今もずっと音楽が好き

更新日:2026年05月22日

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シンガー 加藤晴子(あみん)
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「私待つわ、いつまでも待つわ…」
80年代、誰もが一度は口ずさんだ、現役女子大生デュオ「あみん」の大ヒット曲『待つわ』。30年以上経った今でもCMなどに起用され、時代を超えて人々に親しまれている。
一方であみんは当時、彗星のように現れて去った伝説のユニットとしても話題になった。デビュー翌年には活動を休止。岡崎市出身の岡村孝子さんはソロ活動へ、豊川市出身の加藤晴子さんは芸能界を離れる道を選んだ。
加藤さんの母校・小坂井高校が2025年に創立50周年を迎え、加藤さんはOGとして式典に出席。式典後、これまでの歩みや豊川の思い出について語っていただいた。

思い出は馬車通園

物心がついたころから歌うのが好きだった。幼稚園で『アンコ椿は恋の花』をよく歌っていたのは今も記憶に残っている。

小さい頃の思い出として真っ先に浮かぶのは、ベレー帽にレースのエプロンという格好で通った、豊川幼稚園の「馬車通園」のことだ。

立派な馬が引く、10人ほどが乗れる小屋のような馬車。それに揺られて登園する日は、まるで遊園地のアトラクションにでも乗るようで、子ども心に最高にワクワクしたものだった。今でも当時の友人と顔を合わせれば、必ずといっていいほど馬車の話で盛り上がる。あの体験は、私たちにとってそれほどまでに鮮烈で、特別なインパクトを持つものだったのだと改めて思う。

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園児に大人気だった、豊川幼稚園の馬車通園 (豊川幼稚園提供)

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お気に入りのエプロンとベレー帽で(幼稚園時代)


 

豊川小学校時代は、とにかく活発でスポーツが好きだった。特にドッジボールが大好きで、逃げるのではなく「当てる専門」。男の子を負かすほど元気な少女だった。東部中学校では、真っ黒に日焼けしながらテニスに打ち込み、県大会の団体戦で3位になったこともある。

テレビの中で静かに歌う「あみん」の姿しか知らない方々にとっては、そのアクティブさは想像がつかないかもしれない。

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活発だった小学生の頃

ウシガエルと自転車通学

小坂井高校には、創立3年目に入学した。学校の周りは見渡す限りの田んぼで、授業中には窓の外からウシガエルの野太い大合唱が聞こえてきたものだ。豊川駅の方から、国道151号線をひたすら自転車を漕いで通学していたが、冬場の冷たい向かい風を受ける登下校や、吹きさらしの堤防を走るマラソン大会は本当に辛かった。
実を言うと、自分は勉強がすごく嫌いだった。でもその代わり、音楽や体育、美術、書道の時間は大好き。絵を描いたり、モノを作ったり、体を動かしたり、そして何より歌を歌うことが心の底から好きだったのだ。

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高校の体育祭で

消しゴムの貸し借りが「あみん」結成のきっかけ

高校を卒業し、椙山女学園大学へ進んだ。新しい生活への期待と不安が入り混じる中、履修登録の時にふと言葉を交わしたのが孝子(岡村さん)だった。

出席番号が「岡村」と「加藤」で前後だった縁で、消しゴムを貸し借りしたのをきっかけに、いつのまにかお喋りをするようになった。同じ名鉄で通っていたので自然と一緒に帰るようになり、大好きな音楽の話ですぐに意気投合。すぐに「タカコ」「ハコ」と呼び合う仲になった。大学から実家が遠かったので、音楽サークル活動への参加はあきらめて、「その代わりに2人だけで歌をやろう」と決めた。

そして結成したのが「あみん」だ。ユニット名は、さだまさしさんの曲『パンプキンパイとシナモンティー』の歌詞に出てくる喫茶店「安眠(あみん)」から名付け、誰にも聞かれない大学の裏山や、岡村さんの実家で練習を重ねた。

「大学生活の4年間で何か結果を残そう」と話し合い、当時、人気があった「ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に応募した。大学1年では地区大会で敗退し、2年の5月には『待つわ』で再挑戦した。「実は、前評判では審査員の期待は高くありませんでした。でも私は、孝子が授業中に初めて『待つわ』の歌詞を見せてくれた瞬間から『この曲は絶対、たくさんの人に受け入れられる』と確信していたんです」。

