「広報とよかわ」2018年6月号(特集)
更新日:2018年6月1日
特集 平和をつなぐ 豊川海軍工廠平和公園開園
昭和20年8月7日の空襲により2,500人以上もの方々が犠牲となった豊川海軍工廠。かつて東洋一の兵器工場とも称されたその工廠跡地に、戦争遺跡を保存活用し、平和の尊さを語り継ぐ「豊川海軍工廠平和公園」が、平成30年6月9日に開園します。
今回の特集では、豊川海軍工廠平和公園の概要、そして、平和を語り継いでいくためのこれからの取り組みについてお知らせします。
詳しいことは、生涯学習課(電話:0533-88-8035)へお問い合わせください。
豊川海軍工廠
豊川海軍工廠は、日中戦争から太平洋戦争へと戦局が進む昭和14年12月15日、全国で6番目の海軍工廠として開庁しました。航空機や艦船などが装備する機銃とその弾丸を主要な生産品とし、最盛期には5万人以上が働く巨大兵器工場でした。しかし、昭和20年8月7日の空襲で壊滅的な被害を受け、その後、終戦により兵器工場としての短い歴史を終えました。
戦後半世紀以上が経過する中、かつての姿を留める豊川海軍工廠の跡地は、遺跡として、戦争の記憶を伝えています。
平和公園の概要
豊川海軍工廠跡地に開園する総面積約3ヘクタールの平和公園。ここでは、公園整備の経緯や施設の概要をお知らせします。
豊川海軍工廠跡地への平和公園の整備については、市長マニフェストとして、平成25年度から取り組みを開始しました。
整備を始めるにあたり、学識経験者、各種団体の推薦者、公募市民からなる検討委員会を組織し、5回にわたる会議での検討を重ね、基本構想案を提言していただきました。この案をもとに基本構想を策定し、パブリックコメント手続きを経て、平成27年2月に基本計画を策定、公園の整備方針を決定しました。
その後、平成27年度から調査・設計、平成28年度から工事を開始し、平成30年3月に竣工。「歴史を語り継ぐ緑豊かな集いの広場」として、6月9日、開園を迎えます。
公園は、工廠内の火工部という、火薬類を製造していた場所にあります。戦後、名古屋大学が空襲の被害を受けなかった旧工廠建物を研究施設として利用してきたため、現在もいくつかの建物が存在します。旧第一火薬庫や旧第三信管置場、街路灯、防空壕跡などは、こうした歴史を経て残されたものです。
残された建物などは、来園者が見学できるよう、傷んでいた箇所の修復工事などの整備を行っており、解説パネルとともに当時の状況を知ることができます。新設された平和交流館には、豊川海軍工廠語り継ぎボランティアが常駐し、希望に応じて園内のガイドを行います。
また、遊具広場には、当時の工員が描いた絵日記「工廠のあんちゃん」のパネル展示があり、工廠の様子を親子で学ぶことができます。季節ごとに園内を彩る花や芝生広場、あずまやなどもあり、気軽に足を運べる憩いの場ともなっています。
旧第一火薬庫
火薬保管のために使用されたコンクリート造の平屋建で、土がかぶせられている。トンネル状の通路の北側に並ぶ三つの部屋は、二重壁構造で通気性を確保するなど、火薬保管のために室内の温湿度を調整する工夫が施されている。
- 通路には、木製の足場の上に各部屋の鉄の扉が並ぶ
- 室内は、二重壁構造で、スギ板張りとなっている
旧第三信管置場
弾丸の起爆装置である信管を保管。爆発事故で周囲に被害が及ばないよう、高さ5メートルの土塁に囲まれている。壁はコンクリート造、屋根は木造で、爆発の際に屋根を吹き飛ばし、壁を残して周囲への被害を軽減する工夫と考えられる。
- 室内では、屋根の木造構造を確認することができる
- 工廠で使用されたフライス盤と旋盤も展示されている
PARK DATA
開園時間 9時00分から17時00分まで(6月9日(土曜)は12時00分から)
休園日 火曜日(祝日の場合は開園)、年末年始(12月29日から1月3日まで)
所在地 穂ノ原3丁目13-2
入園料 無料
その他 希望に応じてガイドあり
問合せ 電話:0533-95-3069(平和交流館)
豊川インターチェンジから車で約10分(駐車場64台)、名鉄「諏訪町駅」から徒歩で約30分
平和を学び、伝える
戦争の歴史を物語る平和公園の開園を通して、多くの方が平和について学び、考え、そして伝えていくための取り組みを進めていきます。
歴史を学ぶ平和交流館
平和交流館には、豊川海軍工廠の歴史や戦争遺跡について解説する展示室、映像資料の視聴や講座などを行うガイダンス室、工廠関係書籍などを閲覧できる図書コーナーなどがあります。
