2つの文化を胸に、世界へ

更新日:2025年05月15日

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ミス・グランド・インターナショナル2024 トップ20 ⋆ 重光 ルマ・ナオミ
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日本とブラジル、二つの文化の狭間で揺れ動いた少女が、国際的ミスコンテスト「ミス・グランド・インターナショナル2024」の世界トップ20に選ばれた。豊川高校出身の重光ルマ・ナオミさんは、アイデンティティの葛藤や難病との闘いを乗り越えた真の美しさを世界の舞台で表現。自分の殻を脱ぎ捨てて、新たな道を歩み始めた。

嫌われたくない。目立ちたくない。

日系の父が日本で暮らすことに憧れ、ブラジル・サンパウロから母とともに来日。それから兄と私が生まれた。保育園の時、豊川市に移り住み、ここで育った。小学生になって自立心が芽生えてくると、外見的にも内面的にもまわりの友だちとの違いを強く自覚するようになる。長い脚や肌の色の違い、ブラジル人特有の積極的な性格も「良くないこと」と感じ、目立たないように自分を抑え込んだ。「外国人である」という自意識、負い目から、内気になっていたのだと思う。いじめを受けたり、仲間外れにされたりしたわけでない。ただ、とにかく嫌われたくなかった。

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5歳の時。家族と一緒に豊川(とよがわ)で水遊び

何でも話せる。母は今も1番の親友

そんな私を支えたのは母親の存在。母には何でも話せたし、どんな話も聞いてくれた。今も親友のように仲が良い。父は仕事一筋の会社員なので、子どもたちの世話は母が担当。サンバのパシスタ(ソロダンサー)だった母の影響で、私もダンスを習い、一緒にいろいろな地域のイベントやパレードに参加した。中学では日本文化のかっこよさに惹かれて弓道部に入った。部活動はとても楽しく、充実していた。さらに学業も手を抜かず、熱心に取り組んだ。自分にとって努力するのが普通のことだった。

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どんな話も聞いてくれる母(右)と

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小学5年生の時。母の影響でダンスを習った(後列左)

クローン病を発症。 試練の時

かわいい制服、環境や雰囲気などに惹かれて豊川高校に進学。両親を説得し、晴れて入学できた。特進選抜クラスで学びながらボランティア活動にも励んだ。学業をこなすのは大変だったが、家族に経済的な苦労をかけている分、一生懸命取り組んでいた。ところがその矢先、高校2年の時に指定難病「クローン病」を発症。原因不明の腹痛などに悩まされて入院を余儀なくされた。学業の遅れ、完治しない病との向き合い方、将来への不安…で苦しんだ。

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クローン病を発症し、つらかった時期

海外に行きたい!

それでも前を向き、「海外に行きたい」という夢を見つけた。実現すべく、卒業後は語学学校に入学。さらに英語力向上に努め、TOEIC900点という高得点を獲得した。母親の後押しもあり、モデル活動を開始し、2023年にはブラジル人コミュニティのミスコンで優勝。より大きな舞台への挑戦を決意する。自分の名前「ナオミ」は、両親が好きな世界的ファッションモデル「ナオミ・キャンベル」から名付けられた。彼女は「Vogue」や「TIME」誌の表紙を飾った初の黒人女性モデル。多くの女性たちが憧れるファッション界のアイコンだ。

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語学学校主催の英語スピーチコンテストで全国優勝

世界最大規模のミスコン、日本代表への道

2023年末には世界最大規模のミスコンテスト「ミス・グランド・インターナショナル2024」の国内選考に挑戦。2024年7月の国内大会に向けて、春には東京でコンテストに向けたレッスンが開始。交通費や衣装代などをアルバイトで賄い、ぎりぎりの生活を送りながら励んだ。そこで悩まされたのは「あがり症」。最初の自己紹介では足ががくがく震えて、自分一人だけ言葉が出なかった。大事な時に、自分の弱さが顔を出した。しかしファイナリストが絞られていく中で他の参加者たちとも打ち解け、ともに切磋琢磨することで少しずつ自分を表現できるようになっていった。努力が実り、日本代表の座を獲得した。

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ミス・グランド・インターナショナルの日本代表に

夢の第一歩を踏み出す

そこから3か月後の世界大会に向け、会場となるタイに自費で渡り、懸命に練習を重ねた。初めての単独渡航。空港券の買い方すらわからない状況に戸惑いながらも、高校生の時に抱いた「海外に行きたい」という夢。その第一歩を踏み出した。経済的には大変だったが、現地でレッスンを受けなければ、入賞できなかった。例えば、ウォーキングのスタイルも国内大会の時と違っていたからだ。

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世界大会に向けて単身タイへ!

