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豊川市 きらっと☆とよかわっ!
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「広報とよかわ」2018年8月号(特集)

更新日:2018年8月1日

特集 古代からのメッセージ とよかわの古墳

3世紀中ごろから7世紀ごろまでに造られた有力者たちの墓・古墳。先人たちが眠る古墳の数は、日本各地で15万基以上に上り、市内でもおよそ400基が確認されています。あまり知られていませんが、千数百年前から残る遺跡が、まちの至るところに存在し続けています。
一方、築造当時のことを記す記録は少なく、古墳時代の状況について多くは不明なままであるため、今もなお、全国各地で遺跡の調査が行われています。市でも、まちの歴史を読み解くため、これまで古墳などの遺跡の発掘調査を実施してきました。
今回の特集では、発掘調査により新たに解明されたとよかわの歴史や市内の古墳を紹介するとともに、先人たちが残した古墳を守り、次代に伝える活動を紹介します。
詳しいことは、生涯学習課(電話:0533-88-8035)へお問い合わせください。

古墳 が造られた時代

畿内に有力勢力現る!?古墳築造の背景

3世紀ごろの日本にはいくつもの小さな国があり、各国の指導者(首長)がそれぞれの国を治めていました。こうした中、畿内(近畿地方の一部)を中心として有力な政治勢力・大和政権が誕生し、最高権力者に大王(後の天皇)を置いて、次第に各国を統一していきます。
このような時代に、地位や身分の高い人をまつるため数多くの古墳が造られました。古墳の形や大きさなどは、まつられている人の地位などによって異なります。中でも前方後円墳は、大王やその一族、大和政権と密接な関係を持つ各国の首長のために造られたと考えられており、最も位が高い古墳と位置づけられています。畿内にある箸墓古墳(奈良県・墳長280メートル)や大山古墳(大阪府・墳長486メートル)などの前方後円墳は、大王の墓として知られています。

前方後円墳は従属の「証」 全国に広がる古墳

大和政権の勢力が全国的に広がると、従属する国々の首長にも前方後円墳を造らせました。各地に巨大な古墳を築くことは、大和政権の力を民衆や他国に誇示する意味もあったといいます。一方で、地方の小豪族や大和政権との関係が薄い国の首長などは前方後円墳の築造を許可されず、円墳や方墳などが造られていました。

とよかわ 古墳 まっぷ

市内にはさまざまな特徴を持つ古墳があります。消滅してしまったものも多くありますが、今もなお、古墳の形をとどめ、まちに存在し続けています。ここでは、市内に現存する主な古墳を紹介します。

1 旗頭山尾根古墳群(金沢町) 6世紀後半から7世紀初頭まで
円墳他
土ではなく石が積まれた古墳が24基並ぶ。全国でも限られた地域でしか見ることができない。

2 炭焼(平)古墳群(東上町) 6世紀後半から7世紀後半まで
前方後円墳他
かつては40基以上存在していたが、現在は全長約16メートルの前方後円墳と数基の円墳が残る。鳥形の装飾が施された壷が出土した。

3 念仏塚1号墳(大木町) 5世紀中ごろから6世紀初頭まで
前方後円墳
かつては8基の古墳群だったが、現在は全長約30メートルの前方後円墳1基だけが残る。古墳群からは人物をかたどった形象埴輪が出土した。

4 赤塚山1号墳(市田町) 6世紀末から7世紀初頭まで
円墳
赤塚山公園の「歴史エリア」にある直径約17メートルの円墳。現在は土をかぶせられ小山の下に保存されている。

5 穴観音古墳(御津町) 7世紀初頭
円墳
直径約20メートルの円墳。横穴式石室が良好な状態で残っており、市内に現存する古墳の中で、石室の中をのぞくことができる数少ない古墳。

6 船山古墳(御津町) 6世紀前半
前方後円墳
全長約37メートルの前方後円墳。盗掘されたと思われる穴があるが、今でも前方後円墳の形を美しく残す。

古 墳 豆 知 識

いろいろな古墳の形

  • 前方後円墳 古墳を代表する鍵穴の形。古墳の中で最も位が高い。
  • 前方後方墳 方形と台形を合わせた形。全国で500例ほど。
  • 円墳 全古墳数の約9割を占める1番ポピュラーな古墳。
  • 方墳 数は円墳の次に多い。後期には大王陵としても採用。

