牛久保城下の古図
更新日:2013年5月25日
収蔵品紹介
牛久保城下の古図(光輝院蔵)
牛久保城は、享禄2(1529)年一色城主牧野成勝が築城した平城で、北には二重の堀をめぐらしていたと推定されます。また、城をとり囲むように侍小路、与力屋敷、町人の町通り、周辺部に寺院などを配置するとともに、道も直線とせず曲尺手(かねんて)とするなど、外敵に備えるつくりとなっています。このような町は、近世の城下町の先がけをなすものでした。
この古図が描かれた年代は不明ですが、寺院が現在地と異なる場所に配置されることなどから、16世紀半ば頃の状況をあらわしたものとする考えがあります。
なお、この古図には「大林勘左衛門 山本勘助養父」と記された屋敷地があり、武田信玄の家臣として活躍した勘助と牛久保との関わりを具体的に示す貴重な史料です。