結果的に『待つわ』は一般投票で圧倒的な支持を集め、結成1年でグランプリを獲得した。
デビュー後は、全国を飛び回る超多忙な生活に一変した。北海道での仕事の翌日に大学へ行ったり、深夜に東京からタクシーで5時間かけて豊川の実家へ帰り、そのまま大学へ向かうこともあった。新幹線の連結部分に新聞紙を敷いて座って帰ったこともあり、つい先日まで普通の大学生だった自分にとっては、今振り返っても衝撃的な日々だった。同時に、大人ばかりの芸能界に流されないよう、「水着になるような仕事はしない」などの明確な線引きをして自分たちを守っていた。

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デビュー当時のあみん(左から加藤晴子、岡村孝子)/株式会社コットンフィールズ提供

突然の活動休止、その裏にあった葛藤

『待つわ』は大ヒットし、NHK紅白歌合戦にも出場した。しかし、あみんとしての活動は約1年半で休止することになる。最大の理由は、自分自身の「自信のなさ」だった。
自分で曲を作っていなかったため、「才能ある孝子の隣にいるだけの自分が心苦しく、ここは私の居場所じゃないんじゃないか」という強い葛藤を抱えていた。また、そのままの自分でいいと思えなかった未熟さが、当時の自分を追い詰めてしまった。
「やめようと思う」と彼女に打ち明けると、「誘ったのは私だから、ハコの好きにしていいよ」と意志を尊重してくれた。
 

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一世を風靡した「待つわ」のジャケット写真/株式会社コットンフィールズ提供


 

音楽活動から離れて大学に戻り、1年生に混ざって未修得の講義を受けるなど必死に励み、なんとか4年間で大学を卒業した。
その後、一般企業に就職して東京へ移り、結婚、出産を経て専業主婦として温かい家庭を築くことができた。これが自分にとって最善の選択だったと今でも思っている。同時に、人気シンガーソングライターとなった岡村さんの活躍を心から喜び、友人関係も大切に育み続けた。

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大学でのひとこま

母としての素顔 あみん再始動

夫は、あみんの私ではなく、一人の女性として自然体に接してくれた。それもあり、娘には自分がかつて「あみん」だったことを話すこともなかった。しかし娘が小学生の頃、校長先生から「子育てには親の生き様を見せることが大切だ」という話を聞き、ハッとして初めて過去を打ち明けた。
娘は、度々電話がかかってくる「お母さんの友達のタカコさん」が「シンガーの岡村孝子さん」だと知り、始めは驚くばかりだったが、それを機に娘とはよりオープンな話ができるようになり、一緒に岡村さんのコンサートにも出かけた。
そんな折、2002年に岡村さんからアルバムコーラスのオファーがあり、2007年にはあみんを再始動。コンサートで全国を巡り、2度目の紅白歌合戦にも出場した。現在は活動休止中だが、自分の楽しみとして曲作りをしている。

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再始動したあみん/株式会社コットンフィールズ提供

自分の「好き」を大切に

小坂井高校の50周年式典で、後輩たちに伝えたのは「自分の『好き』を大切にしてほしい」ということ。自分は勉強は苦手だったが、大好きな音楽を大切にして、夢をかなえた。夢中になれることの中には、必ず自分らしさや将来のヒントが隠されていると思うのだ。

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高校の式典で在校生たちから花束を受け取る登壇者たち(左から2人目)

自然豊かで人が温かい豊川に恩返しを

今は東京都内で暮らしているが、度々、父が暮らす豊川に帰っている。そのたびに自然が豊かで人が温かいこのまちの良さを実感する。特に「豊川稲荷」は、僧侶を務めていた祖父との思い出が詰まった特別な場所。学校帰りに寄り道したり、稚児行列に参加したり……。だから今でも帰郷すると、必ずお参りに立ち寄る。
「生まれ育った豊川市のために、今後も『あみん』としてではなくても、何か役に立てること、恩返しができることがあれば取り組んでいきたいと思っています」

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祖父が僧侶だった豊川稲荷の稚児行列(前から3人目)

DATA

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加藤晴子(かとうはるこ)

豊川市出身。シンガー。

小坂井高校、椙山女学園大学卒業。 大学時代に岡村孝子さんとデュオ「あみん」を結成し、1982年に『待つわ』でデビュー。ミリオンセラーを記録し紅白歌合戦にも出場したが、翌年「学業専念」のため活動休止。

2007年にデビュー25周年で「あみん」を再始動し、再び紅白出場を果たす。現在は活動休止中だが、趣味で楽曲制作を継続。2025年には母校・小坂井高校の創立50周年式典にOGとして出席し、地元に深い愛着を持っている。

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