■豊川海軍工廠
豊川海軍工廠は、海軍の航空機や艦船などが装備する機銃とその弾丸の主力生産工場として、昭和14(1939)年に開庁した巨大兵器工場で、日中戦争から太平洋戦争、終戦に向かった日本の戦前の昭和史を如実に示す存在です。当初は機銃部と火工部の二つの造修部門でしたが、戦局の拡大と呼応し昭和16(1941)年に光学部、18(1943)年に指揮兵器部、19(1944)年に器材部が新設され規模を拡大していきました。昭和18年には豊川市が誕生しますが、これは海軍工廠建設による人口増や旧町村の結びつきが強まったことを要因とするものであり、また20(1945)年8月7日の空襲では2,500人以上が犠牲となり多大な被害を出すなど、豊川海軍工廠は豊川市の近代史を理解する上でも欠くことのできない歴史的事象です。
空襲後の豊川海軍工廠(正門付近)
豊川海軍工廠関連年表
豊川海軍工廠平面図
豊川海軍工廠の敷地は約200ヘクタールあり、周囲は堀と土塁などに囲まれていました。敷地内は碁盤の目のように91の区画に区分され、その中に整然と工場が配置されていました。
■問い合わせ
教育委員会 生涯学習課
電話:0533-88-8035