被葬者が眠る「石室」
古墳の中にある被葬者が眠る棺を安置した石室。穴を掘り棺を置いた後、上に石を積んで穴を閉じる「竪穴式石室」と、入口が造られ、複数回埋葬できる「横穴式石室」がある。

古墳から出土するもの

  • 埴輪 古墳上に並べられた焼き物。円筒埴輪と、家や人物などをかたどった形象埴輪の2種類がある。
  • 副葬品 被葬者に添えられた品々。鏡や鉄製武具、鉄製農具、装身具、須恵器など種類はさまざま。

三河最大級の前方後円墳 船山第1号墳

5世紀後半に造られたとされる八幡町にある船山第1号墳。三河最大級の大きさを誇るこの古墳は、過去12回、発掘調査などが行われました。

歴史解明の手掛かり「発掘調査」

船山第1号墳は、昭和26年から平成29年まで、計12回の発掘調査や測量調査が実施されました。戦前の道路建設や戦時中の採土などにより、現在は築造当初の姿をとどめていませんが、これまでの調査により、本来の古墳の規模は、全長約95メートル、高さ約7.5メートルであることが分かっています。
調査では、地中に残る遺跡を掘り出し、土器などの遺物が出土すると、何が、どの場所から、どのような状態で出土したか、記録していきます。調査で得た記録が古墳の重要な情報として将来まで伝えられていくため、作業は発掘作業員の手で慎重に行われ、細かく記録していきます。船山第1号墳からは古墳の表面に敷き詰められた葺石や埴輪・土器などが出土し、それにより古墳の大きさや形に加え、歴史的な背景などが徐々に明らかになってきました。

INTERVIEW

先人の足跡から想像してほしい

発掘作業員 大場 たか子 さん
市内にある遺跡の発掘に33年携わっています。船山第1号墳での発掘作業は、ほぼ全てを手作業で行いました。規模がとても大きいため、土の量が多く、発掘人生で一番大変でしたが、作業を進めていくと新しい発見に出会うことができました。また、先人たちが残した足跡の調査を微力ながら手伝えたことは、私の誇りでもあります。
今なら船山第1号墳の迫力ある断面を見ることができます。ぜひ皆さんにも直接古墳を見てもらい、古墳を作った人たちの苦労や当時の様子を想像してほしいです。

新たに発見された畿内とのつながり

発掘調査では、船山第1号墳の被葬者と畿内との関係を表す手掛かりが得られました。ここでは、その主な内容を紹介します。

POINT1 被葬者はこの地域のトップ 3段構成の最上位古墳
古墳は、形や大きさによって被葬者の位や権力を示しています。船山第1号墳は、最上位とされる前方部・後円部ともに3段で構成された前方後円墳であることから、この地域を治めていた首長の墓であると考えられます。

POINT2 全国でたった30例ほど! 畿内でも使われていた土器
船山第1号墳から発掘された出土品の中に、笊形(ざるがた)土器とよばれる畿内の大王墓を中心に用いられた土器がありました。これは、県内では初となる発見で、国内において30例ほどしか確認されていません。このことから、船山第1号墳の被葬者は、畿内と密接な関係があったと推測できます。

POINT3 畿内でみられる特殊な技術「土塊積み技術」
船山第1号墳は、ブロック状に切り出した土を盛る「土塊(どかい)積み技術」が用いられたことが分かりました。この方法は、畿内を中心に使われていたもので、船山第1号墳と同時期に造られた県内の古墳においては確認例がありません。これは、船山第1号墳を造る際、畿内から古墳築造の技術者が派遣されたと考えられます。

