿の人口は、男578人、女726人、家数349軒、旅籠62軒となっています。他の宿場と比較して、家数に対して旅籠が多いこと、また、女性の人口が多いのは、両宿場が共通して、遊興の場として栄えていたためといわれています。   
また、宿場近隣の村々には、宿場の人員や馬が不足した際に、応援の人馬を提供することが義務付けられていました。こうした村は助郷と呼ばれ、国府や長沢をはじめ、多くの村々がこの役目を担っていました。
現在、街道筋にあるこれらの地域では、問屋場や本陣、旅籠などの史跡をはじめ、江戸の文化にゆかりの深い神社や寺が数多く点在しています。

御油の追分
東海道と姫街道の分岐点。旅人の道標となった高さ3メートルの常夜灯が置かれています。

御油問屋場跡
問屋場には宿場の最高責任者である問屋、その補佐役である年寄、事務担当の帳付などが置かれていました。

東林寺
生計の苦しい農家がお金を借りるため、旅籠へ年季奉公に出した飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれる遊女たちの墓があります。

御油のマツ並木
江戸幕府によって整備された街道並木。十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」で弥次喜多が繰り広げる狐騒動の舞台として知られています。

赤坂見附跡
宿場の入口に石垣を積み、出入りする者を見張った場所を見附といいます。

関川神社の芭蕉句碑
御油と赤坂宿間の距離が東海道のなかで最も短いことを、夏の短い夜に例え、「夏の月 御油より出でて 赤坂や」と詠んだ芭蕉の句碑が立っています。

赤坂本陣跡
間口32メートル、奥行50メートル、畳数422畳もある門構玄関付きの格式高い本陣であったことが記録されています。

浄泉寺
境内にある大きなソテツは、歌川広重の浮世絵「旅舎招婦ノ図」に描かれたソテツと伝えられています。

旅籠大橋屋
平成27年3月まで旅館業が営まれていた江戸の建築様式の建物。旧屋号は「鯉屋」といい、1871年頃まで女郎置屋を営んでいました。現在、平成31年公開(予定)に向けて保存整備を進めています。

杉森八幡社
昭和61年に神社の蔵から発見された人形のカシラは、江戸時代に町の人々によって人形芝居が盛んに演じられていたことを伝えています。

息づく伝統街道を飾る

江戸時代の面影を残す東海道沿線の地域では、地元の住民が中心となり、文化財や伝統文化の保存に努めるとともに、当時の歴史を今に伝える祭礼が行われています。

江戸の文化を伝える祭礼と余興

宿場を中心とした東海道沿線では、古くから格式のある祭礼が行われてきました。
特に、三河の天領(幕府の直轄地)を支配する拠点であった赤坂地区は、他地域と比べて神事芸能が重んじられ、祭礼時には、代官をはじめ、多くの役人が出席することとなっていました。宮道天神社の祭礼で行われる神輿渡御の最中には、大名、旗本などの行列を禁止したともいわれています。
また、祭礼には、奉納の余興として、人形芝居や神楽などが合わせて行われていました。江戸時代中ごろ、杉森八幡社の祭礼時には、地元の若者によって毎年人形浄瑠璃が演じられていたことが記録されています。
古くから遊興の場として栄えた宿場を中心とした地域では、現在でも、大名行列や歌舞伎行列など、東海道ならではの祭礼を見ることができます。
こうした地域の営みは、長い年月をかけ、親から子へ、また、年長者から若者へ、時代を超えて脈々と受け継がれています。

国府夏まつり(7月最終土曜・日曜)

神輿渡御に山車を曳きだしたのが始まりといわれる大社神社の祭礼です。4 町内による山車曳きの他、絢欄豪華な衣装をまとった歌舞伎行列が披露されます。夜には、手筒煙火、打ち上げ花火などが奉納される盛大な夏祭りです。
国府まつり年番幹事 石黒将史さん(国府町)
4町内が工夫を凝らした伝統の手筒煙火を披露します。豪快な火柱で飾る国府の夜空。ぜひ、ご覧ください。

御油夏まつり(8月第1土曜・日曜)

御油神社の祭礼で、宿場町の夏の祭りとして発展・継承してきた祭りです。厄男たちによる神輿巡幸や、6 町内から出される山車曳きなどが行われる他、祭りが開かれる2 日間にわたって約3,000 発の打ち上げ花火が奉納されます。
御油まつり総青年長 伊藤貴仁さん(御油町)
見どころは、青年たちが演出する、世代の誇りをかけた年長スターマイン。祭り初日の最後をしっかり飾りたいと思います。

大名行列(10月第2日曜)

杉森八幡社の祭礼で、もともとは宮道天神社の余興であったといわれています。参勤交代の様子を再現した大名行列では、約100 人が隊列を組み町内を練り歩きます。近年では子ども大名行列も行われ、より身近な祭りとして受け継がれています。
杉森八幡社お祭り青年団長 畔柳尚弘さん(赤坂町)
青年団最後の年。先代たちに恥じないようにきっちり決めたいと思います!毎年恒例、長持ち衆の寸劇をお楽しみください。

雨乞いまつり(8月第3土曜・日曜)

