葵の紋発祥ゆかりの地(伊奈城趾・花ケ池)
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享禄2年(1529年)、伊奈城主・本多正忠は岡崎城主の松平清康(徳川家康の祖父)に従い、吉田城を攻略した。そして、正忠は清康を伊奈城に迎え勝利の祝宴を開いた。この時、正忠は城内の池のありふれた水草に肴を盛って出した。これは中国の古典・春秋左氏伝に習い潔白な忠誠心を清康に表したのである。清康は喜び、この時、伊奈本多家の「立葵の家紋」(フタバアオイ)を望み、以来用いるようになり、後に「徳川・三葉葵の家紋」となったと伝えられている。
水草を採った池を「花ケ池」と言い、「伊奈城趾」とともに憩いの公園として整備されている。
場所、伊奈町

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更新日:2025年01月30日