伝統校復活へ!主将として苦難を乗り越え
立教大学陸上競技部男子駅伝チーム主将(豊川高校出身) 安藤圭佑

1968年以来、箱根駅伝から遠ざかっていた立教大学が2023年、55年ぶりに本選出場を果たした。翌2024年、2025年と3年連続で出場し、立教はかつての駅伝強豪校としての栄光を取り戻しつつある。そんな中、特に厳しい局面でチームを支えたのは、豊川市出身の主将、安藤圭佑さん。総合13位だった2025年を振り返り、「シード権獲得の目標には届かなかったのは悔しいですが、精神的にもすごく成長できた4年間でした」と、経験をかみしめている。
豊川陸上教室からYRC。 陸上の楽しさに目覚める
父親は教員、母親は音楽教室の講師。2つ違いの弟も現在、明治学院大学で箱根を目指している。豊小学校時代はサッカークラブに所属したが、校内のマラソン大会で優勝するなど走る方が得意で、高学年になると豊川陸上教室に通い始めた。中高生対象の陸上クラブ「YRC」(やまだランニングクラブ)に誘われ、小6で入会。卒業前の3月に中学生対象の記録会に参加すると、1500メートルで中学生に引けを取らない走りができた。それが自信につながり、東部中学校で陸上競技部に入部。1年生の時から県大会に出場し、2年生の時には県代表として全国ジュニアオリンピックに。トップ選手たちと同じ舞台に立てたことがうれしかった。しかしその直後、左すねを疲労骨折してしまう。ケガに悩まされながらも3年生で全日本中学校陸上競技選手権大会と全国都道府県駅伝のメンバーにも選ばれた。学校生活では生徒会の副会長に選ばれ、初めて人の上に立つことを覚えた。

中学2年時: 愛知県ジュニアオリンピック男子B1500メートル表彰(1番左)

中学3年時 :愛知県市町村対抗駅伝参加
豊川高校駅伝部時代 ケガからの復活、主将としての挫折
卒業後は、市内の強豪校、豊川高校で駅伝を続けた。県内外からのスカウトを断り豊川高校に入学したのは、「地元で走りたい。ここで続けることこそ自分のステータスになる」と考えたから。実際、慣れ親しんだ地域、整った環境での練習で、飛躍的にスキルは伸びた。しかし1年生の秋、本格的な駅伝シーズン目前で再び左すねを骨折。「ああ、終わったな」。絶望の淵に立たされた。復帰には相当時間がかかるということ、そしてその辛さは、中学時代のケガで思い知らされていた。
なかなか状態は良くならず気持ちばかりが焦った。完全回復まで1年。2019年の全国高校駅伝では、アンカーとして順位をひとつ上げ、チームは10位でフィニッシュ。個人としては区間6位の成績だった。レース後には主将に抜擢され、選手を一致団結させる役目を担った。ところがその後の急な監督交代をきっかけに、チームの結束はもろくも崩れた。人生経験が浅い自分にとってチームの修復作業は難しく、さらに新型コロナウイルス感染症の蔓延もあって、最後までチームをまとめきることができなかった。ただそんな中でもチームは連続で全国高校駅伝に出場を果たした。総合28位という結果よりも、1区を走った自分が流れを作れず、主将として不甲斐ない走りだったのが悔しかった。

