すべては東日本大震災・被災地支援から始まった

更新日:2025年01月30日

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沢山の畳や家財などが広い広場のような所に置かれている写真

2024年8月23日宮城、長野、石川 求められる支援を一生懸命

豊川市役所職員 環境省災害廃棄物処理支援員(人材バンク) 篠原 英明
眼鏡を掛けた男性が手を前で組んで座り、笑顔で話している写真

頼まれごとは試されごと 少しでも人の力に

生まれは北海道新十津川町。田園風景が広がる自然豊かな場所で、米農家の両親と祖父母、妹2人の7人で暮らしていた。豊川市内の自動車部品製造会社で勤務し、工場の設備保全、大気及び水質などの環境、産業廃棄物管理などを担当した。1999年の大竜巻では、突風ではがれ飛んだ工場屋根への対応に追われた。

26歳で、豊川出身の女性と職場結婚。29歳の時には、愛着のある豊川市で公共の仕事がしたくなり、市の民間企業経験者職員採用試験を受けて採用された。市役所では、環境対策課(現・清掃事業課)に配属され、2年目には清掃工場に異動し、ごみ焼却炉の設備管理に携わった。それ以降、途中で異動はあったものの、清掃工場の仕事が圧倒的に多い。会社員時代に産業廃棄物関連業務をしていたことが市役所の仕事で活かされた。
初めて被災地に訪れたのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災のあと。自治体の応援職員派遣制度に手を挙げた。「困っている人たちがいるなら、その力になりたい」。
場所は宮城県南三陸町役場だ。2013年4月から1年間という長期派遣だったが、職場も家族も快く送り出してくれた。震災から2年が経っていたが、復興は程遠かった。環境対策課に配属され、震災関連に限らない全般的な業務に携わった。役場には自ら被災した人たちもいて、当時は全体の約3分の1を他市町村の応援職員が補っていた。佐藤仁町長を筆頭に職員たちは明るく務めていたが、一歩外に出ると、壊れた建物や道路がそのまま残され、ガレキの山が点在していた。
南三陸は海の幸が豊富で、海鮮料理は絶品だった。仕事のあとは仮設店舗で夕飯を食べ、ご近所さんたちとの交流も生まれた。少しでも力になれればと、任期を終えて豊川に戻った後に、海鮮料理に欠かせない大葉を、豊川市から南三陸町に寄贈する取り組みなどを企画。また、豊川市の学校給食の材料として、東北の食材の購入・支援を進めた。

これらの体験を活かせるならと、環境省が災害廃棄物処理を経験した地方公共団体職員を対象に作った「災害廃棄物処理支援員」の人材バンクに登録した。

手前に法被を着た男性と、眼鏡を掛けた男性が大葉を手にしており、その奥に法被を着て旗を持っている男性が立っている写真

豊川産の大葉を南三陸町に寄贈。 前列左が佐藤仁町長、後列右が篠原さん

カモメが2羽飛んでいる海の上から日の出を船に乗りながら見ている男性の写真

佐藤町長の書籍の表紙に採用された、南三陸町の志津川湾の日の出(漁船から撮影した)

木造2階建ての家屋の倒壊状況を確認している調査員の男性の写真

公費解体現地調査(石川県能登町で)

全国からの支援に感謝の気持ちを込めて作られた看板や横断幕4枚をそれぞれ写した写真

地域の方々からの感謝の言葉に、元気づけられた。(石川県能登町で)

作業服を着用した複数の男性が並んで笑顔で微笑んでいる写真

支援職員(東京都、仙台市、東松山市、石川県庁)と役場職員に囲まれて(石川県志賀町役場にて)

「災害派遣」と張られたトラックの前で2名の男性が立っている写真

豊川市の職員2人で、トラックに乗って現地へ(長野県長野市で)

「災害派遣」と書かれたクレーン車が災害で出たごみを集めている写真

災害廃棄物運搬の様子。(長野県長野市で)

「日本最高峰富士山剣峰」と彫られた山頂碑の右側にトレッキングポールを手にしサングラスを掛けた男性が笑顔で微笑んでいる写真

趣味の登山で体力アップ。地元の本宮山(標高789メートル)は24時間で9往復した

災害対策 自主的に備え、自ら声を上げよう

次の支援は、2019年10月の大型台風19号。環境省の依頼を受けた愛知県からの要請で、11月4~11日の8日間、甚大な浸水被害が起きた長野県長野市に、同じ清掃事業課の職員と2人、トラックで向かった。任務は災害廃棄物の処理支援。現地では、大量に発生した災害廃棄物を運搬することが急務だった。仕事をしながら、「豊川でも、この規模の災害は十分発生する可能性がある」と実感した。
そして次の支援は記憶にも新しい、2024年の元日に発生した能登半島地震。3月には石川県志賀町で10日間、4月には同県能登町で8日間にわたり、公費解体業務を支援した。能登町では地図を片手に一日に10キロ歩き回り、倒壊家屋を調査。地震から4カ月近く経つにもかかわらず、半壊以上の建物を住民が申請していないケースが3割以上もあるとわかった。「公費解体は自分たちで声を上げなければ進まないのに」と歯がゆさを感じつつ、一方で、町の人たちからの感謝の言葉に気持ちがほぐれた。

篠原さんが大切にしている言葉がある。「頼まれごとは試されごと」。実業家の名言で、“頼まれごとはその人への期待の表れ。チャンスと思って期待以上のことで返せば、きっと人生が豊かになる”という考え方だ。「これからも要請があったら災害支援に行きたいと思っています。山登りで体を鍛えていますし、いつでもスタンバイオッケーです」と篠原さん。さまざまな経験を活かして、愛知県主催の災害廃棄物研修会で講師を務めたり、地元の桜町小学校で、児童と教職員向けに被災地の話をしたこともある。「大事なのは各町内が自主的に備えること。そして自分たちから声を上げることです」。

DATA

腕時計をし、眼鏡をかけた男性が椅子に座り笑顔で微笑んでいる写真

篠原 英明(しのはら ひであき)

豊川市職員。環境省災害廃棄物処理支援員(人材バンク)

これまで、東日本大震災、長野市の台風19号被害、能登半島地震の支援活動に参加。

地域防災の大切さを伝える活動もしている。

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駅が近くて通勤通学がしやすいまちなかでのマイホーム購入を応援するため、所有する土地・家屋に係る固定資産税相当額(最大3年間・面積要件あり)を補助します。

対象条件は、以下のいずれかに該当する方です。

  1. 1.豊川市外に連続して5年以上住んでいたが、市内の特定の区域に家屋を購入して引っ越してきた
  2. 2.豊川市内の災害想定区域に家屋を所有して住んでいたが、市内の特定の区域に家屋を購入して引っ越してきた

さらに、対象世帯のうち、中学生以下の子を持つ世帯に対し、1人当たり10万円(1回限り)の奨励金を交付します。対象条件は、

  • (a)転入前5年以上市外に在住
  • (b)2017年1月2日以降に都市機能誘導区域内に家屋を新築(分譲マンション・中古住宅も対象)。
  • (c)転入後10年以上市内に定住する意思がある。
  • (d)町内会へ加入する。
  • (e)市税等の滞納がない。
  • (f)暴力団員でない。

以上6点になります。

この記事に関するお問い合わせ先

企画部 元気なとよかわ発信課
所在地:442-8601
愛知県豊川市諏訪1丁目1番地
電話番号:0533-95-0260
ファックス番号:0533-89-2125
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