国指定天然記念物御油のマツ並木保護事業
更新日:2024年4月4日
指定概要
御油のマツ並木は、太平洋戦争中に各地のマツが軍需資材として切り倒される中、「東海道ノ松並木トシテ代表的ナモノナリ」として重要視され、昭和19年11月7日に国の天然記念物の指定を受けました。
指定範囲は、並木が育つ土手部分を含めた道路敷(現県道長沢国府線)で、その延長距離は北側で約560m、南側で約520mに及びます。そして、枯木の伐採後に補植する後継樹も含め、そこに植わるクロマツ及びその生育環境が現在保護の対象となっています。
並木の変遷
東海道の並木は、一般的に江戸幕府により慶長9年(1604)から整備されたと言われていますが、それ以前に植樹された並木もあったようです。御油のマツ並木については、古文書から江戸時代には御油宿境から赤坂宿境までの街道両側(北側約820メートル、南側約710メートル)に約650本のマツが植えられていたことがわかり、江戸時代を通じて幕府による並木の厳重な管理が行われていました。戦後、150本程度にまで減少した御油のマツ並木は、昭和49年度の一斉補植のかいあって360本余りにまで回復し、現在は300本余りとなっています。
並木の保護のあゆみ
戦後、自動車の大型化、交通量の増大につれ並木の道路敷には舗装が施され、また周辺域が市街化区域に編入され並木隣接地での宅地化が進むなど、マツ並木保存の環境条件は急速に悪化してきました。加えて昭和45年頃から当地方にもいわゆる松くい虫(マツノザイセンチュウ)がまん延し始めたことから、これを憂えた地元町民により昭和47年に「天然記念物御油松並木愛護会」が結成されました。
愛護会による並木土手の下草刈りや清掃、見回り等の愛護活動は現在でも続けられ、この愛護会の呼びかけにより昭和50年2月に219本という大々的な補植作業が行われました。
また昭和50年2月には、愛知県教育委員会・愛知県土木部(道路管理者)・豊川市教育委員会の三者でマツ並木の日常管理に関する覚書を交わし、翌昭和51年2月には豊川市が天然記念物「御油のマツ並木」を管理すべき団体として、国から管理団体の指定を受けるなど、マツ並木の管理体制の強化が図られました。そして、昭和53年度には、豊川市教育委員会が国・県の指導のもと御油のマツ並木の保存管理計画を策定し、その中でマツ並木の保護にあっての関係機関の役割分担を定めたほか、並木の隣接地を保存区域と位置づけ、マツ並木の保存管理にあたっての基本方針を定めました。
近年では、平成14・15年度にマツ並木の総合的な調査である環境調査を行ったほか、平成16・17年度には保存管理計画の見直し作業を行い、改訂版を刊行し、今後、マツ並木の保護がより一層図られる方針を定めました。
現在、豊川市教育委員会では松くい虫対策としての防虫消毒をはじめ、施肥、支柱の整備などを毎年行っており、近年では樹木医学の専門家等や、御油松並木愛護会の協力を得ながら樹勢回復補修作業や倒木防止措置・補植事業などを実施しています。
環境調査の風景
樹勢回復補修作業の様子
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