江戸時代、大干ばつのときに雨乞いをしたことから始まったとされる宮道天神社の祭礼です。山車曳きや神輿渡御の他、地元の青年が花魁(おいらん)や武士、娘などに扮する歌舞伎行列は祭りの目玉となっています。
雨乞いまつり青年団 団長 市川健人さん(長沢町)、副団長 河合郁さん(赤坂町)
子どもたちに祭りの楽しさを伝えていきたいと思います。歌舞伎行列と合わせて縁日も開催します。ぜひ、お越しください。

地域と生きる四百年のマツ並木

御油と赤坂の間約560メートルにわたって続く御油のマツ並木。約400年前に整備されたこの並木は、国の天然記念物にも指定されており、現在、地域の人々の保護活動によってたいせつに管理されています。

マツを守るのは今も昔も人の力

御油松並木愛護会 東賀康さん(御油町)

小学生の頃、先生に連れられて並木の草取りに駆り出されていたことを覚えています。そんなふうに育ったせいか、マツは生き物である以上、人の手で守っていかなければならないものと感じています。
この地域では、御油松並木愛護会が中心となり、年に3回の草刈や清掃の他、毎月1度、樹勢調査を行い、異常を発見した場合は迅速に市へ報告するように努めています。
また、マツの本数を維持するため、御油小の児童と一緒に植樹作業を行っています。購入した苗木がうまく根付かないこともあって、並木にあるマツから採取した種を使って苗木を育てる試みをしています。試行錯誤の結果、芽を出したマツは、今、ゆっくりと葉を広げようとしています。
御油のマツ並木は、古くから、地域の人々の手によって守られ、育てられてきました。夏は木陰をつくり、冬は北風をやわらげ、旅人の疲れをいやした当時と同じように、街道を散策する人たちの休息の場として、立派に育ってくれることを願っています。

匠たちが魅せる小屋掛けの技法

杉森八幡社にある赤坂の舞台では、毎年10月に、歌舞伎をはじめとする伝統芸能が公演されています。この舞台で設置されるのが、小屋掛けと呼ばれる手作りの観客席です。伝統の技法で作られる小屋掛けは、地域の人々によって伝えられています。

復活した伝統の技法が地域の誇りになる

小屋掛けの会 山口信昭さん(赤坂町)、高橋吉一さん(赤坂町)
小屋掛けは、丸太の支柱に、格子状に組んだ200本近い真竹を、ドーム状にして天井を覆うというもので、江戸時代から伝わる技法によって作られています。
中心となる小屋掛けの会を結成したのは平成18年のことです。当時、赤坂の舞台の復元をきっかけに、「小屋掛けを復活させて、次の世代につなげていこう」という機運が高まっていました。
会の発足に先立ち、小屋掛けの伝統を残す設楽町田峯地区に何度も見学に行きました。後に分かったことですが、田峯地区の小屋掛けは、およそ300年前に、赤坂の地区から伝えられたものだそうです。
最初は苦労した組み立ても、次第に要領をつかみ、格子のきめが整ったきれいな小屋掛けを作ることができるようになりました。
一方、小屋掛けの会のメンバーの多くは70代で、竹の運搬や高所での作業にとても苦労しています。復活した伝統の技法を後世に伝えていくためにも、小屋掛けの文化を多くの方に広め、若い人たちにも積極的に参加してもらいたいと思います。

お買い物は、国府市で

国府市は、江戸時代に赤坂陣屋の代官が家臣に命じて開かせたのが始まりといわれています。初めの頃は、毎月6回の「六斎市」であったものが、「歳の市」に変わり、現在では、毎年2月11日の建国記念日に盛大に開かれるようになりました。

時代とともに変わる国府市の趣き

国府連区 鈴木高行さん(国府町)

40年ほど前は、街道に沿って、今よりずっと長い距離を露店が立ち並んでいました。商店街が元気だったこともあり、当時の国府市は、生活に必要な品を買いに来るお客さんでにぎわっていました。日頃必要な物があっても、国府市の開催を待って買い物をするお客さんがいたほどです。
時代とともに、商店街のにぎわいが薄れると、国府市の趣きも少しずつ変わってきました。近年では、地域の若い方々が中心となり、国府市に合わせてウオークラリーを開催したり、地元中学生の吹奏楽演奏が披露されたりするようになりました。趣きは変わりながらも、地域の方々が顔を合わせることができる貴重な機会になっています。
一方で、国府市の歴史や文化を感じることが少なくなってきたとも思います。江戸時代から300年以上、この地域の人々によって営まれてきた国府市。古くからの趣きをたいせつにしながら、歴史を感じることができる国府市にしていきたいと思います。

思い返せば、四百年

江戸時代に活況をみせた東海道は、明治時代に入り、参勤交代や伝馬・助郷制度が相次いで廃止されると、衰退の一途をたどることになります。1889年に全通した東海道本線が海岸部に迂回して開通したこともあり、旧東海道は、交通の要衝としての役割も失っていきました。
急速な開発から取り残される一方で、旧東海道沿線は、往時の歴史を伝える文化財などが数多く残る地域として形成されることになります。
この地域では、残された江戸時代の歴史・文化を絶やすことなく、長い年月にわたり、次の世代につなげていく営みが続けられています。それは、地域の歴史をたいせつにする気持ちが、地元をたいせつにする気持ちとなり、住民の誇りとなっているからです。
豊川市を走る東海道は、地域の歴史を未来に伝える大動脈として、今もなお脈打ち続けています。

「広報とよかわ」2016年8月号 トピックス

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