葵の紋発祥ゆかりの地(伊奈城趾・花ケ池)

更新日:2025年01月30日

ページID : 4074

 享禄2年(1529年)、伊奈城主・本多正忠は岡崎城主の松平清康(徳川家康の祖父)に従い、吉田城を攻略した。そして、正忠は清康を伊奈城に迎え勝利の祝宴を開いた。この時、正忠は城内の池のありふれた水草に肴を盛って出した。これは中国の古典・春秋左氏伝に習い潔白な忠誠心を清康に表したのである。清康は喜び、この時、伊奈本多家の「立葵の家紋」(フタバアオイ)を望み、以来用いるようになり、後に「徳川・三葉葵の家紋」となったと伝えられている。
 水草を採った池を「花ケ池」と言い、「伊奈城趾」とともに憩いの公園として整備されている。

場所、伊奈町

葵の紋発祥ゆかりの地と言われ公園として整備されている水草の生い茂った花ケ池の写真

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 生涯学習課
所在地:441-0292
愛知県豊川市赤坂町松本250番地
電話番号:0533-88-8035
ファックス番号:0533-88-8038
お問い合わせフォーム(メールフォームへリンクします)
この情報はお役に立ちましたか?

より良いホームページにするために皆様のご意見をお聞かせください。

このページの内容はわかりやすかったですか。
このページに対してご意見がありましたらご記入ください。
ご質問や個人情報が含まれるご意見は、このページのお問い合わせ先へご連絡ください。この欄に入力されてもお答えできません。