豊川高校3年時: 愛知県高校駅伝優勝後の記念撮影(前列左から2人目)
立教大学へ 目指せ箱根のシード権! 主将でリベンジ
それらの思いを抱えたまま立教大学に入学し、さらに陸上に打ち込んだ。初めて親元を離れて最初は不安が大きかったが、それも時間が解決してくれた。入学する少し前から、立教は学校を挙げて箱根駅伝出場に燃えており、それが練習のモチベーションになった。ケガで泣いた経験から、練習では故障しないためのアプローチを心がけ、その甲斐あって1年生から主力メンバーに選ばれた。こうして2年生の秋、チームは箱根駅伝の予選会を6位で突破。2023年の本選への出場を果たした。アンカーとして走ったゴール地点の熱狂ぶりに圧倒され、テレビ放送で見ていた以上の凄さを実感した。総合順位は18位。「次はシード奪取を」と、チーム全体が燃えた。ところが同年10月に開かれた、次の箱根駅伝の予選会を目前に、当時の監督が突然解任される。監督不在という逆境でも、チームは予選を6位で通過。本選で自分は9区を任され、総合14位でフィニッシュした。
その本選のあと、主将になった。迷った挙句の立候補。最悪の状況での監督交代は高校で経験しており、自分に何かできるかもしれないと思ったからだ。なにより高校でチームをまとめられなかった後悔が自分を突き動かした。「もう一度チャレンジしよう。ダメならダメでしょうがない」。

立教大学4年時:立教大学陸上競技部男子駅伝チームメンバーと(前列左から4人目)
全日本大学駅伝初出場シード獲得 箱根のシード「次は必ず」
4月に新監督が着任するまで、チーム運営は学生たちにゆだねられた。監督代理として練習計画を立てたものの、指導者経験のないド素人が考えたメニューだ。言うことを聞いてくれない選手たちには手を焼いた。それでも4年生の仲間たちにも協力を求めながら、学年の壁を越えて意見が言える雰囲気づくりを大切にし、みんなの意見をくみ取る努力を重ね、何とか山を乗り越えた。こうして迎えた春、待ちに待った新監督が着任。胸をなでおろしたのも束の間、再びピンチが訪れた。前監督の存在が大きかった分、新監督を受け入れない雰囲気が広がったのだ。ここからは主将として監督と選手の仲介役に徹した。
そのうち、新監督の指導成果が出るにつれて信頼は高まり、夏の合宿を経て自分もチームも走力が向上した。こうして迎えた10月の箱根駅伝予選会で、チームはトップ通過。さらに11月の全日本大学駅伝に初出場して7位に入り、初のシード権を獲得できた。初出場でシード獲得は、大会56年の歴史で5校目の快挙という。こうして上り調子の中で迎えた2025年の箱根駅伝本選だったが、結果は総合13位。9区だった自分が実力を発揮できなかったこと、そして何よりも4年間目標にしてきた箱根のシード権に手が届かなかったことが心残りだ。しかし同時に、立教大学陸上競技部男子駅伝チームは着実に実力をつけてきていることを実感した。「来年こそ」と、後輩たちに思いを託す。
この春、競技生活に区切りをつけて自動車メーカーに就職する。主将として経験してきたことを存分に活かしていくつもりだ。

立教大学4年時: 箱根駅伝予選会
地元に恩返しを
今の自分があるのは、豊川という恵まれた環境で育ち、たくさんの人たちの支えがあって陸上を続けてこられたからこそ。今回の全日本大学駅伝と箱根駅伝の予選会が、母校豊川高校での教育実習と重なったが、後輩たちと一緒に練習をさせてもらい、心身ともにリラックスした状態で大会に臨めた。豊川にはジョギングしやすい街並みがあり、陸上競技も盛ん。これからは市民ランナーとして、または陸上イベントの協力者として、地元にも貢献できたら。
DATA

安藤圭佑
豊川市出身。豊川市立東部中学校時代から長距離走で力を発揮した。豊川高校では全国高校駅伝に参加。立教大学では箱根駅伝、全国大学駅伝などに出場した。高校・大学ともに、主将を務めた。この春駅伝を卒業し、自動車メーカーに就職する予定。
立教大学陸上競技部男子駅伝チーム
1920年に創部された伝統あるチーム。箱根駅伝には1934年の第15回大会から出場し、最高順位は1957年第33回大会での総合3位。2023年1月の箱根駅伝で55年ぶりに本選に出場して総合18位を獲得。2024年の第100回大会では総合14位、2025年には総合13位と、躍進を続けている。
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更新日:2025年03月03日