大聖寺(だいしょうじ)今川義元公墓所
更新日:2013年1月4日
大聖寺の境内、西北の隅に石柵に囲まれて建っているのが、今川 義元の胴塚です。義元は永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで織田 信長の奇襲を受けて敗死。家臣達が首のない遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓じるしとしました。
嫡子氏真は父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所として寺領の支配、諸役免除を認めた安堵状を与えました。
場所 牛久保町
更新日:2013年1月4日
大聖寺の境内、西北の隅に石柵に囲まれて建っているのが、今川 義元の胴塚です。義元は永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで織田 信長の奇襲を受けて敗死。家臣達が首のない遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓じるしとしました。
嫡子氏真は父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所として寺領の支配、諸役免除を認めた安堵状を与えました。
場所 牛久保町