図録「三河ではじめての中学校 宝飯中学校」
更新日:2020年4月1日
図録「三河ではじめての中学校 宝飯中学校」
内容
この図録は令和元年12月7日から令和2年1月26日まで、豊川市桜ヶ丘ミュージアムで開催された「企画展 三河ではじめての中学校 宝飯中学校」に際して作成しました。
明治14年(1881年)9月、三河ではじめての中学校「宝飯中学校」が誕生しました。
これは尾張地域に開設されていた愛知県中学校に対して、三河地域でも中学校開校の機運が高まり、宝飯郡国府村に新設されたものです。
「民衆立」の中学校として地域をあげて興した学校の名は中央まで轟き、同校には、明治19年3月には福澤諭吉が視察に訪れたほどでした。
しかし、明治19年4月。宝飯中学校は心ならずも閉校せざるを得なくなってしまいます。
本図録では、足掛け6年という短い期間でその役目を終え、断片的なことしか知られず歴史に埋もれた、まぼろしの宝飯中学校についての紹介しています。
「三河ではじめての中学校 宝飯中学校」図録の表紙写真
ページ数:48、価格:600円、刊行年月日:令和元年12月 A4サイズ
