かつてのにぎわい再び みんなが集える神社へ

更新日:2025年07月31日

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為当稲荷神社宮司 山本行洋
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豊川市為当町に生まれ育ち、祖父の代から続く神職の家系に生まれた山本行洋さん。幼い頃から神社が身近な存在であり、豊川市職員としての経験を通じて地域への深い愛情を育んだ。定年退職後は専業の宮司として、為当稲荷をはじめとする市内の15の神社で、伝統継承に尽力している。

特に為当稲荷神社では、かつて衰退していた「花の撓大祭」を地域住民と共に復活させ、今や3000人が訪れる祭りへと成長させた。境内の森を整備し「アジサイ神社」を目指すなど、常に新たな挑戦を続ける山本宮司の、地域と神社にかける思いを聞く。

3代続く神職の家系。身近だった神社という場所

祖父の代から続く、神職の家系。為当稲荷神社がある豊川市為当町で生まれ育った。代々仕事をしながら宮司を務め、私も同じ道をたどり今に至る。きょうだいは妹が一人で、彼女もまた市内の諏訪神社などの宮司をしている。
子どもの頃はどちらかといえば大人しく、周囲を見ながら行動するタイプだった。体を動かすことは好きで、市内の国府高校ではサッカー部に所属した。大学は神道を学ぶために國學院大学へ進学。神職への強い思いがあったわけではないが、小さな頃から神社が身近にあって手伝いもしていたので、ぼんやりと「将来は継ぐことになるのかな。資格だけでもとっておこう」と考えた。
 

國學院大でローラーホッケーに出会う。世界選手権に出場!

大学ではローラースケート部(現・ローラーホッケー部)に所属。新入生歓迎会で「タダで滑らせてあげるから遊びに来なよ」と誘われ、軽い気持ちで顔を出した結果、そのまま入部することになった。ローラーホッケーは、ローラーシューズを履いて、木製の棒でプラスチック製のボールを相手のゴールに入れる競技だ。フィールダー4人、GK(ゴールキーパー)1人の計5人で戦うというもの。もともと全学年で10人という少ない部員数だったが、半年もすると5人に半減。おかげで初心者だった自分も秋の大会で早々にレギュラーデビューした。順位は真ん中ぐらいだったと思うが、自分にとっては貴重な経験になった。3年、4年時には得点王を獲得。その後は世界選手権へ出場する選抜メンバーに選ばれ、豊川市役所に就職して2年目に、スペインで開かれた大会に参加することができた。とても大切な思い出だ。

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1975年全日本ローラーホッケー選手権大会優勝(前列中央)

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1976年世界選手権スペインオビエド大会 対アルゼンチン戦

市役所に就職。豊川市への深い愛情を育む

市役所に入ったのは、地元に戻って仕事をしながら神社の手伝いをしてほしいという父の願いがあってのこと。だからあの頃は、まさか自分がこれほど豊川市の活性化に力を注いだり、神社の復興に一生懸命になるとは想像していなかった。市役所では行政課の交通安全担当に始まり、福祉課や企画課、議会事務局などでさまざまな仕事に取り組んだ。部署異動の度に新しいことに取り組むことが面白く、またそれらの経験を通じて、人として成長できた。例えば20代後半、世間知らずだった福祉課時代には生活保護のケースワーカーをし、世の中にはさまざまな環境で暮らしている人たちがいるということを知った。大変なことも多かったが、ますます人が好きになり、これが人生の転機となった。入庁した年には、同僚たちに声をかけてサッカー部を立ち上げた。そのほか、市制50周年の記念行事の企画を担当したり、市総合計画の改訂に関わったりすることができ、広い視野で市全体を見る経験ができた。38年間の職員生活を通じて心に根付いたのは、豊川市への深い愛情。これが現在の地域活性化に向けた活動につながっている。

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結成した市役所サッカー部(前列左から2人目)

