アスパラを通して豊川を元気にする男!元侍ジャパン社会人代表の次なる挑戦

更新日:2025年10月09日

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中村アスパラ園代表 中村毅
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豊川で話題の、アスパラガスのヒーロー「あっぱらまん」。全身緑色のアスパラに扮して美味しいアスパラのPR活動をするのは、市内でアスパラを生産している中村毅さんだ。

中村さんは、社会人野球界で日本代表に選ばれたことがあるトップレベルの外野手。地元を離れて野球に打ち込んでいたが、引退を機に実家へUターン。家業のアスパラ栽培を継ぎ、中村アスパラ園公式キャラクター「あっぱらまん」を誕生させた。

美味しいアスパラを育てること。農業の魅力を子どもたちに伝えること。これらの使命を胸に、あっぱらまんは今日もパワー全開だ。

将来はプロ選手。バットを抱いて寝るほど野球に夢中

5代続く農家の長男として、豊川で生まれ育った。4つ下に妹がおり、物心ついた頃から日常に野球があった。父の草野球に付いて行ったり、祖母におもちゃのボールを投げてもらい、カラーバットで打つ遊びが好きだった。プロ野球選手に憧れたきっかけは、中日ドラゴンズに自分と同姓同名の捕手「中村武志」さんがいることを知ったからだ。「僕と同じ名前だ!」と、子ども心にワクワクしたことが、小学1年で地元の軟式少年野球チーム「大木シーガーズ」に入団する決め手となった。

ポジションはキャッチャーやピッチャー。とにかく野球が楽しくて仕方なく、バットを抱いて寝ていた時期もあったほどだ。この頃からずっと、将来はプロ野球選手になれるものだと信じていた。6年生で隣のチームと合併して「一西シャークス」が誕生。キャプテンを務めた。

学校では足が速く、運動会ではいつも1位。みんなの注目を浴びると、より力が出るタイプだった。

小学校時代

ありがたい親の支え。でも当時は…

中学に入ると、硬式チーム「穂の国ボーイズ」に参加。1年生からレギュラーとして試合に出場した。当時の両親のサポートには、本当に感謝している。父は自宅の敷地内にビニールハウスの練習場を作ってくれ、夜間やオフの日も練習に打ち込めた。母も弁当を作ってくれたり洗濯をしてくれたが、当時はその苦労に気づかなかった。

ある日、母に「親なんだから、子どものためにやるのは当たり前だろ」と心ない言葉を言ってしまった。すると、かつてバレーの強豪校で鍛えた体育会系の母に、玄関で馬乗りにされてボコボコにされた。母はめちゃめちゃ強かった。

その後、親元を離れて初めて両親の支えの大きさに気づいた。最近、自分が高校の寮に入る際、母が隠れて泣いていたことを知り、その親心をようやく理解できた気がする。

中学時代の中村さん(写真前列中央)

中学時代の中村さん(写真前列中央)

強豪校で味わった「地獄」と得られた「宝」

中学卒業後は、数々の強豪校から声がかかった中で、あえて厳しい環境に身を置きたいと、岐阜県の中京高校の体育科に進んだ。しかし、そこはまさに「地獄」だった。想像を絶する上下関係、寮生活、練習量。それでも、野球を辞めたいとは一度も思わなかった。素振り1000本など、厳しい練習をこなすうちに自分の実力がついていくのが実感できたからだ。

高校時代の中村さん(キャッチャー)

中京高校時代


 

高校生活は野球一色。プロからも評価をもらったが、さらなる成長のため、大学野球の名門・亜細亜大学に行くことを決めた。日本一厳しいといわれる環境で、再び地獄を味わう選択をしたのだ。朝5時からの朝練、学業より練習が優先される日々。1年からレギュラーになったものの、ケガで手術を経験し、心が折れそうになった。それでも踏ん張り、4年の秋には明治神宮野球大会で全国優勝を果たす。優勝、そして東都大学野球リーグ戦の連覇に貢献できたことは今でも誇りだ。一方で、すごい選手たちと対戦する中でプロへの意欲は弱まっていき、社会人野球に気持ちが傾いていった。

大学は都内にあったので、厳しい中でもお酒や遊びを覚えて、楽しい思い出もできた。とはいえ、門限は夜9時と中学生並みだ。さらに魚の食べ方からお酒の注ぎ方、人に対する礼儀まで、社会に出て必要なことをたくさん教え込まれた。当時はただやらされているだけだったが、今となっては人間性を高めてもらえたことに感謝しかない。人生の宝だ。

中京高校時代の中村さん

中京高校時代

亜細亜大学時代の写真

亜細亜大学時代

社会人野球で掴んだ手ごたえと誇り

大学を卒業し、三重県鈴鹿市の社会人野球チーム「ホンダ鈴鹿」に入団した。都市対抗や日本選手権の常連チームだ。入寮してまず感じたのは、これまでの地獄のような環境とのギャップ。4人部屋で精神的にも身体的にも窮屈だった生活から一変、きれいな一人部屋が与えられた。食堂もきれいで、サウナもあって、「もう最高!」と叫びたくなるほどだった。