展示室では、解説パネルや関係資料などから、工廠の開庁から終戦、戦後の出来事などについて学ぶことができます。また、ガイダンス室では、工廠の当時を知る方の体験談を聴く会や、戦争関係の歴史講座などの開催を予定しています。
平和を伝える語り継ぎボランティア
市では、豊川海軍工廠での出来事を後世に伝えるため、平和公園の開園に向けて、平成29年度に「ともに学び、ともに伝える」をコンセプトとし、豊川海軍工廠語り継ぎボランティアの養成講座を実施しました。全10回の講座では、工廠の歴史の学習、元工廠従事者の体験談を聴く会、工廠跡地の現地見学を行い、80人を超える方に参加いただきました。講座の中では、より多くの方に歴史を伝えていくための取り組みについて積極的に意見が出されるなど、多くの方がこの活動に意欲を示されています。
語り継ぎボランティアとして正式登録した皆さんには、今後、平和交流館での展示解説、公園内の残存遺構のガイド、工廠従事者の日記の活字化や体験者手記目録の作成などの資料整理などを行っていただく予定です。
戦後70年以上が経過し、戦争を体験した世代が少なくなる中、語り継ぎボランティアの皆さんには、戦争の記憶を継承する担い手としての活躍が期待されます。
- 戦争の事実を実感してもらいたい
語り継ぎボランティア 鈴木 涼平 さん(愛知学院大学3年)
私は工廠跡地の近くで生まれ育ちましたが、戦争について家族から話を聞くこともなく、工廠の出来事は遠い過去の話という印象でした。しかし、講座で学ぶ中で、工廠の発展などの歴史が今の豊川市につながっているということを実感しました。私たちの世代が戦争と平和について考えるのは難しいことですが、公園を訪れた方には、この地に工廠があり、戦争があったという事実を伝えていきたいと思います。
- 歴史を語り継ぐ財産となってほしい
豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会会長 伊藤 泰正 さん
跡地見学会を年に2回開催する他、会の活動や工廠の当時の状況などを紹介する会報誌「けやき」の発行なども行う。
これまで、20年以上にわたり取り組んできた、工廠跡地の保存を進める活動が、今回、平和公園の開園という形で実を結ぶことをうれしく思います。この平和公園が、歴史を学べる場であるとともに、世代を問わず多くの方が訪れ、親しまれる、憩いの場となることを望みます。そして、戦争と平和について後世へと語り継いでいくための貴重な財産となってほしいと思います。
- 平和の尊さを感じてもらいたい
八七会会長 大石 辰己 さん
工廠従事者の会として、毎月7日・20日の供養塔の清掃、みたままつりなど、被爆犠牲者の供養のための活動を実施。
工廠跡地はこれまで、当時を思い出すつらい場所でしたが、平和公園となったことで、平和の訪れを感じることができ、とてもうれしいです。空襲で亡くなった方々も、自分たちが犠牲となった地が平和の象徴となり、喜んでいると思います。この公園が、工廠や戦争の真実を伝える場所になることを期待しています。多くの方に訪れてもらい、平和の尊さを感じてもらいたいと思います。
平和をつないでいくために
戦後日本は、世界各地で戦火が絶えない中、平和な時代を歩み続けてきました。これは、戦争の時代を経験し、また身近に感じてきた方々の、戦争がもたらした悲劇や苦しみを繰り返さないという意思によるものです。
しかし、戦争が身近な存在でない世代が大多数となった現在において、平和の尊さについて考えるには、一人ひとりが過去の歴史と向き合い、学び、考えることが必要です。今回の平和公園の開園は、そのきっかけの一つとなります。
戦後の日本に生まれ育った方にとって平和は当たり前に感じますが、いまだ世界では紛争が絶えません。平和な世を未来へとつないでいくためには、今の時代を生きる私たちが過去の歴史を学び、平和を愛する心を育てていくことがたいせつです。
開園記念シンポジウム
日時 6月24日(日曜)13時30分から
会場 文化会館中ホール
定員 400人(先着順)
申込 当日、会場へ
1部 記念講演「豊川海軍工廠と豊川市」(愛知大学名誉教授・藤田佳久さん)
基調報告(1)「平和公園内の豊川海軍工廠残存遺構の保存整備について」(元豊橋技術科学大学准教授・泉田英雄さん)
基調報告(2)「豊川海軍工廠の戦争遺跡と平和公園開設までの経緯」(生涯学習課職員)
2部 シンポジウム「平和公園と豊川海軍工廠の語り継ぎ」