世界の舞台で輝く

バンコクで開かれた世界大会。今まで見たことがない華麗な景色が広がっていた。70か国以上の代表が集う大舞台に一瞬足がすくむ。ただそこにはもう、高校生までの自分はいなかった。堂々と振る舞い、豊川などから応援してくれている人たちを思い、力を出し切った。結果はトップ20入り。トップ10を目指していたので悔しさはあるが、この大会で自分に足りない部分が明確になり、得たものの方が大きいと思った。なにより会場に来ていた母も、自分の夢が叶ったみたいに喜んでくれたのがうれしかった。

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ミス・グランド・インターナショナル世界大会で(タイ・バンコク)

住みやすさ・人の温かさ…豊川が大好き

現在は名古屋市内で暮らしながら、イオンモール豊川や豊川市国際交流協会など地元豊川のイベントにも積極的に参加。同時に難病患者支援団体の講演会で、クローン病の啓発活動にも力を入れている。
地元を離れて初めて豊川の良さがわかった。住みやすさと人々の温かさ。豊川稲荷は特に魅力的で、個人的にもお気に入りの場所だ。これからも大好きな豊川を大切にしながら、国内外で活躍したい。10代の頃には重荷だった二重のアイデンティティ。これからは強みに変えて生きていきたい。
 

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豊川いなり寿司のマスコットキャラクター「いなりん」(左)と(豊川市役所で)

DATA

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重光 ルマ ナオミ/ LUMA NAOMI SIGUEMITU

ミス・グランド・ジャパン 2024
豊川市出身。22歳。
2024年10月にタイで開催された「世界一勝つのが難しい」と称される美の祭典『ミス・グランド・インターナショナル』にて、世界TOP20入りを果たす。
18歳からモデルとして活動し、雑誌の表紙を3度飾る。同年、全日本ECC英語スピーチコンテストで優勝。
自身が積み重ねてきた経験を活かし、ウォーキング講師としても活動予定。美と自信を通じて、より多くの人が輝ける社会を目指している。
16歳でクローン病と診断されるが、それを個性として受け入れ、希少疾患を持つ人々を勇気づける活動を続けている。現在、日本代表として希少疾患患者を支援する。
NPOの設立・支援に取り組むほか、RDD Japanの活動にも参画し、患者支援と社会への理解促進に貢献している。
また、幼少期から国際交流に携わり、日本人と外国人住民をつなぐ活動を行う。今後は、日本国内外でエンターテインメントとモデル業界に挑戦し、世界的な影響力を持つことを目指す。

Instagram
https://www.instagram.com/https://www.instagram.com/luma_naomi/

ミス・グランド・ジャパン/ MISS GRAND JAPAN

世界一の国際的コンテスト「ミス・グランド・インターナショナル」に出場する日本代表を決める大会。
ファイナリスト育成カリキュラムでは、女性活躍推進を軸に、生涯を通して国際社会で活躍できる人材の育成・輩出をしている。大会後も出場者がキャリアップをできるよう就職支援、起業支援なども行っている。2024年、ミス・グランド・インターナショナル世界大会において、日本は世界一のマネジメント&大会クオリティを有する国に贈られる GRANDAWARDを受賞し、日本事務局は、世界レベルの運営を行っていると評価されている。運営代表は、秋田県出身のミス・グランド・ジャパン2013初代日本代表の吉井絵梨子。
Website
http://missgrandjapan.com/
Instagram
https://www.instagram.com/missgrandjapan/

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企画部 元気なとよかわ発信課
所在地:442-8601
愛知県豊川市諏訪1丁目1番地
電話番号:0533-95-0260
ファックス番号:0533-89-2125
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