学校の概要
校名(よみ)
- 豊川市立三蔵子小学校(とよかわしりつさんぞうごしょうがっこう)
- Sanzougo Elementary school
- 創立年月日:1876年(明治9年)5月10日(三蔵子学校)
- 代表者名:鈴木 正夫
校訓
たくましく ゆたかに みんなで
教育目標
校訓を、本校での三つの暮らしの指針「みくらし」とし、「みくらしの実現」を本年度の教育目標とする。
住所
〒442-0006 愛知県豊川市三蔵子町宮前32番地
連絡先
- 電話:0533-86-3646
- ファックス:0533-89-5304
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三蔵子小学校について
- 校名:豊川市立三蔵子小学校
- 読み:とよかわしりつさんぞうごしょうがっこう
- 英字:Sanzougo Elementary school
- 校長:鈴木 正夫
学校の概要
本校は昭和20年、豊川国民学校の分校として分離独立した学校である。当時の校舎は棟ごと、建物ごとに新築、改築が繰り返され、平成12年にコンピュータ教室、多目的ホール、ワークスペース、カウンセリング室などの新校舎が増築され、現在に至っている。
児童数は、昭和57年963人、25学級がピークで平成30年度は683人、25学級となっている。
校区の多くが市街化区域に指定され、住宅化に伴い世帯数も増え、児童数が市内最大の規模の学校になった。
学校の位置
平成18年2月の一宮町との合併により、三蔵子小学校区が豊川市のほぼ中心に位置するようになった。
沿革史

1,三蔵子学校以前の教育
- 寺子屋時代(明治7年以前)
寺院の住職か学識のある人々の自宅に弟子入りして、教えを受ける(大崎村は金清寺、本野村は玉蔵寺、長草村は福寿院、三蔵子村は光徳寺)。課業として、いろは・村尽・国尽。商売往来・消息往来等の手習いと実語教・童子教等の読物を主として、読み・書き・算盤を教えたに過ぎなかった。 - 学校創設時代
- 育英館(明治6年)1873
学校世話方を設け、その協議により豊川村・古宿村・北金屋村・野口村・大崎村・本野村・三蔵子村を合併し、妙巌寺お篭堂に学校を設置して、これを育英館と称し通学した。また長草村・樽井村・六角村は大木玉宝寺(大樹庵)の大木学校に通学した。 - 育英館は、第3大学区内第10中学区内第40番小学豊川学校と改称した。
- 学習は農業往来・千字文・三字経・単語篇・世界国尽(福沢諭吉)・国史略・四書・算術の初歩・小学読本・日本地史略も漸次学習した。
- 連区学校(明治8年)1875
大木学校・豊川学校が連合して連区学校と称し、三蔵子村の光徳寺本堂を仮教室として授業を行った。教師 森 平六先生
- 育英館(明治6年)1873
2,三蔵子学校時代(明治9年5月?25年)
- 三蔵子学校創立(明治9年5月10日)1876
- 光徳寺本堂を仮教室とし、23学区三蔵子学校と称する。
- 校舎新築(明治13年5月16日)
三蔵子村光徳寺前の共有地を借用して校地とし、一校舎を建築する。
(敷地総坪数600坪、校舎坪数48坪) - 明治9年5月より明治15年までは、下等8級、上級8級と称し、16年からは、初等6級・中級6級・18年度からは、第1年・第2年といい第4年までの制を設ける。
- 23学区三蔵子学校
創立より明治19年4月までは、23学区三蔵子学校と称する。そのころ、初等科・中等科・高等科となり、各6級より1級進むのに試験制度で、春秋2回これを行う。教師 太田玄隣先生
- 簡易小学三蔵子学校(明治19年4月)1886
- 豊川村立三蔵子学校(明治22年10月10日)1889
豊川村・北金屋村・古宿村・馬場村・三蔵子村・樽井村・長草村・六角村・本野村・大崎村の10か村が合併をして、豊川村となり、豊川村立三蔵子学校と改称する。
長草万歳

豊川市芸能大会にて
- 師匠 小林 和典氏
- 片岡 秋仁氏
- 森下 保氏
PTA活動
資源回収は、年2回実施します。各ご家庭や地域の皆様のご協力により多くの成果を挙げています。
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更新日:2025年01月30日