職場の配属はあったが、全社を挙げて野球を応援してくれる体制だったので、気兼ねなく野球に打ち込めた。プロにはなれなかったけれど、好きな野球をして給料がもらえるなんて、本当にありがたいことだと思った。

ホンダ鈴鹿で活躍する中村さん

ホンダ鈴鹿時代


 

1年目から都市対抗にスタメンで出場し、2年目には勝負強さが評価されて侍ジャパン社会人代表に選ばれた。アジア選手権で銅メダルを手にしたことは、大きな誇りだ。

野球部の組織づくりにも関わることができ、亜細亜大学で学んだことが生かされた。チームが元気だったので、取引先の人や市民の方々もすごく応援してくれた。飲み屋で「がんばれよ」と声をかけてもらったりもして。結婚もして子どももできて、充実した毎日だった。

こうして8年間、楽しく野球をやらせてもらい、30歳で引退した。

ホンダ鈴鹿で都市対抗野球に出場

ホンダ鈴鹿で都市対抗野球に出場

侍ジャパンとして活躍する中村さん

侍ジャパン社会人代表で活躍

Uターンでアスパラ農家に。あっぱらまん誕生!

2023年、家族と豊川市にUターンし、家業のアスパラ栽培を始めた。野球をしながらも、いずれは実家を継ぐと決めていたから迷いはなかった。父が作るアスパラは、太くて本当にうまい。スーパーであまり見かけないような高品質なもの。年間10~25トン生産していて、首都圏などに送られていた。「地元の美味しい野菜を地元の人にこそ食べてもらいたい!」と、県道沿いのハウスの前に直売所を建て、朝採れアスパラを売り始めた。

実家に戻りアスパラ農家として活躍する中村さん

Uターン後に家業のアスパラ栽培に力を入れる。


 

お客さんが少しずつ増えてきた頃、ただ立って売るのがつまらなくなった。そこでひらめいたのが、「アスパラがアスパラを売る」というアイデアだ。プロに作ってもらったアスパラの被り物をかぶり、全身緑の衣装にサングラス。シュールなスタイルの「あっぱらまん」が誕生した。野球選手時代も盛り上げキャラだったので、恥ずかしさは全くない。今では逆に、素の自分を見られる方が恥ずかしいくらいだ。この夏、あまりの暑さに被り物を外していたら、お客さんから「あれ、今日はどうした?」と素顔をじっと見られ、赤くなってしまった。

あっぱらまん

中村アスパラ園公式キャラクター「あっぱらまん」

あっぱらまんのこれから。野球の普及にも貢献を

県道沿いで立っているだけでも宣伝になり、インスタやメディアでも話題になった。子どもからお年寄りまで「あっぱらまんだ」と声をかけられ、少しずつキャラクターが浸透しているのが本当にうれしい。イベント出演が増える一方で、農家としての仕事との両立は大変だと感じている。

それでも、自分には目標がある。「農家ってかっこいい。自分も農家になりたい」と子どもたちに思ってもらいたい。だから、これからも子どもたちに向けて色々なことに挑戦していきたいと考えている。娘たちも、あっぱらまんを全力で応援してくれているから。

野球の経験を生かし、ゆくゆくは知り合いのプロ野球選手などを呼んで、豊川市内の野球レベルを上げるイベントも開きたい。大学時代から色々な地域で暮らしてきたけれど、豊川には元気な人が多くて、ワクワクできることがたくさんある。これからもその先陣を切って、豊川を盛り上げていきたい。

あっぱらまんと東海理化硬式野球部の野球教室

「あっぱらまんと野球を愉しもう」という野球教室イベントを東海理化硬式野球部と協力して行った。

あっぱらまん

将来の夢ランキング1位を農家にするべく奮闘中

DATA

中村毅さん

中村毅(なかむらたけし)

  • 豊川市出身
  • 「中村アスパラ園」代表
  • 高校は岐阜の野球強豪校「中京高校」、大学も名門「亜細亜大学」に進学
  • 大学卒業後は、「ホンダ鈴鹿」に所属し都市対抗野球大会にも出場
  • 侍ジャパン社会人代表に選出、アジア選手権で銅メダルを獲得
  • 引退後に地元豊川にUターンし、家業のアスパラ栽培を始める
  • Instagram
あっぱらまん

あっぱらまん

  • 中村アスパラ園公式キャラクター
  • 農業界のヒーロー
  • 将来の夢ランキング1位を農家にするべく農業の魅力を発信中
  • あっぱらまんInstagram

【豊川市Podcastとよかわキャスト】

農業キャラ to コバタク【前編】

農業キャラ to コバタク【中編】

農業キャラ to コバタク【後編】

中村アスパラ園

中村アスパラ園

住所:豊川市大木町山ノ奥60-124

営業日:土・日

営業時間:11時~(売り切れ次第終了)

中村アスパラ園Instagram

中村アスパラ園公式ホームページ