宮司に専念。花の撓大祭で「狐の行列」など新たに

60歳の2012年3月に市役所を退職し、宮司として専業で活動することを決意した。在職中は週末しか開けられなかった拝殿の扉を開け、地元の人たちや参拝の人たちがいつでも訪ねてこられるようにした。為当稲荷神社には長い歴史を持つ祭り「花の撓(とう)大祭」があったが、かつてにぎわっていた祭りは衰退し、関係者しか集まらない状況になっていた。住民たちからも「さみしいね」という声が届き、「何とかしたい」と思った。そこで地域住民に呼びかけて「祭礼復興検討委員会」を立ち上げた。アイデアを募り、「狐の行列」や「子供御輿」、「巫女舞」、「手筒花火」、「マルシェ」など、住民が楽しめる企画を実現させていった。特に、祭りの目玉である「狐の行列」の化粧は、キツネの行列で知られる、東京の「王子装束稲荷神社」で指導を受け、家族も巻き込みながらノウハウを習得した。
地域の青年らによる「神狐もりあげ隊」も結成され、祭りは再び活気を取り戻し、現在では2日間で約3000人が訪れるまでに成長した。

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狐の提灯行列

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子供神輿

地元の人たちと境内を整備。アジサイ神社を目指して

また祭りの復興と並行して、神社の境内に広がる豊かな森の整備にも乗り出した。地域住民たちに呼びかけて「為当ふるさとの森愛護会」を作り、かつては手つかずだった森を、地域のコミュニティの場として活用するため、「ふるさとの森整備計画」を策定。散策路の整備や枝打ち、植樹などを行ったり、近年ではアジサイを挿し木などで増やし続けて2025年夏には1500株になった。将来は「アジサイ神社」として親しんでもらえればと思う。

 

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地域の方々の協力で行うアジサイの植栽

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境内にはアジサイの小道も整備

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年々見ごたえが増すアジサイの開花

地域のみなさんと手を取り合い、未来へ残す

拝殿には、地域の人が作ってくれた竹灯籠やグラフィックデザイナーの描いたパネルを常設。訪れる人がその灯りで心を癒してもらえればうれしい。そしてパステル画家が描いた月替わりの御朱印も人気で、これを目当てに毎月来てくれる人もいる。活動は息子にも受け継がれ、息子は現在、会社員として働きながら、神職として神社を手伝ってくれている。中でも為当マルシェでは運営を全面的に担い、出店者の誘致やイベントの企画・運営に力を尽くしている。

全国に約8万ある神社に対して、宮司の数ははるかに少ない。一人の宮司が複数の神社を掛け持ちするケースがほとんどだ。私も本務神社である為当稲荷神社をはじめ、豊川市内で15か所の神社の宮司を兼務している。宮司として色々な活動をする中で、地元である豊川市がますます好きになった。

それぞれの神社に即した形で、伝統行事の継承や文化の発展に取り組んでいきたいと考えている。これからも地域のみなさんと手を取り合って、神社の伝統を未来へと繋いでいきたい。

 

為当稲荷神社の御朱印

御朱印(令和7年7月)

地元の親子が参加した緑育出前授業

地元の親子が参加した緑育出前授業

DATA

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山本行洋(やまもとゆきひろ)

豊川市為当町在住。為当稲荷神社宮司。

國學院大学卒業後、豊川市役所に勤務。退職後は為当稲荷神社で宮司を務める。

神社を中心とした地域活性化や伝統の継承などに力を注いでいる。

為当稲荷

社殿前に飾り付けた竹灯籠

為当稲荷神社

【住所】愛知県豊川市為当町宮脇32番地

【電話】0533-75-3303(宮司宅)

【アクセス】

JR東海道本線「愛知御津駅」下車徒歩10分

豊川市コミュニティバス御津線「為当稲荷神社前」下車徒歩1分

名豊道路(国道23号)の豊川為当ICを降りて車で約3分

東名高速「音羽蒲郡IC」より車で15分

【駐車場】30台あり

【Instagram】