「広報とよかわ」2019年1月号(MY COLOR)
更新日:2018年12月28日
MY COLOR
きらっと☆とよかわっ!輝くひとVol.46
さまざまな分野で活躍する豊川市出身のトップランナーを紹介します
誰よりも練習をすること それが自分を信じる力になる
〈元プロ野球選手〉ギャオス内藤さん
元プロ野球選手で、現在は野球解説やイベント出演など、多方面で活躍しているギャオス内藤さんにお話を伺いました。
幼い頃から野球が大好きだったと語る内藤さん。小学生の頃は、近くにある公園で、毎日、日が暮れるまでボールを投げ続けた。中学校では野球部に入部。後に、「プロの練習よりも中学の頃の方が辛かった」と語るほど練習に励んだ。豊川高校に入学すると、1年生にして、夏の大会で2番手投手として出場。翌年、明治神宮野球大会にも出場し、スカウトマンに強い印象を与えた。3年生の冬。12球団から声が掛かり、1986年にドラフト3位で、念願だったヤクルトスワローズへの入団を果たした。
入団後は、日々の練習に加え、自主トレーニングを地道に積み重ね、入団1年目にして、目標としていた開幕1軍入りを果たした。そして、迎えた初登板。甲子園のような大きな舞台を経験していなかったため、緊張で足が震えて、思うような投球をすることができなかったと当時を振り返る。1989年には先発に転向。2桁勝利を飾り、オールスターゲームへの出場も果たした。さらに、1990年からは2年連続で開幕投手に抜擢され、チームのリーグ優勝にも貢献した。
しかし、この頃から、先発・中継ぎ・抑えと、全ての場面で起用されていたことから、故障が続き、痛みを抱えながらの登板が続く。1995年にトレードにより千葉ロッテマリーンズへ移籍し、勝ち星をあげるも、怪我が重なり、戦線を離脱することとなる。その後、中日ドラゴンズに移籍するが、故障は癒えず、1997年に現役を引退した。
引退後は、ラジオやスポーツ番組での野球解説者を務める他、2013年からの2年間、独立リーグである新潟アルビレックスの監督に就任。チームを優勝に導いた。
現在は、野球解説の他、プロ野球を目指す若手の育成を行っている。「自分の経験を、これからの野球人生のヒントにしてほしい」と語る、内藤さんの活躍を応援したい。
プロフィール
ギャオス内藤(ぎゃおすないとう)
本名・内藤尚行
牛久保小、南部中、豊川高校を卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズへ入団。その後、千葉ロッテマリーンズ、中日ドラゴンズへの移籍を経て、1997年に引退。2013年からの2年間、新潟アルビレックスの監督に就任。現在は、テレビやラジオの野球解説者など、幅広い分野で活躍中。