これからも立ち止まらない
シンガーソングライター ・ ナツノコエ
東海地方を中心に、多くのファンを魅了したガールズバンド「ポタリ」。そのポタリが解散して6年が経つ。パワフルな歌声と明るいキャラクターでバンドの象徴的な存在だった豊川市出身のボーカル、ナツさんは今、シンガーソングライター「ナツノコエ」として活躍。バンドの顔を卒業し、女性らしさと爽やかさを歌声にのせ、新たな輝きを放っている。
そのナツさんの素顔は、昔も今も、これからも自然体だ。
歌手になるきっかけは近所のスナック!?
子どもの頃をひとことで言えば「男勝り」な性格。マウンテンバイクに乗って、男の子たちと走り回るような小学生だった。一輪車や当時流行りのローラーブレードにも夢中になった。中学生になってもそのアクティブさは変わらず、真冬でも体操着の短パン姿で自転車に乗ってどこへでも出かけたものだった。
一方で、家族全員が歌好きで、自分もその影響で幼い頃から歌手になりたいと思っていた。決定的なきっかけは、おじいちゃん。保育園児の時、近所のスナックに連れて行ってもらい、そこでアニメの歌を歌うと、周りの大人たちが褒めてくれたりアイスをご馳走してくれたりした。誰かの前で歌うことで喜んでもらえるという体験が、私の「歌手」という夢につながった。小学生になると、おもちゃのカラオケマイクで友達と点数を競い合った。歌詞を完ぺきに覚えると、お母さんからお小遣いがもらえるのも楽しかった。

マイクを持って真剣な表情で(3歳、自宅で)

弟と一緒に(6歳、自宅で)
文化祭で学んだエンターテインメント
中学1年生、秋の文化祭。3年生のバンドステージを見て、心は一瞬で火をつけられた。「来年は、私があの場所に立って歌う!」出演資格は3年生だけだったが、そんな壁は当時の自分には関係なかった。先生の元へ走り「出させてください」と食い下がると、返ってきたのは「それならオーディションをするから合格しろ」という意外な言葉だった。
幼馴染らに声をかけ、バンドを結成。そこからは、がむしゃらな練習の日々が始まった。
こうして2年生の秋、願い通りステージに立った。曲は「タッチ」。当時は浜崎あゆみさんに憧れていたが、自分がやりたい曲ではなく、保護者や先生、同級生まで、みんなが知っている曲がいいと思った。誰もが楽しめる空間にしたかったのだ。会場が一体となったコール&レスポンスに胸が震え、この時の、観客との一体感を大切にしたいという想いが、ポタリの時もソロになった今も、ずっと自分を支え続けている。
バンド活動にも勢いがつき、3年生の文化祭では「学園天国」を披露。コンテストにも出場した。それをきっかけに、学校の帰り道や校内でミュージックビデオを撮影してもらう経験もできた。
ちなみに当時のバンド名は「ぽたぽたRIBON(りぼん)」。流行っていた水玉のリボンをイメージした。周りからは、略して「ぽたりー」と呼ばれ、これがのちのバンド名「ぽたり」につながった。

中学校時代の文化祭で
豊川から名古屋、そして全国へ
蒲郡市にある蒲郡東高校に入学し、ライブハウスデビューを果たしてからは、まさに音楽漬けの日々だった。時代はバンドブーム。特にガールズバンドの最盛期で、自分たちも名古屋でのライブを皮切りに、青春18きっぷを握りしめ、鈍行列車でギターやスネアを抱えて東京まで遠征したこともあった。そんな中、2009年には「POWER OF TEENS 2009 ~10代の想い~」(JC愛知ブロック主催)で優勝を果たした。
高校卒業後は両親を安心させたいという気持ちもあり、大学に進学した。ここで、もう一つの夢だった保育士の資格を取得。卒業後は、平日は地元校区にある八南保育園で働き、週末は遠征ライブというハードな毎日を過ごした。早朝に遠征から帰宅し、ライブハウスの匂いをさせたまま出勤したこともあったが、こちらがどんな状況でも全力でぶつかってくる子どもたちの存在は、自分にとって最高の癒しだった。
その後、事務所所属が決まったことを機に保育の仕事に切りをつけ、名古屋へ拠点を移した。メンバー交代なども経て、バンド名を「ポタリ」に改名。精力的に活動した。12年間の活動を経てバンドは解散したが、私は止まりたくなかった。解散の翌月にはもうソロ活動をスタートさせ、ファンの方が名付けてくれた「ナツノコエ」という名前で、再びステージに立つことを決めた。

東海エリア最大級の屋内冬ロックフェス「メリーロックパレード」に出演

解散ライブに来てくれたお客さんと一緒に記念撮影
ソロシンガー そして保育士として
ソロになってからは、より「生活」に寄り添った音楽を大切にしている。かつてのような肩肘張った自分ではなく、寝起きでも心地よく歌えるような温度感。そんな自然体の歌が、2024年1月のデビューへと繋がっていった。ドラマ『焼いてるふたり』の主題歌や、JTBのCMソングに起用されたことは、大きな励みになっている。
最近、活動のために東京へ移住したが、離れてみて改めて豊川の良さを痛感している。東京の保育園でも再び保育士として働いているが、どこかドライな空気を感じることもある。それに比べて、豊川や愛知の先生や保護者、子どもたちの距離の近さ、あの人間関係の「あったかさ」は、本当にかけがえのないものだったと感じている。実家に帰ると、庭で両親と七輪を囲んでいるだけで隣の家の人が混ざってきて、いつの間にかバーベキューが始まる。そんな当たり前の風景が、私の性格を作り、私の音楽の優しさを作ってくれた。

ナツノコエとして心地よい歌声を届ける(東京・下北沢のライブハウスで)
これからの夢——豊川の空の下で、笑顔の環を広げたい
今の自分の夢は、大好きな豊川で、子どもから大人までがのんびり楽しめるイベントを開催することだ。赤塚山公園のような芝生の上で、キッチンカーが並び、子どもたちが走り回り、大人はコーヒーを飲みながら音楽に耳を傾ける。保育士としての経験と、アーティストとしての経験。その両方を活かして、地元の皆さんに恩返しができたらいいなと思っている。
豊川は人とのつながりが本当に温かい場所だ。東京にいても、私の心の中にはいつも豊川の空気感が残っている。これからも豊川出身のアーティストとして、そして一人の表現者として、この街で育った誇りを胸に、立ち止まらず歌い続けていきたい。
DATA

ナツノコエ(なつのこえ)
シンガーソングライター
本名:鈴木奈津美
豊川市平尾町出身
ガールズバンド「ポタリ」のボーカルとして12年間活動し、2019年よりソロ始動。
2024年1月にメジャーデビューし、ドラマ主題歌やCMソングを多数手がける。
保育士の免許を持ち、現在もアーティスト活動のかたわら保育の現場に立つ。
【ナツノコエSNS】
【豊川市公式Podcast】
この記事に関するお問い合わせ先
企画部 元気なとよかわ発信課
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ファックス番号:0533-89-2125
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更新日:2026年03月31日