石河 彦男

更新日:2025年01月30日

ページID : 16380

作者略歴

石河彦男|いしかわひこお|大正6年~昭和61年

1917年、5月12日、愛知県豊橋市湊町に生まれる。1930年、愛知県豊橋中学校(現:時習館高校)で細島昇一の指導を受ける。1939年、東京美術学校(現:東京藝術大学)を卒業後、朝鮮総督府に奉職を命ぜられ、朝鮮郡山公立高等女学校へ教師として赴任。1946年、豊橋市展大映賞。愛知県豊橋市立工業学校兼豊橋市立商業学校の教師となる、のちに豊橋市立中部中学校、愛知県立国府高等学校、同旭丘高等学校、愛知県立芸術大学非常勤講師を経て、名古屋芸術大学美術学部教授となる。1947年、豊川美術展に出品。翌年、光風会展初入選、第4回日展初入選、以降、両展を主な作品発表の場とする。1949~57年、豊川市国府町に在住。1950年、第1回豊橋美術展特賞、翌年朝日新聞社賞、52年豊橋市長賞、53年から審査員。第36回光風会展中部光風賞。1953年、光風会会友推挙。1954年、第10回記念日展特選、翌年無鑑査。1962~75、78年委嘱出品、79年、日展審査員、翌年日展会員推挙。1978年愛知県作品買上。1986年、名古屋芸術大学のアトリエで死去。豊橋市美術博物館作品買上。風景の会-創立記念絵画展に遺作出品。1989年、石河彦男展を豊橋市美術博物館主催で開催し、画業を回顧する。

作品紹介

ノートルダム・ド・アミアン

1981年、194x130センチメートル、キャンバス・油彩・額装、平成19年度寄贈

青空の下の聖堂を描いたイラスト

 フランス北部の町、アミアンの大聖堂を描いたものです。フランスで最も高い大聖堂の一つで、この年、画家の父親や、親交の深かった画家・新道繁氏が続けて亡くなり、鎮魂の想いを込めて描かれたものです。巨大な大聖堂の上部は空と同化するような色彩で表され、現世と天とをつないでいるようです。
 故人への想いを聖堂に託した大作で、第13回日展に出品されました。

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