令和6年度 平和宣言
本日、豊川市平和祈念式典を挙行するにあたり、ご来賓の皆様をはじめ、ご遺族の皆様、豊川海軍工廠関係者、多くの市民の皆様にご臨席を賜り、心からお礼を申し上げます。
昭和20年8月7日、わずか26分間に3000発以上の爆弾が投下され、豊川海軍工廠は焼け野原と化し、子どもや女性を含む2500名以上の尊い命が一瞬のうちに失われました。
豊川市は、豊川海軍工廠被爆50周年を迎えた平成7年8月7日に、すべての市民の願いとして、「平和都市」を宣言しました。以降、毎年、平和祈念式典を執り行い、平和な世界、安全な世界の創造と存続を訴えています。
しかしながら、世界に目を向けると、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢など、今もなお、絶えることのない争いにより尊い命が奪われています。また、米中両国の台湾をめぐる対立、繰り返される北朝鮮による弾道ミサイル発射など、平和と安全を脅かす緊張状態が続いています。
このような現状は、私たちにとって、決して他人事ではありません。今を、そして、これからを生きる私たちは、79年前の悲惨な出来事を、今一度、胸に刻み込み、戦争の記憶を風化させることなく、平和であることの大切さを語り継ぎ、平和を守り続けていかなければなりません。親から子へ、子から孫へ、各々が自分事として「平和」について考え、共有することで、平和を願う心のタスキが次世代につながっていくのだと思います。
今後も、本市では、毎年、小学6年生を対象とした豊川海軍工廠平和公園での戦争遺構に触れる平和学習などの取組を通じて、平和への思いを引き継ぐ次世代の育成に力を注いでまいります。
本日ここに、戦禍の犠牲となられた方々の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、先人のたゆまぬ努力に感謝の気持ちを忘れることなく、戦争のない世界、核兵器のない世界の実現を目指し、恒久平和に向けて全力を尽くすことをお誓い申し上げます。
令和6年8月7日
豊川市長 竹本 幸夫
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更新日:2025年01月30日