豊川市の地勢・あゆみ

更新日:2025年01月30日

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地勢

菜の花と満開の桜の木々の間を通る一本道の写真

愛知県南東部に位置し、市域面積は161.14平方キロメートルで、北側は県立自然公園に指定されている本宮山麓が連なり、中央部から広がる平野の東部には一級河川豊川(とよがわ)の清流が流れ、そして南部では波穏やかな三河湾を望むことができ、「山、川、海」といった豊かな自然環境に恵まれています。

あゆみ

 古くは三河の国府、国分寺、国分尼寺が置かれるなど、この地方の政治・経済の中心として栄えてきました。近世以降は、東海道の御油・赤坂宿、豊川稲荷の門前町として多くの人に親しまれるまちでした。
 昭和14年からは、東洋一といわれる豊川海軍工廠の建設とともに周辺地域の開発も急速に進み、昭和18年には、豊川町、牛久保町、国府町、八幡村の3町1村が合併して豊川市が誕生しました。
 しかし、昭和20年8月7日、B-29爆撃機の空襲により、2,500人を超える尊い命が奪われ、まちが壊滅状態になるという悲惨な体験をしました。
戦後、東名高速道路豊川インターチェンジの開設を契機に、市内の幹線道路網が発達し、工廠跡地への企業誘致などにより着実に復興の道を歩み始めました。また、豊川用水の全面通水に伴い農業が盛んになり、スプレー菊、バラや大葉の栽培を中心とした施設園芸が発展しました。
 さらに平成18年から平成22年にかけて、宝飯郡4町(一宮町、音羽町・御津町、小坂井町)と3度の合併を行い、人口18万人の東三河地域の拠点都市となり、現在に至っています。

晴れた日の国分尼寺史跡公園内にある三河国分尼寺跡の中門の写真

国分尼寺史跡公園

豊川稲荷門の手前にある「豊川いなり表参道」と書かれたアーチのある道を行きかう人々の写真

豊川稲荷門前

室内で机の上におかれた大量の赤いバラを仕分ける2人の女性の写真

バラ出荷作業

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