船山第1号墳の発掘調査結果は「第一級資料」

専修大学文学部教授 土生田 純之 さん
私は、全国にある古墳について研究をしています。船山第1号墳に注目した理由は、地方最大規模の古墳における大きな調査は、大変まれであるからです。
畿内にある大王級古墳の多くは、宮内庁管理の陵墓や国特別史跡などに指定されていて、調査は厳しく規制されています。そのため、調査・研究を進めることが難しい状況になっています。
船山第1号墳では、充実した調査が行われたことにより、築造技術などが明らかになりました。船山第1号墳と畿内との共通点が判明してきましたが、一方で、古墳を造る手順については、畿内の工法だけでなく、この地域独自の工法が用いられていることも分かりました。これまでに行われてきた発掘調査の中でこうした事例はなく、大変貴重な発見となっています。先人たちの知恵によって造られた船山第1号墳は、この地域の誇るべき財産であると思います。
また、この調査結果は、まだ解明されていない全国各地の古墳を知るための第一級資料となります。この素晴らしい資料は、今後、巨大古墳構築の技術解明に大きく貢献することでしょう。

遺跡を守り、後世へ。

千年以上も前から、地域に残されてきた古墳。その背景には、地域の方々が歴史を守り、次代に伝える活動がありました。

INTERVIEW

地域の文化財を守っていく

御津神社宮司 渡辺 鑵治 さん
御津神社は、御津町広石にある船山古墳の維持管理をしており、毎年夏と秋には神社の役員である氏子総代の方々が草刈りを行っています。全長37メートル、高さ4メートルもの大きさの古墳であるため大変な作業となりますが、地域の皆さんからの「ご苦労さま」といった声援を励みにがんばっています。
市内では八幡町の船山第1号墳に次ぐ大きさの前方後円墳です。観光スポットほどの規模ではないですが、大昔の古墳が地域に存在し続けていることを、ぜひ、皆さんに知ってもらいたいです。
船山古墳は、1400年余りの長い歴史を持つたいせつな地域の文化財です。この文化財を氏子の皆さんと協力しながら守り、次代に引き継いでいきたいと思っています。

INTERVIEW

当時の暮らしに触れる体験を

三河天平の里資料館 竹田寛
毎年、市内の小学6年生が社会科の授業で資料館へ見学に来てくれます。資料館には古墳から出土した土器なども展示されており、実物を見てもらいながら豊川の歴史について説明しています。
地域の歴史を学び、新たな発見をすることで、歴史に興味を持つきっかけとなったり、郷土への愛着が増したりします。また、実物を見ることで、当時の暮らしのイメージがふくらみ、思考力・想像力が育まれます。この力が、これから生きていく上でたいせつな力になるのです。
素晴らしい歴史が私たちの地域にあります。ぜひここに来て、古代の人々の営みを想像してほしいと思っています。

先人たちの メッセージに耳を傾ける。
古墳時代が終わり奈良時代になると、船山第1号墳がある八幡町付近は、三河国の国府が置かれ、国分寺・国分尼寺が建てられるなど、三河地域の政治・経済・文化の中心地として栄えていたことが分かっています。
市内に残された先人たちの数々の遺産は、現代を生きる私たちにまちの歴史や歩みなど、たくさんのことを語り掛け、教えてくれています。それらを知ることは、まちの新たな一面を知ること、そして、まちの未来を考えることにもつながります。
今もなお、私たちの暮らしのすぐそばにある古墳。古墳に触れ、先人たちが語り掛けるメッセージに耳を傾け、そのメッセージを未来につなげていくことが私たちの役割なのです。

INFORMATION

古墳の出土品などの展示をしています。豊川の歴史に触れてみませんか。

桜ヶ丘ミュージアム
旧石器時代からの豊川の歴史資料を展示しています。
DATA
開館時間 9時00分から17時00分まで
休館日 月曜日(企画展開催期間は開館)、年末年始 (注記)臨時休館の場合あり
所在地 桜ケ丘町79-2
問合せ 電話:0533-85-3775

三河天平の里資料館
ボランティアガイドの説明を聞きながら見学できます。
DATA
開館時間 9時00分から17時00分まで
休館日 火曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始 (注記)臨時休館の場合あり
所在地 八幡町忍地127-1
問合せ 電話:0533-88-5881

「広報とよかわ」2018年8月号 トピックス

お問い合わせ

企画部 秘書課
所在地:442-8601
豊川市諏訪1丁目1番地
電話:0533-89-2121 ファックス:0533-89-2124

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