「広報とよかわ」2016年6月号(MY COLOR)
更新日:2016年6月1日
MY COLOR
きらっと☆とよかわっ!輝くひとVol.15
さまざまな分野で活躍する豊川市出身のトップランナーを紹介します
いつまでも泳ぎを見せられる指導者でありたい
〈競泳選手〉加藤 ゆかさん
プールに初めて入ったのは、生後6カ月のとき。母親と一緒に通ったベビースイミングがきっかけだった。
小学生の頃は、ほぼ毎日がスイミングスクール通い。「試合に出るたびにタイムを更新でき、楽しい気持ちしかなかった」という。当時、一番苦手だった種目がバタフライ。それでも、小学5年生のときに出場した県大会で優勝したことが自信となり、バタフライで五輪を目指す競技人生が始まった。
中学・高校も、学校に行きながら、スクール通いを続ける日々。しかし、練習が厳しくなる一方で、急にタイムが思うように伸びなくなり、高校3年間では一度もタイムを更新できなかった。「人生で一番、水泳をやめたいと思った時期。どん底だった」と振り返る。高校でやめたいとも考えたが、母親の「やめてもいいよ」と、予想もしなかった言葉により、逆に「頑張ってきた水泳を、ここでやめてはダメだ」と奮起。コーチに一目ぼれしたという大学への進学を決意した。
大学では、仲間とともに、厳しい練習をがむしゃらに頑張り、日本を代表する選手となるまでに成長した。そして、4年生で迎えた北京五輪選考会。緊張でつぶれそうだったが、「やってきたことを信じなさい」というコーチの一言が後押しとなり、見事、代表を勝ち取った。しかし、夢に見た五輪への切符を手にしたことにより、嬉しさで舞い上がり、目標を見失ってしまう。大会では、本来の力を出しきれずに競技を終え、悔しさだけが残ってしまった。
その後、社会人となって上京。第一線で活躍するコーチや選手とともに、再びオリンピックを目指した。順調に選考会を突破し、迎えたロンドン五輪。「前回の失敗を繰り返さないように冷静に臨んだ」というメドレーリレーで、涙の銅メダルを獲得した。「みんなが同じ目標に向かい、持っている力を出しきった。まさにチーム力の勝利だった」
翌年、短水路日本新記録を樹立し、現役を引退。現在は、一般を対象とした水泳教室で指導を行う。
「いつまでも、泳ぎを見せられる指導者でありたい」という加藤さん。指導者としても活躍する姿を応援していきたい。
プロフィール
加藤 ゆか(かとう ゆか)
三蔵子小、桜丘中、桜丘高校、山梨学院大学を卒業。2012年ロンドンオリンピックの女子4×100メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得し、本市初のスポーツ特別功労賞を受賞。現役を引退後は、指導者として全国で活躍中。